
現在の政所茶の生産者は約60軒。そのうち10軒ほどが地域外から生産に携わっている人たちですが、その流れが生まれたきっかけは、13年前に滋賀県立大学の学生たちが茶畑を借りてお茶づくりを始めたことです。
当時から彼らのことを知る上田洋平さんに、この13年を振り返っていただきました。
上田洋平(うえだ ようへい)
滋賀県立大学地域共生センター特任講師。2012年9月に大学の授業の一環で東近江市政所町にフィールドワークで訪れ、当時参加していた学生たちが政所茶の栽培を始めることになる。その後、大学の地域活動プログラム「近江楽座」の採択団体となった「滋賀県立大学政所茶レン茶゛ー(チャレンヂャー)」の顧問として、13年に渡り政所茶に関わる学生たちを見守っている。
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学生たちの「ドライバー」として
13年前に結成された滋賀県立大学の学生グループ「政所茶レン茶゛ー」の顧問をしています(じつは名付け親でもあります)。 しかし実際には「運転手」だと目されています。運転するのは二つの「車」。一つは学生たちを送迎するための「自動車」。そしてもう一つが「口車」です。
学生や地域のみなさんをはげまし、あるいはそそのかし、すなわち「口車」にのせて、まちづくりや学びのフィールドへと案内する。「口車の運転手」。この肩書を、わりと気に入っています。
「運転手」としての私の仕事は、学生たちを学びのフィールドに送り届けて、しずかに、そっと見続けること。地域に向けては、なるたけたくさん「ありがとう」を、そしてときどき「ごめんなさい」をお届けすること。業務日誌の一端をご紹介します。
政所茶をめぐる「仕合わせ」のはじまり
政所茶レン茶゛ーは2012年9月24日の月曜日に誕生しました。
奥永源寺・政所という地域で、そしてこのクラウドファンディングのページの上で、皆さんとともに目の当たりにしているところの、控えめに言って奇跡の物語は、この日付から始まったのだと思っています。教師からみた贔屓の引き倒しかもしれませんが、少なくとも、今日に続く物語のきっかけ、重要な伏線のひとつではあったと思っています。
さて、私の「口車」は、学生を乗せて、次のようなプロローグで走り出します。
「この風景を守りたい! このお茶畑、私たちが借りていいですか?」
2012年9月24日、月曜日。この日、無鉄砲な、けれども本気の学生たちが、その一言を発していなければ、この物語は始まらなかったかもしれない――。
滋賀県立大学の集中講義、「地域再生システム論」のフィールドワーク。まちあるき。そしてその後の対話のなかで、学生たちは、自分たちでお茶づくりをしてみたいと言いました。
地元の人はおっしゃいました。「今までも、そう言って政所に入ってきた人はいた、でもいつのまにかいなくなる」。
そこで、学生たちとこんなことを話し合いました。
「地域活性化とか大きなことを考えるよりも、“また来ます”と言って別れた、その“また来ます”という小さな約束をとにかく守っていこうじゃないか」。
そして彼らはほんとうにその約束を守り続けた。
もちろん、600年間政所茶を守り、伝えてこられた先人のみなさん、ひろい心で学生やヨソモノ・若者たちを受け容れ、導き、気にかけ、叱咤激励下さった地元のみなさんの存在なしには、彼らの活動は、ここまで続かなかったでしょう。
そうした時間の積み重ねのなかでの、2012年9月24日、月曜日。奥永源寺・政所の方々と、この日初めて訪れた学生たちとの、この日の「居合せ」がなければ、今日のような「仕合せ」の物語はなかっただろうと信じています。
600年、あるいはもっともっとながいこの土地の歴史の、これからの600年につながるその転機に、当事者の一員として「居合わせ」られるのは、本当にうれしいことです。
フィールドワークで地元の人から話を聞く学生たち
“この一人”から地域は変わる
「“ただ一人”では変えられないが、“この一人”から地域は変わる」。
これは、学生たちのお供をして奥永源寺・政所地域に通い、そこで起きる出来事を見続けるなかで、奥永源寺・政所地域で、学生や地元の方々から教えられたことのひとつです。
まちづくりは“ただ一人”では決して前に進めていくことはできない。一方で、ものごとはいつも必ず“この一人”の人の存在や想い、その行動や言葉から動き出す。
政所においてそれは、ある“この一人”の学生の「この風景を守りたい!」という想い、そしてまたある“この一人”の学生の「私たちが借りていいですか?」という一言でした。
