
僕は昔からずっとコンプレックスだったことがありました。
それは『ふつう』であるということ。
どこにでもいそうな特徴の無い顔
これと言って得意なこともなく
通知表はオール3
良くも無ければ悪くもない。
なんでこんなに普通なんだ。
自分って何なんだろう。そんなことをよく考えていました。
そして『普通は嫌だ!』と決定的にコンプレックスとなったある出来事が起こります。
中学のときの卒業文集で
担任の先生からひとりひとりの生徒たちへ、一言で魅力を書いてくれるページがあったんです。
例えば、頭のいい女の子には『才女』とか、部活で野球を頑張っていた子には『野球少年』とか。
僕のところに書いてた一言、なんだったと思います?
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『いい子 その2』
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ある意味、衝撃です(笑)
『いい子』しかも『その2』ですよ。
いい子ってだけで何も書くことが思いつかなかったんだろうなって予想がつきますが、さらに『その1』にもなれなかったんです(笑)
見た瞬間もう、自分に言い聞かせました。
目立ったこともしていないし、先生から見ても何の特徴もない男子だったんだろう。勉強もスポーツもよく出来るわけじゃないし、仕方ないって。
でも、親友がそれを見て
『お前の人生、本当にそれでいいのか!?』
と言ってくれて、ハッとしました。
『いい子その2』は嫌だ。このまま普通で終わりたくなんかない!!
(余談ですがその親友は『少年剣士』って書いてもらってました。いいなー。)
中学を卒業し、高校に入った頃から僕はお笑いにハマります。
毎週放送されるダウンタウンの番組を食い入るように観て、レンタルビデオ店の棚を端から端までさらっては一人で笑っていました。
そして専門学校の学園祭。友人と組んだ即席コンビで披露した漫才が思いがけずウケちゃったんです。
普通で何の取り柄もなかった自分が、人を笑わせることができた。
単純な僕は、このとき、自分は舞台に立つ人間になる!と心に誓いました。
一度は社会のレールに戻り、スーツを着て、4年間サラリーマンとして働いたんですけどね。
でもやっぱり、普通の人生は嫌だ!っていう心の衝動があって。
そしてあの学際でウケた瞬間のことがどうしても忘れられなくて。
とうとう24歳で脱サラし、吉本の養成所に入学しました。
そこからの日々はお笑い漬け。夢にまみれた青春のような時間でした。
ただ現実は、夢だけでは食べていけずアルバイトが必要だったので、せっかくならネタになるような変わった仕事を、と思い色々探しては働いていました。
そこで選んだうちのひとつが「りんごの行商」だったんです。
初めてりんごを口にした時の衝撃は、今でもはっきりと覚えています。
販売を続けるうちに、りんごの知識が自然と身につき、りんごの深みにハマっていきました。
そしてあることに気づきます。
自分は「笑い」そのものよりも、「人の笑顔」を見たいのかもしれない、と。
芸人として売れる可能性は、限りなく低い。けど、美味しいりんごを届け、会話で楽しませ、最後にお客様の笑顔を見る。その一連の流れも、“芸”と呼んでいいのかもしれない。
僕は芸人を辞め、26歳でりんご専門店を立ち上げました。青森まで自ら赴き、農家さんと繋がりをつくり、イベントに出店してはりんごを売りました。
ちょうどSNSの波が押し寄せてきた時代。Facebookに投稿を続けると、少しずつ共感が広がっていきました。
ある日、待てど暮せど全く売れないイベントがあって、途方に暮れてたんです。
そうしたら、ふと芸人のときの記憶が蘇ってきちゃって。
「とにかく目立たなければ!ここも舞台と同じ!!」
そういうわけで、巨大なりんごの被り物をしてイベントに出るようになったんです。
ゆるキャラの着ぐるみみたいに大きな被り物だったので、通り過ぎる人が振り返って、それだけで笑いがとれるようになっていって。物珍しいので写真を撮る人も増えて、SNSで拡散されはじめて。それがいつの間にか「りんご王子」って言われるようになってたんです。
僕はその言葉に照れながらも嬉しさを隠せず、ついにSNSの名前を「りんご王子」に変えちゃいました(笑)
こうして様々な出会いや流れのなかで、りんご王子が爆誕したわけですが
元をたどれば、中学の卒業文集での先生の一言がなければ、普通じゃないことをしよう!なんて思わなかったかもしれません。
最初のきっかけと、普通じゃないことをしたい!っていう僕の原動力をつくってくれた担任の先生、今となっては感謝ですね。
これからもりんご王子としてみなさまに楽しんでもらえるよう、普通には留まらずたくさんチャレンジしていきますので、今後ともお付き合いよろしくお願いいたします!





