
史蹟を巡る活動を続けて80年以上。昨日は、宿場の雰囲気を中心に史蹟とともに見て巡りました。
約40年前、川越が重伝建になって以降、各地でも地域の歴史を感じられるように景観の維持に努力してきています。
日光街道の6番目の宿場として栄えた幸手宿も、道なりがそのまま残り、当時の雰囲気を伝えています。ガイドに案内をして頂き、幸手宿の約1kmの宿場を歩いてきました。
徳川吉宗がお昼を取った聖福寺
勅使門
明治19年に起きた大火で多くの家が燃えたそうですが、それでも立派な家が残っていました。
岸本家住宅(国登録有形文化財)
元は醤油屋、現在は内装を変え、喫茶店になっている。
キャッチ-コピーは「歴史を感じられる町幸手」
当時のものすべて残っているわけではありませんが、歩いてみるとウナギの寝床が見え、宿場の雰囲気を感じることが出来ました。やはり、一つの特徴・町の顔だなと感じます。
吉宗弁当 幸手宿でお昼を食べた徳川吉宗。その時の献立が記録で残っていて、それを再現されました。
また、幸手の地域もそうですが、利根川流域は利根川の氾濫ととも歩んできた歴史も備えています。幸手、久喜、加須、板倉といった地域は「水塚」と言って、洪水から被害を逃れるために盛り土をして、建物が高く造られています。
栗橋宿にあった吉田家もその一つで、スーパー堤防を作る際に、水塚の蔵が市に移管され、今は内部が見ることができます。もっと宣伝すればいいのにと思えるほど独自の文化だと感じます(こちらでいう養蚕農家の建物が多くみられるのと同じような感覚なんでしょうね)。
吉田家水塚 2m近く盛ってあります。生活の知恵
こういう文化財があることによって、洪水と共に生きてきた地域の文化が分かりやすく理解することができます(伊勢崎地域では見ることはありません)。
栗橋関所跡
しかし、地元の人は、そういった独自の文化に気が付いておらず、受付の方もよく知らないと言っていました。地元の人だからこそ、地元の歴史を知って頂けると、もっと会話が弾んだことでしょう。
川俣宿の船着場の地図や栗橋宿の関所跡を廻り、最後は県道(赤岩の渡し)で船に乗り、埼玉から群馬に渡り、岐路に着きました。

会員の方、お疲れ様でした。




