
広島に原子爆弾が投下され80年。戦争経験者や被爆者が高齢となり、戦争や被爆を忘れないこと・伝えていくことの重要性が一層増しています。
復興を遂げたこの街には、国内外から多くの観光客や修学旅行生が訪れ、広島平和記念資料館や原爆ドームに足を運んでいます。広島出身の私たちも、幼い頃より何度も訪れ、平和について考えさせられる場所です。ここは、被爆都市ヒロシマを学ぶうえで、欠かせない場所なのです。
この点と点を結ぶだけでなく、もう少し広い面として捉えると、この街には幾つか被爆遺産が現存することに気がつきます。

一方、観光客向けに作成された既存のパンフレットや地図を眺めてみると、被爆遺産の所在を記した現在の地図は見かけることがあるものの、原爆投下後の状況がわかる過去の地図はなく、過去と現在を繋ぎ、紹介したモノはありませんでした。
そのため、私たちはすべての被爆遺産を掲載した地図を作成すると共に、原爆によりどのような被害を受けたのかを記した地図を作成したいと考えました。そして、それを被爆都市手帳ヒロシマとして手に携える冊子にしたいと考えました。

未来へ平和のバトンをつないでいくため、広島の過去と現在を知り、ひっそりと佇む被爆樹木や建物の存在に気づいてほしいと願っています。80年前のあの日、凄まじい爆風や熱線を受けながら生き延びた木々や建物、橋が「あの日の証人」として今も静かに語りかけています。

被爆遺産の代表的な例は、原爆ドームです。その他にも、今なお被爆の実相を伝えている被爆建物や被爆橋梁、被爆樹木が残っています。これらをまとめて被爆遺産と呼んでいます。
被爆樹木のユーカリ/広島城址公園
被爆建物の旧陸軍被服支廠(ししょう)
旧日本銀行 広島支店
被爆橋梁の猿猴橋
これらは甚大な被害を受けながら現存する、貴重な「あの日の証人」ですが、知っている人はわずかにすぎません。

広島でよく知られたこの言葉は、1945年8月6日に広島への原爆投下後、開発に携わった米科学者の談話がもととなり、広く伝わったとされています。

焦土と化した街で、悲しみと絶望を深める言葉でしたが、焼け野原の街に草木は芽吹き、人々に復興の希望をもたらしました。

被爆直後は都市機能を失い、人々は重傷を負いながらも助け合い、復旧へと立ち上がっていました。「平和記念都市」として国や行政、市民が一体となり、広島は緑ゆたかな街へと復興しました。

現在からは想像することが難しい1945年の被爆状況を地図に表し、現在の広島と表裏の地図にすることで、過去から現在までが地続きで繋がっていることを感じていただけるよう制作しました。
また、世界へ平和のメッセージを発信し続けている被爆都市ヒロシマを、この手帳を携え、街を歩きながら体感していただきたい。
歴史の記憶をたどり、歩いた道のりは、平和への一歩に繋がると信じているからです。

A6サイズ(105 x148mm) カバーを開くと折りたたみ式の地図を広げられます。
カバーは厚手の紙で携帯に適した作りとなっています。広島市の「過去」と「現在」の地図で構成されています。

開くとB2サイズ(500x707mm) 見たい部分を折りたたんで使用できます。
被爆遺産を示した地図(2025年)
この地図には、現存する被爆遺産(被爆樹木、被爆建物、被爆橋梁)をすべて記しています。また、街が復興していった過程と、平和都市として世界に発信する活動の一部を記載しています。
被爆建物86件、被爆建物159本、被爆橋梁6橋すべてを記載しています。

半径4.5km以内の被爆遺産は、所在も記載しています。
原爆投下後の被害状況(1945年)

この地図には、原爆投下後の被害状況を記しています。また、広島市や広島県のデータを基に、戦前の広島や原爆を投下するまでの様子、原爆による熱線、爆風、放射線の被害、死亡率や罹災率、黒い雨の影響などを記載しています。

当時の被害状況を克明に記載

制作過程で次々とアイデアが出ていますが、紙面に制約があるため、工夫を凝らしながら、細部を詰めていっている段階です。
初版では日本語版と英語版の二種類を2,000部ずつ作成し、広島県の要所や県外でも取り扱っていただくように進めています。
この手帳に関心を持っていただけるような場所の例として、販売先広島平和記念資料館、広島史現代美術館、おりづるタワー、ひろしま美術館、広島県立美術館などと言った公共施設のショップを想定しています。
これらのお店以外にも、地元に根付いたカフェや書店などでも取り扱っていただけるよう、交渉を進めています。
スケジュール
4月 内容・デザイン完成、校正、翻訳開始
5月 印刷、製本、ショップ等とのやり取り、発送開始
6月 PR活動
7月 リターン<被爆都市手帳ヒロシマ>の発送開始
8月6日 折り鶴の奉納
8月7日以降 リターン<被爆都市手帳ヒロシマ>以外の発送開始
進行状況は、ckinocoのインスタグラムでも随時お伝えしていきます。ぜひフォローいただき、気にしていただけると幸いです。

