りんご王子、夢のスイーツ工房へ!台湾アップルケーキを全国に届けたい!

芸人からりんご王子へ── 人生を変えたりんごとの出会い。10年以上温め続けた、念願のりんご工房を立ち上げます。 応援、よろしくお願いします!

現在の支援総額

2,415,380

241%

目標金額は1,000,000円

支援者数

242

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/08/08に募集を開始し、 242人の支援により 2,415,380円の資金を集め、 2025/09/28に募集を終了しました

りんご王子、夢のスイーツ工房へ!台湾アップルケーキを全国に届けたい!

現在の支援総額

2,415,380

241%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数242

このプロジェクトは、2025/08/08に募集を開始し、 242人の支援により 2,415,380円の資金を集め、 2025/09/28に募集を終了しました

芸人からりんご王子へ── 人生を変えたりんごとの出会い。10年以上温め続けた、念願のりんご工房を立ち上げます。 応援、よろしくお願いします!

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りんご王子、夢への第一歩!

―「りんごのお菓子工房」立ち上げへの挑戦―

こんにちは、りんご王子です!

これまで11年間、全国を飛び回って「りんご」と「笑顔」を届けてきました。出会った人の数だけ物語があり、そのすべてにりんごがありました。そんな僕が今、新たな夢に向かって一歩を踏み出します。

それは自分の手で、りんごのお菓子を作って、皆さんに届けること。長年の夢だった【りんごのお菓子工房】の立ち上げに、挑戦します! 


芸人からりんご王子へ。人生を変えた、1個のりんご。

少しだけ、僕の話をさせてください。

かつて僕は、吉本で芸人として活動していました。ネタ探しのためにバイトを転々としていた24歳のある日、「りんごの行商人」という一風変わった仕事に出会います。

「おもしろそう!」と飛びついたそのバイトで、初めて食べた「トキ」という品種のりんご。一口かじった瞬間、衝撃が走りました。「こんなに美味しいりんごが、この世にあるのか!」さらに飲んだ100%ストレートのりんごジュース。体の芯から震えるような感動。まるで、新しい世界に出会ったような気持ちでした。

「もっとたくさんの人に、この感動を届けたい」そう思った瞬間から、僕の人生は変わり始めました。

芸人の相方に「お前、りんごと俺、どっちが大事やねん」と聞かれて、「りんご!」と即答(笑)その日、芸人は引退。そして「りんご王子」が誕生しました。

人を笑わせたり、楽しませるのが僕の原点。りんごは、芸人じゃなくなった僕に、「生きる意味と伝える使命」をくれました。


運命の出会い。心を震わせた台湾アップルケーキ。

これまで、アップルパイやジェラート、ワッフルなど、数々のりんごスイーツを手がけてきました。それぞれの専門店さんと妥協なく作り上げた、大切な宝物たちです。

その中でも、昨年から販売を開始した「台湾アップルケーキ」は、これまでで一番の反響をいただいています。

「もっと買えばよかった!」「美味しくて買い足しに来ました!」「手土産にしたらめっちゃ喜ばれました!」

おかげさまで、まとめ買いしてくださる方や、リピーターの方もたくさんいらっしゃいます。

このお菓子が生まれたのは、まさに運命でした。

アップルケーキ試作第1号

日持ちがして、ギフトにもなるようなりんご菓子が作れたらな…と悩んでいたある日、台湾のパイナップルケーキを見て、「これのりんご版がほしい!」とひらめきました。

すると、タイミングを合わせるように、親交のあったお菓子教室をされているササヤマキッチンさんが「これ、試作したんでよかったら」と渡してくれたのが

まさに! 台湾アップルケーキ!

鳥肌が立ちました。まるで心を読まれたかのようなタイミング。食べた瞬間、「これだ!」と確信しました。


「自分の手で作って届けたい」から始まった工房の夢

ですが、問題もありました。ササヤマキッチンさんはお菓子教室が本業で、安定的な製造は難しい状況。そこで「ご自身で作られたら?」と、レシピ監修をご提案いただいたのです。

これは僕にとって大きな転機でした。

「りんごのお菓子を自分で作りたい」10年以上温め続けたその夢に、ついに火がつきました。


とはいえ、お菓子を作るには製造許可の取得が必要です。条件は厳しく、これまでなかなか踏み出せませんでした。

でも今回、ようやく!自宅で製造許可を取得し、念願の「りんごのお菓子工房」立ち上げがスタートしました!


