りんご王子、夢のスイーツ工房へ!台湾アップルケーキを全国に届けたい!

芸人からりんご王子へ── 人生を変えたりんごとの出会い。10年以上温め続けた、念願のりんご工房を立ち上げます。 応援、よろしくお願いします!

現在の支援総額

2,415,380

241%

目標金額は1,000,000円

支援者数

242

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/08/08に募集を開始し、 242人の支援により 2,415,380円の資金を集め、 2025/09/28に募集を終了しました

りんご王子、夢のスイーツ工房へ!台湾アップルケーキを全国に届けたい!

現在の支援総額

2,415,380

241%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数242

このプロジェクトは、2025/08/08に募集を開始し、 242人の支援により 2,415,380円の資金を集め、 2025/09/28に募集を終了しました

芸人からりんご王子へ── 人生を変えたりんごとの出会い。10年以上温め続けた、念願のりんご工房を立ち上げます。 応援、よろしくお願いします!

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人生で一番天狗になっていた僕の鼻は、転職活動の大失敗により四つ折りの団子鼻に。そしてプライドは粉々に。ついにNSCに入学するのでした。NSCとは吉本興業が運営するお笑い芸人の養成所僕はそのNSCの大阪校、34期生として入学します。当時の僕は、人生最大の挫折を味わった直後。でも、サラリーマン時代に鍛えた企画力には根拠のない自信がありました。そのふたつが混ざり合って、天狗じゃないけど、まあ尖ってました(笑)入学面接のとき、待合室はとてもキャラの濃い人達でひしめき合っていたのですが僕はその中で窓際に脚を組んで腰掛け、読みかけの小さな文庫本を涼しい顔をして読んでいました(わざとです)そして心の中では「同期全員ネタでぶっ◯す」と思っていました(完全に尖り方間違ってます)ひとりで入学したのですが、地元が同じ香川県の同期と出会い、その彼とコンビを組むことになります。コンビ名は「モダンユタアーロン」その後、改名して「クアトロ」に。入学して少し経った頃、クラス分けオーディションがありました。当時のNSC大阪は一年制で、入学者は約600名。クラス分けオーディションとは・Aクラス 5組ほど・B1、B2クラス(1と2に上下無し) 7組ずつほど・Cクラス 残り全員ネタ見せをしておもしろかった順にこの3つのクラスに振り分けられAクラスとBクラスは選抜メンバーとなり、舞台のチャンスが与えられます。当時のAクラスは、今やテレビや賞レースで活躍している『蛙亭』や『さや香』などがいました。※『さや香』は当時は別の方とコンビを組まれていましたそして僕たちコンビは、Bクラスに入ることができたんです!ここでもし箸にも棒にも触れずCクラスだったら、この時点で諦めていたかもしれません。選抜クラスのメンバーとして爪痕を残しながら頑張っていたなか、ネタ探しのため、単発で様々なバイトをしていました。そのひとつで出会ったのが青森直送りんごの販売スタッフでした。仕事内容は、トラックに青森直送りんごを積み込み、駅前やイベント会場でひたすらりんごを販売するというものです。その販売スタイルがある意味衝撃だったのですが、さらにに衝撃だったのがりんごの美味しさでした。りんごってこんなに美味しかったのか!!四国出身の僕は本当に美味しい産直りんごを食べたことがなかったのです。ちょうどこのりんごのバイトをしている時期というのが、コンビ仲が上手くいかず行き詰まっていたときでした。ネタが思うようにいかない。貯金していたお金も底をつき、りんごのバイトを継続して生活を食い繋ぐ、もどかしい日々。でもそうしているうちに、だんだんりんごの販売が楽しくなってきたのです。