8月4日、この時期恒例の「太良(だいら)鉱山墓地清掃・慰霊供養」に行ってきました。
連日の猛暑続き、この日も暑さとクマの心配?もありましたが、森の中で若干涼しげな中、幸いクマにも出会うことなく無事に今年も作業を終えることができました。
初参加の方もいらっしゃる一方、この行事の常連さんが数名欠席で少々寂しい感はありましたが6名の参加でした。
現地に到着し、まずは草刈り背丈ほどある伸びた草を刈り、墓石周辺のツタや葉っぱを片付けて同墓地の最上部へ。
「延享三丙寅年(1746)七月」に建立された奥田氏(全国の鉱山経営で成功を収めた豪商・大坂屋の本名)および奥田氏家臣の供養塔があります。
「今年もお参りに来ましたよ」とごあいさつ、一時間少しの作業の後で花やお供えを捧げて皆さんと読経供養、同鉱山でご苦労なさった方々の御霊(みたま)に思いを馳せるひとときとなりました。
「奥田氏」の文字が見える供養塔毎年この行事は『無憂樹』紙上でも報告しており、今回発刊の『宝昌寺だより -白神山地の麓 藤琴川のほとりから-』でも紹介しておりますが、江戸時代の紀行家・菅江真澄も訪ねた太良鉱山は、藤里町の発展に深い関係があります。
しかし昭和33年の閉山以後は無人の地となって鉱山の共同墓地も荒れ放題となり、お参りする人もほとんどない気の毒な状態でした。
町発展のために尽力された方々の御霊が眠る太良墓地をこのまま放置することは忍び難く、見過ごせないという太良鉱山関係者や町民有志の方々のおかげで、せめて年に一度のささやかな活動ですが、土砂崩れによる通行止め等で休止の年もありながらも「墓地清掃・慰霊供養」を継続しております。
閉山から今年で67年、当時を知る関係者も少なくなりましたが、この地に思いを寄せる方々も町内外にまだまだいらっしゃいます。
今回の発刊は、いま一度太良の地やその歴史にも目を向けていただきたいという思いも含んでいます。