目指すのは「りんごで世界をもっと楽しくする」こと

これまで僕は、全国各地のポップアップやマルシェで直接りんごを届けてきました。お客さまの笑顔に、何度も勇気をもらいました。

でも、遠くに住んでいて来られない方にも、「届けたい」とずっと思っていました。

これからは、ネットショップでも購入できる「りんごのお菓子」として、そして、贈り物に選びたくなるギフトBOXとして、台湾アップルケーキを全国の皆さんにお届けしていきます。

りんごがみなさまにとって身近でありながらも特別な存在として、楽しいひとときをお手伝いできれば幸いです。


リターンについて

①5,000円 | 全力応援コース - お礼のメール

②10,000円 | 全力応援コース - お礼のお手紙

③6,000円 | りんご王子特選りんご4個

④6,000円 | 完成品アップルケーキ5個

⑤10,000円 | 青森県産ストレートりんごジュース1000ml 2本

⑥12,000円 | りんご王子特選りんご12個

⑦18,000円 | 早割リンゴづくしスペシャルセット(数量限定30)

⑦20,000円 | リンゴづくしスペシャルセット(数量限定60)

⑧30,000円 | 完成品アップルケーキ30個

⑨50,000円 | ケータリング出店(りんご飴50本まで提供)(数量限定5)

⑩30,000円/60,000円 | お名前プレート+SNS発信(個人/法人向け)

完売)8,000円 | りんご王子と語る昼さがりのごはん会(数量限定10)


スケジュール

6月 菓子製造許可の取得

7月 工房試運転開始

8月 クラウドファンディング開始

9月  クラウドファンディング終了

10月 設備完成/製造本格始動


資金の使い道

・設備費:100万円(業務用オーブン:50万円 / その他製造設備:50万円)

・リターン準備費用

・クラファンシステム利用手数料


最後に

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

これまで【りんご王子】として、たった一人で活動してきた僕にとって、「誰かに頼る」ということは、最も苦手なことでした。「自分さえ頑張ればいい」──そう思って生きてきたのです。だから、クラウドファンディングなんて、自分には絶対にできないと思っていました。

でも、これまでを振り返ってみると──お客様に支えられ、勇気をもらい、お得意様やイベント関係者の皆さまと出会い、共に仕事をする仲間や友人もできました。

大好きなことを仕事にして、人に恵まれた毎日。こんなに幸せな日々を送れていることに、改めて気づかされました。あれ?「たった一人でやってきた」なんて言っていたけれど、本当にそうだったのだろうか?

誰にも頼らず、一人で頑張ってきたつもりでいたけれど──実はずっと、僕のほうがたくさんの方に支えられて、生かされてきたのではないか?

ふと立ち止まり、いま目の前にあるものを見つめてみると、そこにあったのは「感謝」の気持ちだけでした。そして、自分の傲慢さを心から恥じました。

今回のクラウドファンディングも、本来であれば、もっと努力して、自分の力でなんとかすべきことなのかもしれません。それができないのは、自分の実力不足なのかもしれない。そう思う気持ちは、今も心のどこかにあります。

でも、現状では、家庭用の小さなオーブンと、限られた器具しかありません。アップルケーキの製造はごく少量ずつしかできず、本格的に多くの方にお届けするためには、業務用の大きな設備が必要になります。

「お願いすること」は、今でもやっぱり苦手です。でも今回は、勇気を出して、声をあげて伝えます。

台湾アップルケーキを、全国のみなさまにお届けしたい!