そして、奥永源寺・政所の方々は、それら“この一人”の学生たちの言葉を、存在を、しっかりと受けとめてくださいました。そして、その方々は、年々入れ替わり立ち替わるたくさんの“この一人”の学生たちを決して“ただ一人”に孤立させることなく、向き合い、付き合ってくださった。それは学生たちに対してだけではない。その後につづく、奥永源寺・政所の風土と、政所茶に魅せられた多くの“この一人”の人びとに対しても同様でした。
地域の人たちと交流会
幸せの循環
昨今、「Well-being(ウェルビーイング)」についてさかんに議論されています。日本におけるウェルビーイング研究の第一人者である前野隆司先生は、人が幸せを感じるための心理的要因について、次の四つを挙げ、それを「幸せの4因子」と名付けました。すなわち「やってみよう(自己実現と成長)因子」「ありがとう(つながりと感謝)因子」「なんとかなる(前向きと楽観)因子」「ありのままに(独立と自分らしさ)因子」の4つです(前野隆司『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門』講談社、2013年)。
これは個人の幸せについて述べたものですが、その考え方は、まちや地域についても当てはまるように思います。思い返せば、奥永源寺・政所地域には、この「幸せの4因子」がありました。
学生たちやヨソモノたちの「やってみよう(やってみたい)」を受けとめて「やらせてみよう」「なんとかなる(いざとなったら責任もってなんとかする)」と応じてくださいました。「ありのまま」の学生の未熟で無知な部分を理解しつつ、しかも決してちやほやせずに、自らも「ありのまま」の気持ちを示して、ときに叱咤し、しばしば激励し、一緒に泣き笑いしてくださいました。そこには自然な「ありがとう」の気持ちが生まれ、育ち、交換されていきました。奥永源寺・政所地域において、このような「幸せの4因子」の循環は現在進行形であり、しかも刻々とスパイラルアップしています。
「茶縁」の秘密
このような物語は、どんな地域でも起こるものなのか、それはわかりません。そこにあったのが、毎日世話が必要な一般の野菜ではなく、毎日は通えない学生の行動特性を許容し、しかもとりわけ忍耐強くいてくれる「政所茶」であったことは幸いだったと思っています。
地元の方々は、お茶畑の様子を見れば、その年の学生たちの雰囲気や力量がわかる。ときどき、見ていてちょっと気なることがあれば、「そろそろ草が生えたあるなぁ」と、彼ら自身に、あるいは彼らの「運転手」にそっと耳打ちしてくださる。直接対峙し向きあうだけではない、お茶の木や茶畑を媒介にしたほどよいコミュニケーションが可能であったことも大きいのだろうと思います。同じお茶畑を見ながら、横に並んで(stand by)、お茶畑やお茶を介して、学生たちと地域の方々が経験や気持ちをやりとりする。一方通行(一項関係)ではない、双方向(二項関係)ともまた違う、現在・過去・未来をもつなぐ「三項関係」のコミュニケーション。これもまた「茶縁」の秘密。
地元生産者の方々の存在があり、そのほかいろいろな要因が重なって、学生たちは今日まで通い、そこで学び、育ち、卒業しても、お茶摘み時期には、もう一つのふるさとに里帰りするように、奥永源寺・政所の茶畑に帰ってきます。奥永源寺・政所のお茶と人との出会いから、たくさんの“この一人”の人たちの物語が生まれています。
茶摘みの時期には卒業生も畑に集う
茶に浮かされて
まだまだ、自分たちのお預かりしているお茶畑だけで精いっぱい。地域の皆さんの助けになれればという気持ちはあれど、実際は、お助け頂くことばかりです。けれども今回のクラウドファンディングを通して、地元の皆さんが思う以上に、奥永源寺・政所地域と政所茶、そしてなにより、それを守り伝えてこられた人たちとその暮らしに魅了され、できれば力になりたいという人たちの存在が可視化されました。
これからは、学生たちが、このような、政所茶を愛する人たちとともに、あらたな“この一人”の人々を「口車」に乗せながら、引き続き、政所茶をめぐる幸せの循環のエンジンとして力を発揮してくれたらと思っています。
学生たちのお供をしながら私自身も学生ともども、「シターっと甘い」政所の「茶に浮かされ」て13年目になりました。居眠りの許されない「運転手」にとっては、それは大事なことかと思います。
=====ここまで=====
ありがとうございました!
始まりのあの日から13年。学生団体・滋賀県立大学政所茶レン茶゛ーは当時の学生たちの想いを引き継いで、今も畑に通い、昔ながらの方法でお茶づくりに取り組んでいます。
現代表のインタビューも併せてご覧ください。
クラウドファンディングも残り1週間を切りました。生産者みんなで最後まで走りきっていきます。最後の応援をどうぞよろしくお願いいたします!






