
忠犬立ハチ高 王坂様(写真右)私は小学1年生から6年生までの6年間を釜石市で過ごしました。当時は沢山の同級生や素晴らしい先生、地域の温かい方々や釜石の自然に囲まれて日々を過ごし、人間の根幹の部分をつくってもらったような私にとってかけがえのない場所でした。震災が起きたのは私が中学1年生で盛岡に越してきた年で、津波の被害をテレビを通して見た時に毎日当たり前のように行っていた釜石の街が跡形もなく消え去ってしまったように映り、なかなか受け入れられずにいました。自分を受け入れてくれた釜石の街からどこか目を背けてしまう日々が中学・高校と続き、大学進学のため上京することになったタイミングで、父と一緒に初めて震災後の釜石を訪れましたが、そこで見たのは無惨な被害の跡から復興を遂げつつある力強い釜石の街でした。私は震災直後に目を背けたことへの深い後悔とともに、必ずこのふるさとの光の一部となれるような存在になって戻ってきたいという思いを強く抱きました。そして時は流れ、ようやく少しずつお仕事で釜石市に携われるようになり、今回クラウドファンディングの応援メッセージを掲載いただけることになりました。先ほど復興を遂げつつあると書きましたが、復興には簡単なゴールはありません。物理的な難しさやさまざまな課題、急速に流れていく時間とともに人々の記憶から薄れていってしまうかなしみがあります。しかし、復興は元通りにすることでは必ずしもなくて、よりよい新たな光のさす場所をつくることでもあると思います。ゴールがないからこそ、世代を超えたさまざまな人が復興にかかわり、少しずつ、永く、進めていくことができるのではないでしょうか。地元であるなしにか関わらず、自分が誰かの場所に光をもたらすために祈った希望は必ず届き、やがて自分の胸にも帰ってくるはずです。皆様のあたたかいご支援を、お待ちしております。