
とりあえず、今回で小平(アーティスト)がこの企画を始めた理由の説明を終えます。これ以外にも自分の作品の説明とかすると、何が言いたいかわからなくなっちゃいそう。まあ、僕の活動に関心がある人は僕のホームページとか見てください。
さて、前回までは広島と自分のアイデンティティのつながりから被爆樹木をモチーフにした制作経験の話をしました。今回は原爆を違う角度から書いてみます。
被爆した側の意見は、広島にいるとたくさん聞くことができます。でもアメリカ側の意見を聞く機会は意外と少ないです。僕がまだフランスに来て間もない時、アメリカ人観光客と話す機会がありました。彼に広島出身だというと、「あの原爆で戦争が早く終わってよかったな」と言われたことがありました。スマートな答えが出なくて、適当に受け流した記憶がある。でも後々、モヤモヤしてきました。日本からすれば、敗戦色の強かったあの時期に原爆2発、しかも違う種類を落とす必要がどこにあったのだろうか?非戦闘員を巻き込んで何が正しかったのだろうか?約14万人を虐殺するのが正しいのか?など今でも原爆の正当性を考えます。そして、その正当性はいまだにないと思っています。
僕が話したアメリカ人のオッチャンはどこの州から来たかはわからないけど、日米戦争の参加経験はなさそうな歳だった。きっと彼はアメリカが落とした原爆の正当性を教え込まれたんだろう。アメリカ政府は、莫大な血税を使い原子爆弾を作ったのだから、正当性はなんとしても伝えなければならないだろう。そう考えていくとマンハッタン計画で作られた多数の試験場、精製場、施設はどこで?どうなった?今は?と疑問が湧いてきています。インターネットを介して大まかな情報は簡単に手に入ります。そこでわかるのは、原爆で被害があるのは、被爆国だけじゃない。アメリカ本土でも、汚染問題や、先住民が住む地域を無視した汚染処理など今でもその負の遺産を抱えているそうです。立ち入り禁止の区域ももちろんある。作り始めたが最後、現在アメリカは5000発以上の原爆を持っているんです。それをどう保管するの?アメリカ国民はそれを維持し続けなければいけない。
ネット上で見つかる資料などでは感じられない、雰囲気、市民の声などは実際に現地に行かないとわからない。僕は、それらのリサーチをしたく、マンハッタン計画でとりわけ影響があったオークリッジ(テネシー州)、ロスアラモス(ニューメキシコ州)アラモゴード(ニューメキシコ州)、ハンフォードサイト(ワシントン州)の四箇所でのリサーチとピンホールカメラと録音機を使った制作をしたいと思い、2023年のアーティストインレジデンスに応募しました。残念だけど僕の提案は通らなかった。ロシアとウクライナの戦争が始まって間もなく、イランとイスラエルの爆撃がなかった時代だから原爆に関心がなかったのか?広島出身のアーティストの企画がアメリカ側にメリットがないせいなのか?否!
僕の企画が甘かったに違いない。これからも学び、いつかは自費でもいいからこの制作とリサーチをしたい。原爆の闇はアメリカにもある。そこにフォーカスを当てないと、核爆弾は無くならない。
広島、長崎は確かに被爆都市だ。しかし作ってしまった人たちも多分に被害を受けている。原爆そのものにメリットがなくて、原爆による平和はない。原爆の恐怖を回避するために、より多くの原爆を作り、原爆を使わない戦争をやり続けるしかない現実に僕らは生きている。そして第三の被爆都市がいつ現れるかわからない現状だという事を忘れてはいけない。そのために広島の歴史を知ってほしい。ヒロシマの思いを知ってほしい。これが世界の抑止力なってほしいとホンマに願ってる。僕も被爆都市手帳を作りながらたくさん学びました。これからは読者の皆さんと一緒に学んでいけるツールにしたいと思う。
知ろう、作ろう、広めよう。
ckinocoを始めた頃に考えたモットーをふと思い返した報告でした。
Jack Aeby氏の写真は、アメリカのアラモゴードのトリニティ実験の際に撮影された写真。Wikipediaより引用