この企画は以前より準備していましたが、実際に作成を進めていくと、広島出身の私たちでも知らないことがたくさんありました。多くの情報源に触れるたび、故郷を離れ長い年月が経つ私たちですが、あらためて恒久平和を願う「ヒロシマの心」が根づいていることを感じました。
一人でも多くの人に、被爆都市手帳を手に取っていただき、この活動にご支援いただきたいと心より願っています。
販売だけの普及に留まらず、被爆遺産保護団体との連携や、平和教育(地元の学生とワークショップや他県の修学旅行でのツールとしての普及など)を通して被爆遺産を知ってもらう活動をしていきます。
いずれは、長崎でも同様に、被爆の実相を伝える被爆遺産手帳を作成し、被爆遺産の保存活動に貢献できればと考えています。
被爆遺産の保護活動の第一歩は、まず知ること。私たちはその活動を推進し、国内外の様々な世代へ繋いでいきたいと考えています。

ckinoco(キノコ)は2003年に柳川と小平が立ち上げたユニットから始まりました。東京でデザインの世界で活躍する柳川と、フランスで現代アートを制作している小平。二人は故郷を離れて活動していますが、広島への想いは活動を続けると共に大きくなっていきました。その想いをアートとデザインを掛け合わせ、ヒロシマが発信するメッセージを広めたいと願っています。
立ち上げ当初は、ステッカーの配布、絵本の制作を試みながらckinocoのアイデンティティを確立していき、現在では、漫画雑誌をアップサイクル素材に「Papierpot パピエポ」というプロダクトの開発と制作を行っています。今年、被爆から80年という節目で、私たちはヒロシマのメッセージをより直接伝えられる、「被爆都市手帳」の企画を立ち上げました。7月29日から広島市内にある書店、リーダンディートでは、この手帳と戦後80年をテーマに展覧会を行います。
柳川敬介(ヤナガワケイスケ)
広島県生まれ。東京在住。2011年にデザイン会社「ハンサム」を設立。様々な分野、クライアントのアートディレクション、デザインを行う。また「価値のなくなったものを価値あるものにする」という考えのもと自主制作も行う。
小平篤乃生(コヒラアツノブ)
広島県生まれ。現代アーティスト。フランスを拠点に国内外で活躍。「あらゆるメディアや歴史は緩やかに絶え間なく繋がっている」という考えのもと、考古学とは別の視点や解釈からの歴史を提示し、国家が成立する前の人間の営みや自然との共存を探し求め、五感を喚起させる体感的な場と作品をつくり続けている。

広島に住んでいない方でも、広島に住んでいる方でも、この手帳を早く手に取っていただきたいと思い、お返し(リターン)は、主に手帳を発送する方法をメインにご用意しました。手帳が完成次第、ご支援をいただいた順に発送させていただきたいと思います。
ご支援いただける部数をお選びいただき、その中から、日本語版・英語版の部数をそれぞれ選択してください。少人数で活動しているため、手数料を少しいただきますことご理解いただけますと幸いです。また、発送先は国内のみに限定させていただきます。スポンサープランをご選択いただいた方々へは、御礼のメールを兼ねた最終の活動報告をさせていただきます。また8月6日に折り鶴の奉納を予定しており、連名で奉納をご希望の方は、備考欄にお名前(ニックネーム)をご記入ください。