そのために──りんごのお菓子工房の立ち上げと、台湾アップルケーキの本格製造に向けて、どうかご支援をお願いいたします。


<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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  • 人生で一番天狗になっていた僕の鼻は、転職活動の大失敗により四つ折りの団子鼻に。そしてプライドは粉々に。ついにNSCに入学するのでした。NSCとは吉本興業が運営するお笑い芸人の養成所僕はそのNSCの大阪校、34期生として入学します。当時の僕は、人生最大の挫折を味わった直後。でも、サラリーマン時代に鍛えた企画力には根拠のない自信がありました。そのふたつが混ざり合って、天狗じゃないけど、まあ尖ってました(笑)入学面接のとき、待合室はとてもキャラの濃い人達でひしめき合っていたのですが僕はその中で窓際に脚を組んで腰掛け、読みかけの小さな文庫本を涼しい顔をして読んでいました(わざとです)そして心の中では「同期全員ネタでぶっ◯す」と思っていました(完全に尖り方間違ってます)ひとりで入学したのですが、地元が同じ香川県の同期と出会い、その彼とコンビを組むことになります。コンビ名は「モダンユタアーロン」その後、改名して「クアトロ」に。入学して少し経った頃、クラス分けオーディションがありました。当時のNSC大阪は一年制で、入学者は約600名。クラス分けオーディションとは・Aクラス 5組ほど・B1、B2クラス(1と2に上下無し) 7組ずつほど・Cクラス 残り全員ネタ見せをしておもしろかった順にこの3つのクラスに振り分けられAクラスとBクラスは選抜メンバーとなり、舞台のチャンスが与えられます。当時のAクラスは、今やテレビや賞レースで活躍している『蛙亭』や『さや香』などがいました。※『さや香』は当時は別の方とコンビを組まれていましたそして僕たちコンビは、Bクラスに入ることができたんです!ここでもし箸にも棒にも触れずCクラスだったら、この時点で諦めていたかもしれません。選抜クラスのメンバーとして爪痕を残しながら頑張っていたなか、ネタ探しのため、単発で様々なバイトをしていました。そのひとつで出会ったのが青森直送りんごの販売スタッフでした。仕事内容は、トラックに青森直送りんごを積み込み、駅前やイベント会場でひたすらりんごを販売するというものです。その販売スタイルがある意味衝撃だったのですが、さらにに衝撃だったのがりんごの美味しさでした。りんごってこんなに美味しかったのか!!四国出身の僕は本当に美味しい産直りんごを食べたことがなかったのです。ちょうどこのりんごのバイトをしている時期というのが、コンビ仲が上手くいかず行き詰まっていたときでした。ネタが思うようにいかない。貯金していたお金も底をつき、りんごのバイトを継続して生活を食い繋ぐ、もどかしい日々。でもそうしているうちに、だんだんりんごの販売が楽しくなってきたのです。りんごの美味しさをお客様に伝えるそこで会話が生まれ、買ってくれる「本当に美味しかった!」とまた伝えに会いに来てくれるそしてまたりんごを買ってくれるこの流れがとても心地良かったのです。26歳の僕は悩みました。「このまま芸人として挑戦を続けるか、それともりんごで新しい人生を始めるか。」悩んだ末に選んだのは、りんご屋として生きる道でした。元相方にはとても迷惑をかけました。上手くいってないのは相方のせい自分は何も悪くない僕は何もかも全部を人のせいにしていましたでも本当は違ったんです。上手くいっていないのは僕の稽古不足と勉強不足タレント性があるのは相方のほう相方のおかげでコンビを覚えてもらえていたこれが事実なんです。僕のくだらない見栄とプライドが、そのときあるものを潰してしまっていたんです。今でも思い出すと後悔の念が湧き出てきます。だって芸人生活自体、それはそれはもう魂が燃え上がるような時間で、僕はとても楽しかったのです。当時そのことに気づけなかった僕は、りんご専門店として26歳で起業したわけですが。これが魔の手だったとはその時の僕は露知らず────さて、発足したのは僕一人ではなく他に、元バイト先の男性店長元バイト先の男性スタッフの3人で立ち上げました。2人とも二回りほど年齢が離れていましたが、年が若い方が将来性があるということで僕が代表をすることになりました。何の知識も無く、若さと勢いだけで起業。経営のことは先輩2人が教えてくれるから大丈夫!この他人任せ&他責マインドから強行突破してスタートしたりんご屋さんはい、なんだか嫌な予感がしてきましたね(笑)早々にバランスは崩れ、大ケンカの日々です。挙げ句の果てに元バイト先の男性スタッフの正体が、なんと!詐欺師だったんです。しかも警察から捜索中の指名手配犯(笑)ある日突然、警察から僕の携帯に電話がかかってきてその事実を知らされるわけですが。地獄のようなサイクルの中様々な方の協力のおかげでその男は逮捕僕には多額の借金と、大大大赤字のりんご専門店だけが残りました(笑)元店長と2人になったりんご専門店そこからさらにケンカの日々ついに僕は一人きりになりそのままりんご屋さんを続けることにしました。ですがひとりで心許無い僕。詐欺師の男の逮捕に協力してくれた恩ある事業主の男性が、コンサルをしてくれることになりました。これで大丈夫、と安心して喜んだのも束の間、その男の正体は精神病を患ったチンピラだったんです(笑)ラスボスを倒したと思ったら、すぐにまた裏ボスが出てきたような気分。僕はそのチンピラに絡まれ続け、地獄のような日々を過ごしながら、なんとか歯を食いしばりながらりんご屋を続けました。この詐欺師からのチンピラのくだりが芸人引退後の26歳から30歳くらいの期間です。正直、20代後半の時間は思い出したくありません。いろいろと限界がきた僕は、警察に相談。警察が仲介してくれたことで、やっとチンピラと絶縁することができました。いよいよ心身ともに限界がきた僕は30歳で地元の香川県に帰り、りんごオフシーズンの春夏の半年間ほどを実家で療養しました。療養中はウェディングの仕事をみつけ、そこを手伝いながら過ごしていました。なんのストレスもない地元での暮らし。こんな人生もありかな────そんなことを思い始めていたりんごシーズンの秋が迫ってきたころSNSで、常連のお客様たちから沢山のメールが届いたのです。次のりんご販売はいつですか?りんご王子元気ですか?またりんご待ってます!お客様たちは僕のことを覚えてくれていました。もう地元で余生を過ごそうと思いつつあった僕ですが、もう一度関西に戻ってりんご屋をやろうと決意しました。30歳の秋、再び関西でりんご屋をスタート。それから9年。結婚もして、仲間も増えて、挑戦も失敗も繰り返しながら、今39歳になりました。今は「りんごのお菓子工房」の設立に向けてクラウドファンディングに挑戦中です。9月28日で終了するこの挑戦。最後の一瞬まで、皆さまへの感謝を胸に走り抜きたいと思います。――りんごと出会い、人と出会い、僕の人生は何度もやり直せました。これからも挑戦を続けていきますので、どうぞ応援よろしくお願いいたします! もっと見る
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コメント

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  1. 2025/09/02 20:40

    サードゴール目前ですね! アップルケーキ美味しいから もっともっとたくさんの人に食べてほしい。


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