
この度のリターン品について、少々ご説明します。
・「宝昌稲荷」のご祈祷札や御守り、「涅槃図」をモチーフにしたカード型御守り
境内に祀られる「宝昌稲荷」宝昌寺の境内には赤い鳥居のお稲荷さんが祀られていますが、そのルーツは近年、修学旅行生や外国人観光客にも人気が高い京都・伏見稲荷です。
なぜ秋田の片田舎の寺と、京都の伏見稲荷の間に関係ができたのか…
江戸時代後期の天保三年(1832)、当寺では涅槃図(ねはんず)が奉納されています。
涅槃図は、その昔お釈迦さまが亡くなられた時の様子を描いたもので、多くのお弟子さんや天女・鬼、動植物までもがその死を悼み、嘆き悲しんでいる情景を表しています。
宝昌寺の涅槃図当寺の涅槃図は京の仏画師・奥村重右ヱ門と藤原周平によって絹本(けんぽん)に描かれた幅6尺、丈7.8尺の大作です。裏面には作者や年代、時の御住職や寄進者のご芳名が数多く記されております。
仏具屋さんから既製品を求めることもできる現代と違って、当時はおそらく仏画や仏像などは受注生産だったでしょう。何らかのご縁ができて京都の仏画師さんに依頼し、完成品を受け取りに秋田の片田舎の寺から時の住職や檀家の代表が京都まで足を運んだと思われます。
おそらくその際に、五穀豊穣や家内安全、商売繁昌などの御利益に与らんと京の都で人々の信仰を集めていた伏見稲荷の隆盛を目の当たりにされたのでしょう。その翌年の天保四年(1833)に伏見稲荷に願い出て、この藤琴の地にも勧請(かんじょう)、いわばのれん分けされて当寺の境内に「宝昌稲荷」が祀られることとなりました。
天保四年に伏見稲荷から当時へ勧請した際の書き物当時は「天保の大飢饉」が発生、度々凶作で多くの人々が飢えに苦しんだ時期です。
豊作祈願は当時の人々の切実な最重要課題、それに応えんと「宝昌寺鎮守」として伏見稲荷をお迎えしたと考えられます。
以来、当地でも五穀豊穣や商売繁昌、家内安全、身心堅固、開運厄除など身近な祈願の拠り所として地域に皆さんに尊崇され、毎年7月に「宝昌稲荷例大祭」として祈祷会を行っております。その際にお配りしている祈祷札と御守りをこの度のリターン品として設定しました。
また上記の涅槃図はシワやススが目立つようになり平成24年に修復、同年4月に行われた「涅槃会(ねはんえ)」の際に参拝者向けに作成したのが、涅槃図をモチーフとしたカード型御守りです。
以降もご希望の方に頒布しており、お財布や免許証入れなど身近なところでお持ちいただいて愛用されています。
「涅槃図」カード型御守り(表面)
「涅槃図」カード型御守り(ウラ面)
ご祈祷札はご家庭やお店、事務所などの神棚にお祀りし、御守りは身近なところでお持ちいただいて、その御利益に与られますよう願っています!