りんごの美味しさをお客様に伝えるそこで会話が生まれ、買ってくれる「本当に美味しかった!」とまた伝えに会いに来てくれるそしてまたりんごを買ってくれるこの流れがとても心地良かったのです。26歳の僕は悩みました。「このまま芸人として挑戦を続けるか、それともりんごで新しい人生を始めるか。」悩んだ末に選んだのは、りんご屋として生きる道でした。元相方にはとても迷惑をかけました。上手くいってないのは相方のせい自分は何も悪くない僕は何もかも全部を人のせいにしていましたでも本当は違ったんです。上手くいっていないのは僕の稽古不足と勉強不足タレント性があるのは相方のほう相方のおかげでコンビを覚えてもらえていたこれが事実なんです。僕のくだらない見栄とプライドが、そのときあるものを潰してしまっていたんです。今でも思い出すと後悔の念が湧き出てきます。だって芸人生活自体、それはそれはもう魂が燃え上がるような時間で、僕はとても楽しかったのです。当時そのことに気づけなかった僕は、りんご専門店として26歳で起業したわけですが。これが魔の手だったとはその時の僕は露知らず────さて、発足したのは僕一人ではなく他に、元バイト先の男性店長元バイト先の男性スタッフの3人で立ち上げました。2人とも二回りほど年齢が離れていましたが、年が若い方が将来性があるということで僕が代表をすることになりました。何の知識も無く、若さと勢いだけで起業。経営のことは先輩2人が教えてくれるから大丈夫!この他人任せ&他責マインドから強行突破してスタートしたりんご屋さんはい、なんだか嫌な予感がしてきましたね(笑)早々にバランスは崩れ、大ケンカの日々です。挙げ句の果てに元バイト先の男性スタッフの正体が、なんと!詐欺師だったんです。しかも警察から捜索中の指名手配犯(笑)ある日突然、警察から僕の携帯に電話がかかってきてその事実を知らされるわけですが。地獄のようなサイクルの中様々な方の協力のおかげでその男は逮捕僕には多額の借金と、大大大赤字のりんご専門店だけが残りました(笑)元店長と2人になったりんご専門店そこからさらにケンカの日々ついに僕は一人きりになりそのままりんご屋さんを続けることにしました。ですがひとりで心許無い僕。詐欺師の男の逮捕に協力してくれた恩ある事業主の男性が、コンサルをしてくれることになりました。これで大丈夫、と安心して喜んだのも束の間、その男の正体は精神病を患ったチンピラだったんです(笑)ラスボスを倒したと思ったら、すぐにまた裏ボスが出てきたような気分。僕はそのチンピラに絡まれ続け、地獄のような日々を過ごしながら、なんとか歯を食いしばりながらりんご屋を続けました。この詐欺師からのチンピラのくだりが芸人引退後の26歳から30歳くらいの期間です。正直、20代後半の時間は思い出したくありません。いろいろと限界がきた僕は、警察に相談。警察が仲介してくれたことで、やっとチンピラと絶縁することができました。いよいよ心身ともに限界がきた僕は30歳で地元の香川県に帰り、りんごオフシーズンの春夏の半年間ほどを実家で療養しました。療養中はウェディングの仕事をみつけ、そこを手伝いながら過ごしていました。なんのストレスもない地元での暮らし。こんな人生もありかな────そんなことを思い始めていたりんごシーズンの秋が迫ってきたころSNSで、常連のお客様たちから沢山のメールが届いたのです。次のりんご販売はいつですか?りんご王子元気ですか?またりんご待ってます!お客様たちは僕のことを覚えてくれていました。もう地元で余生を過ごそうと思いつつあった僕ですが、もう一度関西に戻ってりんご屋をやろうと決意しました。30歳の秋、再び関西でりんご屋をスタート。それから9年。結婚もして、仲間も増えて、挑戦も失敗も繰り返しながら、今39歳になりました。今は「りんごのお菓子工房」の設立に向けてクラウドファンディングに挑戦中です。9月28日で終了するこの挑戦。最後の一瞬まで、皆さまへの感謝を胸に走り抜きたいと思います。――りんごと出会い、人と出会い、僕の人生は何度もやり直せました。これからも挑戦を続けていきますので、どうぞ応援よろしくお願いいたします!


