福祉×アート|軽井沢発アートブランドSuu to.は、やさしさの循環をつくりたい

社会との間に障害があるクリエイターが、芸術の専門家や福祉専門職員と共に作品を生み出すアートブランド「Suu to.」。軽井沢のアトリエを拠点に、障害や制約により社会から遠ざかってしまった才能に光を当て、より豊かで、より自律した福祉事業の実現を目指します。

現在の支援総額

1,884,000

31%

目標金額は6,000,000円

支援者数

120

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/06/25に募集を開始し、 120人の支援により 1,884,000円の資金を集め、 2025/07/31に募集を終了しました

福祉×アート|軽井沢発アートブランドSuu to.は、やさしさの循環をつくりたい

現在の支援総額

1,884,000

31%達成

終了

目標金額6,000,000

支援者数120

このプロジェクトは、2025/06/25に募集を開始し、 120人の支援により 1,884,000円の資金を集め、 2025/07/31に募集を終了しました

社会との間に障害があるクリエイターが、芸術の専門家や福祉専門職員と共に作品を生み出すアートブランド「Suu to.」。軽井沢のアトリエを拠点に、障害や制約により社会から遠ざかってしまった才能に光を当て、より豊かで、より自律した福祉事業の実現を目指します。

社会課題の解決をみんなで支え合う新しいクラファン

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Suu to.アトリエリスタの塚元恵です。
Suu to.にたどり着いた経緯について、私個人の運営する教室find、その立ち上げの背景となった前事業所での経験をお話しさせていただいていただきます。その全てがSuu to.に繋がっているのでお付き合いください。


findは2023年4月に中軽井沢の駅に隣接するチャレンジショップにオープンしました。findのロゴはf,i,n,dのアルファベットをそれぞれ違うフォントで四角に集めたものです。違いを大事に、障がいがあってもなくてもそれぞれが引き立てあって、同じ空間で創作するイメージで考えました。


【findを立ち上げた想い】

当時私は就労継続B型の施設で成人の方のデザインの支援と商品開発をする職員として勤務していました。美術大学を出て作家らしいことをやっていましたが、才能がないと思い、創作から一旦離れました。出産をし、パートに出るようになり、偶然勤務先からお手伝いに行った障がい福祉の現場に、私は衝撃を覚えました。私のやりたかったことがここにあったと。才能がないと思ったけれど、こういう形で創作に関わることができるんだと、約4年半勤めました。


そこでは事業所の形態上、障がいのある方が創作は「仕事」として向き合う姿がありました。みなさん絵の心得がある人ばかりではありません。おそらく学校の図工や美術以外では創作に関わったことのない方々です。もちろん、ここでなら自分を表現できると選んで通所いただいていた方もいらしゃいました。その様々な感性が飛び交うアトリエは幸せそのものでした。


自分の座っていた席に誰かに座られてしまい、そこ、座っていたんですけど、とは言えなくても白い絵の具を使いたかったら、これ貸してもらえますか?とは言える。他の人とは関わるのが苦手な方もだんだんとリラックスして過ごすことができ、この絵どうやって描いたんですか?今どんなもの描いているんですか?と休憩時間に和気藹々と盛り上げることもある。創作はコミュニケーションのツールなんです。


通所まもない、会った時は目も合わせられなかった方が、描くことを通して少しずつ自信をとり戻し、笑顔になり、下を向ていた顔がだんだんと上を向くようになり、最後は就職されていく。そんな姿を見ることがとても嬉しかったです。


最初は絵なんて描けないという方もいらっしゃいました。描けるけれど、途中で自分の想いが文字になって画面に共存してしまう。それでもアートと言い切れば良いですが、プロダクトデザインにはなかなか採用が難しい。この方は運転免許をとりたくて、一緒に仮免のテキストも勉強しました。文字だけでは到底頭に入らないのですが、一緒にロールプレイしながら、状況を体で覚えてもらって、見事仮免を通過したことを聞いた時は、自分の子供のことのように嬉しかったです。なかなか商品に昇華しにくいこの利用者さんが、売れる絵を描いてと言われ、職員がベタつきで文字を書かないか見張られる中、ヘッドホンをして音楽を聞いていたので、綿棒をお渡ししトゥオンブリーの絵を画像で見てもらって、こんなふうに、鼻歌まじりにかけますか?と提案するとそれは素晴らしい、まさに鼻歌まじりの画風になり、何枚も楽しそうに描いてくださったということもありました。今までの関係性があるからこそ、辿り着けたのだと思います。私がこの事業所を辞めるときの寄せ書きに「つかもとさんに免許をとったら見てもらいたかったです」と書いてあり、気持ちが届いていたんだなと泣けてきました。この経験はのちのunicoの支援でも大きく影響しています。


このようなエピソードはおひとりおひとりにいくらでも出てくるのですが、永遠に続いてしまうので、話を元に戻します。ただ、ここでの経験は、間違いなく私の人生を変えました。


前述していますが、天職だと思って心酔していたのに、私はこの会社を辞めました。突然会社がブランドをたたんでしまったんです。ブランド名を変え、利用者さんはそのままですが、以前と雰囲気は変わりました。売れるものを描いてくださいと指示をする始末。彼らでなくとも、そんな心のない作品を創ることを強要されて楽しいはずがありません。ましてや彼らは障がい(障害)があり、周りで励ましたり、相談したり、提案しないと描けない方々。全盛期はそれはもう、みなさん自分に自信を持ち、創作の楽しさ素晴らしさを一緒に共有してきましたが、その熱気は日を追うごとに萎んでいきました。


こんなに素晴らしい経験ができていたのに、みんなの自信になっているのに辞めてしまってはいけない、なんとか継続できないかと、他の事業所にも掛け合ったりしましたが上手くいかず、最終的に私の出した答えは自分で教室を始めることでした。私、才能はないのですが運はいいんです。リスクなく始める方法を考えていたときにチャレンジショップのことを思い出し、調べるとなんと募集しているではありませんか!