集まった支援金は以下に使用する予定です。
- 印刷費、校正・翻訳費、運送費など
- 広報、宣伝費
※目標金額を超えた場合は、さらなる作成のための印刷費等に充てさせていただきます。
最新の活動報告
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折り鶴を奉納してきました
2025/08/13 10:008月6日、平和記念式典が終わった9時過ぎ、キノコのメンバーである柳川と小平が、折り鶴を「原爆の子の像」に奉納してきました。この像は、被爆から10年足らずで原爆症により亡くなった佐々木貞子さんの同級生たちが、募金活動によって建立したものです。原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰める石碑でもあります。佐々木貞子さんは闘病中に千羽鶴のことを知り、自らの病気が治ることを願って折り続けましたが、その願いは叶わず、帰らぬ人となりました。そんな子どもたちの御霊に寄り添うように、世界中から多くの折り鶴がこの場所に奉納されています。今回、スポンサープランのお礼として、ckinocoが代表して折り鶴を奉納することになったのは、クラウドファンディングが始まってからのことです。当初は被爆遺産の一つに納めようと考えていましたが、奉納先の選定や許可、奉納後の折り鶴の扱いを考えた結果、「原爆の子の像」であればいつでも受け入れてくれ、奉納後は再生紙として生まれ変わることを知りました。皆さまの想いを託すには、ここが最もふさわしいと考えたのです。そうした想いの中、小平が折り始めた頃、自分の子どもが通う学校に平和教育の一環として折り鶴作りを提案したところ、校長先生が興味を持ってくださり、実現しました。フランスの子どもたちは折り紙の経験が少ないため、最初は高学年の生徒に手伝ってもらいましたが、学園祭でも取り組んでみようという話になり、多くの中・低学年の児童も参加してくれました。その話を聞いた柳川は、自分の子どもが通う東京の保育園にも提案し、そこでも実現しました。日本の子供達の手先の器用さに驚きです。フランスと日本の子どもたちが折ってくれた一羽一羽は、どれも愛らしく、色とりどりで美しい折り鶴でした。こうして奉納できたのも、皆さまの温かいご支援のおかげです。「被爆都市手帳ヒロシマ」を通して、このような平和教育の輪が広がったことは大きな意義がありました。この経験を活かし、今後は被爆都市手帳を使った平和教育にも取り組んでいきたいと願っています。今回は本当にありがとうございました。ckinoco もっと見る
クラファンは終わったけど
2025/07/31 14:47クラウドファンディングは昨日をもって終了いたしました。おかげさまで、142名の支援者の皆さまにご協力いただきました。ありがとうございます。目標金額には届かなかったものの、皆さまのご支援のおかげで「被爆都市手帳ヒロシマ」は今後も継続して制作・発信していける目処がつきました。この企画を通して、多くの応援の声、さまざまな反応をいただきました。広島県外からもたくさんの方々に支援していただき、ckinocoメンバーのネットワークだけでは辿り着けなかった世界へと広がったことを実感しています。私たちの活動は、このクラウドファンディングの終了と共に終わるものではありません。まずは、リターンである手帳の発送、8月6日の折り鶴奉納、取り扱い新店舗の開拓などを進めてまいります。被爆都市手帳ヒロシマは、生まれたばかりの「平和への願い」です。今後も、このクラウドファンディングのページとインスタグラムで私たちの活動報告を楽しみにしていてください。ckinoco もっと見る
広島を歩いてみる
2025/07/24 10:27ようやく、広島に帰ってきた小平です。クラファンもいよいよ大詰めです。クラファンの終了と同時に広島にある書店、リーダン・ディートで始まるckinocoの展覧会の準備や、おりづるタワーでの被爆都市手帳ヒロシマの催事、地元の賛同者などと会い、激務な日々が過ぎていきます。出会う人々や街を歩いていたりすると、遠方でリサーチしているのとは違うヒロシマが発見出来ます。僕はアート制作でもフィールドワークを大切にしているのでその感覚でリサーチをしているかもしれない。例えば、街を掃除してるオッチャンと話したり、知人からも今まで話した事のなかった被爆に関する話からも聞いてみたり、目の前の道や建物だけでなく、都市全体が被爆都市手帳のおかげでよりマクロな視線で見れるようになりました。こんな感覚は前にはなかったなぁ。資料には残らない、被爆体験のこぼれ話や戦後の平和活動と復興、そのようなフラグメントが街のいたるところで発見できます。僕はこの手帳を作った当事者の一人ではあるからかもしれないけれど、この地図を持って歩いたり、家でボーッ眺めるだけでも、ヒロシマの分厚い歴史と市民の想いのレイヤーの一枚をめくる事が出来たんじゃないかな。一枚の紙にヒロシマの過去と未来を描く。そんなに甘くはない。だってこの薄い紙は、膨大な市民の想いと歴史が幾層にも重なって出てきている。その層を認識できるのは、この街に来なければ分からない。被爆都市手帳はそんな機会を与えてくれるインターフェースなんだなとヒロシマを歩きながら体感しました。なので皆さんにもヒロシマに来てもらい、各々のレイヤーを見つけてもらいたい。そう思いながら今日もヒロシマを歩きます!それにしても熱い… もっと見る







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