コンセプトアルバム「ある愛の唄」の最後の曲は、死んだ愛する人に対して歌う曲なのだが、カンボジアでは死んだ人に対する歌があまりないようで、孤児院の音楽担当の先生が訳詞に関して頭を抱えているという話を聞いた。
まあ全世界どこにでも「お国柄」というものがあって、例えばお葬式は賑やかに陽気にという国があってもおかしくはない。何もキリスト教の賛美歌みたいな音楽で送り出す国ばかりでなくてもいいのである。
じゃあこの曲はやめるか?・・・いやいや、だからと言って曲をボツにする必要は全くない。そのお国柄に対してよっぽど失礼であるとかでない限り全く問題ないと私は思う。
・・・というのもこの話を聞いて思い出したことがある。中国で出した私のソロアルバム「亜州鼓魂」にまつわるエピソードである。
1996年、その頃中国はロックの黎明期ではあったが、まだまだ「革命の歌」、つまり中国共産党の音楽以外はアンダーグラウンド。そしてその共産党一党独裁はどう考えても揺るぎようがない・・・
そんな国で「ロック」をやってゆくこと自体が無謀なイメージだったし、そんな「アンダーグラウンド」の音楽が、メインストリームの革命の歌よりも売れる時代が来ようなど誰もが想像だにしてなかった・・・
かく言う私も全く夢にも思ってなかったし、レコードを出して下さったホリプロさんすらまさかこれほど売れるだろうとは思ってなかっただろう・・・
なにせ、あの日本を代表するSONYレコードの大幹部たちが「そんなものが何枚売れると言うのだね?」と笑い飛ばしたアルバムである(笑)
(その詳しいお話)
日本ではもちろんほとんど売れてないだろう。
なにせ日本語が全く入ってない、中国語、モンゴル語、朝鮮語、そしてインストの楽曲ばかりのアルバムなのである。
「中国で売れた」と言っても、当のホリプロには金銭等の見返りはなかったようで、このアルバムの功績が認められて「レコード大賞アジア賞」を頂いたパーティーの席で、代表の方が「我が社はアジアから撤退します。アジアで得したのは結局このファンキー末吉だけでした」という笑えるスピーチを残している・・・
では私は金銭的に儲かったか?・・・否である。
このアルバムは、私にお金では買え難い大きなものを残してくれた。
「中国での地盤」もそうなのだが、何よりも、「売れるものなんか追求しなくたって、いいものさえ追い求めていってれば、それが売れる国が世界のどこかにはあるんだ」ということを知らしめてくれたのだ。
これは私の音楽人生に対してとてつもなく大きなことである。
どんな音楽家でも「表現」と「商業」の中で苦しむのは宿命である。
でも私は解き放たれた。
「クオリティー」というものを追求さえしていれば、「マーケット」はこの広い世界の何処かにあるのだと思わせてくれたからである。
もともと「売れる音楽を作れ」と言われることが大嫌いだった。(まあそんなことが好きな音楽家はいないだろうが・・・)
「今これが売れてるから・・・」と言ってそれを追い求めて行った末路は悲惨なもんである。
今と違って(?)レコードの売り上げのほとんどは若者だった時代、当時はズボンをずり下げてわざとパンツを見せるファッションが流行っていたので、それに例えて、
「お前はこの年になった俺に、ズボンをずり下げてパンツを見せて街を歩けと言うのか!!」
とブチ切れたことがある。
そんなファッションを今では見かけなくなった昨今、そんなファッションのような音楽の末路なんてどれだけ惨めなもんであろう・・・
売れるために作った音楽なんて、売れなかったらもう誰にも見向きもしてもらえないのであるから。
もちろん売れるための努力は必要である。だがそれも「バランス」であろう・・・
「商業音楽」なのだから多額の金が動く。
でも「商業」と言うからには「儲けるため」にお金を投資する。
決して「音楽」に投資をしているわけではない。
返ってくるであろう「お金」に対して投資をしているのである。
今考えると、その「お金」のために「音楽」を犠牲にしていることが本末転倒であったのだ。
ところでこの亜州鼓魂、「売れた」と言っても、実は当時の中国のマーケットに合致しているものでは決してなかったのだというエピソードがあった。
先日の布衣の全中国ツアー中、ツアー先の地元の人が物販で買った亜州鼓魂を車の中でかけていた。
そしたら車に乗ってたPAスタッフの海龍が突然一緒に歌い出したのだ。
歌詞カードなんか見てないから歌詞も覚えてるということにまずびっくり!(◎_◎;)
「この曲は7拍子なんだよね?」
2曲目の曲の時に歌いながらそう聞いて来る・・・
「このアルバムは当時の中国では誰も听不懂(聞いても理解出来ないの意)だったんだ。听不懂だから何回も何回も擦り切れるまで聞いた。だから今でも全部覚えてるんだ(笑)」
そんな「売れ方」もあったんだ・・・そう感心した。
当時誰も聞いたことがなかった音楽。
でも何度でも繰り返して聞けるクオリティーがあった。
そして听不懂だけど何か「良い」・・・
音楽なんて根本的にはこれでいいのだ。
だから冒頭の話に戻るけど、このアルバムのコンセプトがカンボジアのお国柄に合ったものではなかったとしても、そのお国柄に対して失礼なものでさえなければ、そして何よりも、歌う彼女たちが「いい」と思えるものでさえあればいいと思う。
「お葬式は賑やかにやる国なんだから、賑やかなアレンジに変えようよ」などと考えることがそもそも間違いなのだ。
「アルバム」であるということも大きなメリットである。
リーディングソングがそれぞれ発売する国によって違ったって全然いい。
何ならこの曲だけ日本語で歌ったってよい。
亜州鼓魂というアルバムも「どの曲がヒットした」という話も聞いたことがないし、モンゴル語の曲が内モンゴルで流行ったということも、朝鮮語の曲が朝鮮族自治区で流行ったということも全くない。
「アルバム」であるからよかったのだ。
その「アルバム」が評価されたのだ。
そしてこの「ある愛の唄」も「アルバム」・・・
「こうしなければ売れない」というものに縛られることなく、亜州鼓魂のように、どこかの国で大歓迎されるものであればそれで言うことなしだと思う。
世界じゅうの子供たちが、大人のエゴで生き様を曲げられることなく、本人たちが望むように世界のどこかで幸せに暮らしてゆけるように・・・というのと同じである。
世界は広い!!媚びなくたって自分らしく暮らせるところがきっとあるぞ!!