それからは夜な夜な資料を作り、プレゼンに臨みました。合格の通知がポストに入っていた時は、玄関の前で声を上げて泣きました。やっと続けられるチャンスを得たと。ここに辿り着くまで苦しかった。好きを表現できないってこんなにも苦しのだと思い知りました。

2月の終わりに合格通知が来て、4月のオープンまでは絵に描いたような寝る間も惜しむ日々。勤務しながら、ワンオペ育児を回しながら、本当にヘロヘロでしたが、苦しくはなかった。自分の手で切り開く切符を手に入れたのですから。


でも。。。オープンしましたが、最初は誰も生徒さんがいませんでした。誰も来ないアトリエで自分で絵を描いていた日曜日が懐かしいです。

そして6月に運命の出会い、生徒さん第1号がいらっしゃいました。当時小学校2年生の男の子です。ぽつりぽつりとお話ししてくれる姿が可愛かった。絵を通して気持ちを通わせることがまたできて、本当に嬉しかったです。時には描きたくない日もあって、一緒に外を一回りして石を拾って。拾った石を転がして描くね、って描きたくなかった子が生き生きとし始める。私で役に立てたかな?と思いながら、素敵な一枚が完成して、あー楽しかった!と笑ってくれる。なんて素晴らしい時間!絵を描くことはこんなに人を元気にさせるのだと逆に元気をもらっていました。

そんな日々を過ごしていたら前職でご一緒だった成人の方も「道具を買ったけど、一人じゃ描けないんです」集まってくださり。

findはこうして2年間、チャレンジショップで活動して来ました。


駅前のfind時代。狭い空間にものづくりの喜びがひしめき合って、みんな真剣でした。この間、前事業所を退職し、一旦不動産管理会社に入社します。ここでさらに私を変える運命の出会い、佐藤とunicoに出会うのでした。入ったばかりの会社を辞めて、立ち上げに参加するのはとても勇気がいりました。散々悩みましたが、どうしても現場に戻りたかった。佐藤の思い描く「精神的に豊かな社会」を見てみたかった。そこで転職してたった3ヶ月、1年間で2回目の転職をし、unico軽井沢に絵を中心に支援することを請負い、教室長として迎えいただきました。

unicoに入るのに事業所が潰れないかなどの心配もありましたが、単純に児童の支援に不安がありました。自分は母ですが、正直、子供大好きなんです!というタイプではなく。仕事として描いてもらうことはできるけれど、経験がなくどうしたら良いのか不安でした。案の定、おいでいただた子ども達はとても絵を描くような状態ではなく(笑)、佐藤も書いていたように関係性の構築から始めなくてはいけないと強く思いました。今では「あなたが笑顔なら、絵を描かなくたって良いんだ」という境地にたっています。

成人の支援から個人の教室で年齢関係なく関わることを経験し、unicoで子どもたちと真剣勝負で付き合い、見えたことがあります。関係性があることが、成人であろうと子どもであろうと障がいがあろうとなかろうと、何よりいちばんの創作へのきっかけなのだとわかりました。いつかこの子達とも描けるといいなぁと思えるくらいの距離感が良いと思っています。(たまに描いてもくれるんです。そういう時は本当に教室が不思議な熱気に包まれます)

「unicoに森をつくろう」というタイトルで、吊るした紙にスプレーや箒で色を叩きつけました。特性をストレスなく発揮できる方法を考えるのは私の得意です。


そしてfindは現在の焼き鳥屋さんの2階のアパートに移ります。そこでも違いを認め合いながら、真剣に、笑いながら、創作をしていた矢先、Suu to.のクリエイターとなってくださったHANAYOさんが辞めると言い出したんです。理由は通っている事業所で就職を強く勧められて、もう来れないと。それ自体は仕方ないことなので頑張ってねと承諾しましたが、何かできることがあったのでは?と私自身も思い悩みました。本当は絵を描いて生計を立てたかったです、というHANAYOさんのためにできることはなかったか?そして佐藤に「これで良いとは思えない。どうにかしないと、みんな行くところがなくなってしまう」と話したのがSuu to.の始まりです。

Suu to.はビジネスとしても福祉の現場としても世の中と繋ぐ役割を果たす場所ですが、何より、みんなの「あー楽しかった!」と「元気」が優しさに包まれて守られる場所であってほしい。そういう場所を作るんだ、という想いで始まったのです。創作をすることが全てではないけれど、自分を労り、解放できる手段のひとつであることは間違いないと思っています。関係性を構築し、温め、人を信頼して自分を労る。その循環の中でさらにビジネスとしても還元が可能な、優しさの循環。
簡単なことではないのはわかっています。でも諦めたくない。前職のブランドがなくなってしまっても、私はチャンスを手にできた。これからもきっと、そうやって切り開けると信じています。アトリエに集まってくれる人がいる以上。きっと大丈夫。


note・unico教室長・Suu to.アトリエリスタ 塚元恵

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