いつも温かいご支援を本当にありがとうございます!いよいよ11月に三田で開催される「大人の学園祭」に向けて、特別なコラボ企画ライブ配信のお知らせです!今回は、主催者の fumiyoさん、実行委員の アップル吉田さん、そして りんご王子 と一緒に、LIVE配信を通して学園祭を盛り上げます!りんごの魅力と学園祭の熱気を、オンラインでも楽しんでいただける特別な企画です。○ライブ配信予定9月24日(火)22時〜 fumiyoさん × りんご王子 Facebookライブ9月25日(水)22時〜 アップル吉田さん × りんご王子 Facebookライブりんご王子のFacebookはこちら▽https://www.facebook.com/keiji.murakawa.5/?locale=ja_JP


りんご王子誕生秘話が思いのほか好評だったので、続編として、その後どのようにして今のりんご王子になっていったのかを書いてみようと思います!____________________【夢を追いかけ続けた20代前半】実は僕の20代前半は、平日はサラリーマン、週末は広告クリエイター専門学校の学生として、仕事と夢を同時に追いかける日々だったんです。もともと学生時代は漫才に夢中。卒業後は吉本の養成所に行こうと真剣に考えていました。でも家族からは猛反対、それを押しのけるほどの覚悟がありませんでした。両親から言われた言葉は「石の上にも三年」まずはサラリーマンを3年やってみなさい、それでも芸人をやりたければ好きにすればいい──僕は社会人になる道を選びました。就職先は日立のグループ会社業務内容は日立とIBM共同開発PCサーバの不良解析メカニックエンジニアとして愛知県の部署で働いていました。お笑いの世界とは正反対の、堅実そのものの仕事です。安定した給料、保証された休日、名刺ひとつで社会的信用はバッチリ!順風満帆の人生でした社会一般的な価値観で言えば。でも僕にとってはそれが苦しかった。『この生活を定年まで?つまらん!俺はこのために生まれてきたんじゃない!』入社して一ヶ月も経たずして、その気持ちが爆発してしまったんです。僕は考えました。「サラリーマンをして貯金しながら、次の夢の準備をしよう!」と。そして自分が何をしたいのか、改めて真剣に向き合いました。・漫才でネタを書くのが好きだった・斬新なアイディアを出すのが好きだったそのアイディアを活かせるサラリーマンはないだろうか?考えていると小学生のときに見たテレビCMを思い出しました。『このCM面白い!けど、俺ならもっと面白くできる!』小学生ながらそんなことを思っていたんです。あっ、これだ!!テレビCMのクリエイターってどうやったらなれるんだ?調べてみると、新宿に広告クリエイターの専門学校があることを発見。しかも週末だけの通学制。しかし当時は愛知県に住んでいたので通うのはほぼ不可能。諦めかけていたところ、なんと翌年度から神奈川県転勤の辞令が(笑)そうして22歳のときに、サラリーマンをしながら新宿の広告クリエイター専門学校に入学しました。平日はエンジニア、夜は課題、週末は新宿で授業。寝る間もない二刀流生活。そんな努力の末、2年目でACC学生CMコンクールという広告賞で応募数1709作品の中から大賞を受賞!まさかのその年の学生日本一になってしまったんです。(ちなみに受賞したのはエステーのムシューダのCMでした)さぁ、ここからが本番!この実績を携えて転職活動です。ところが、その栄光が逆にアダに。大賞受賞者ではおそらく前代未聞、転職活動を全敗してしまったんです。そうです、そのときの僕は「おれは天才広告クリエイターだ!」と過信していたのです(笑)もちろんそんな生意気な中途採用の若造なんてどの会社も雇ってくれませんよね。努力はあたりまえで、学校のスタッフさん、先生方、同期の仲間達にどれだけ支えられ、サポートしてもらっていたか、その全ての結果で受賞できたんだと今ならわかります。当時の未熟な僕は、そんなこともわからず、天狗の鼻を四つ折りくらいにへし折られ団子鼻になり(笑)人生のどん底を味わいました。でもその挫折が、また自分を見つめ直すきっかけになったんです。──本当の本当に、自分のやりたいことってなんだ?──広告クリエイターの夢は、安心を求めた逃げだったんじゃないか?「やっぱりアイディア一本で勝負してみたい!」そう気づいたとき、心の中のもやがスッと晴れていきました。あと、これは僕のなんとなくの直感だったんですけど20代前半のうちに自分がやりたいことを全力でやった方がいいと思っていたんです。その時の僕は24歳。20代前半が終わってしまう──そして僕は吹っ切れました「今しかない!」とついに吉本の養成所へ飛び込んだんです。こうして、サラリーマンと学生の二刀流の青春は、芸人への第一歩につながっていきました。____________________りんご王子の20代前半ストーリー、いかがだったでしょうか!?さて、芸人から今のりんご王子になるまでにはどんな道のりがあったのでしょうか?さらなるどん底が待ち受けていた?続きはまた来週アップしますのでみなさまお楽しみに!!


このたび、クラウドファンディングのリターンに【りんご王子とコラボLIVE配信権】を追加しました!りんご王子と一緒に、あなた自身が主役となる特別なLIVE配信を開催できる権利です。楽しい時間を共有しながら、コラボ配信者の魅力や活動をりんご王子が引き出し、全国へと発信していきます。特別感あふれるリターンとなっておりますので、この機会にぜひチェックしてください!


みなさま、本当にありがとうございます!サードゴールの到達だなんて夢にも思っていなかったのですが、ここまで来られたのはひとえに皆さまお一人おひとりの温かいご支援と応援のおかげです。心より感謝申し上げます。いただいたご支援は、設備費に加え、返礼品の準備費、手数料にあてさせていただきます。そしてクラファン期間は9月28日まで、あと3週間ほどあります。サードゴール達成後のご支援は、今後アップルケーキを楽しんでいただくための資金として運用させていただきます。色んなアイデアが浮かんでいてずっとワクワクしています!みなさんにお届けできる日が楽しみです。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。


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