
りんご王子誕生秘話が思いのほか好評だったので、続編として、その後どのようにして今のりんご王子になっていったのかを書いてみようと思います!
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【夢を追いかけ続けた20代前半】
実は僕の20代前半は、平日はサラリーマン、週末は広告クリエイター専門学校の学生として、仕事と夢を同時に追いかける日々だったんです。
もともと学生時代は漫才に夢中。卒業後は吉本の養成所に行こうと真剣に考えていました。
でも家族からは猛反対、それを押しのけるほどの覚悟がありませんでした。
両親から言われた言葉は
「石の上にも三年」
まずはサラリーマンを3年やってみなさい、それでも芸人をやりたければ好きにすればいい──
僕は社会人になる道を選びました。
就職先は日立のグループ会社
業務内容は日立とIBM共同開発PCサーバの不良解析
メカニックエンジニアとして愛知県の部署で働いていました。
お笑いの世界とは正反対の、堅実そのものの仕事です。
安定した給料、保証された休日、名刺ひとつで社会的信用はバッチリ!
順風満帆の人生でした
社会一般的な価値観で言えば。
でも僕にとってはそれが苦しかった。
『この生活を定年まで?つまらん!俺はこのために生まれてきたんじゃない!』
入社して一ヶ月も経たずして、その気持ちが爆発してしまったんです。
僕は考えました。
「サラリーマンをして貯金しながら、次の夢の準備をしよう!」と。
そして自分が何をしたいのか、改めて真剣に向き合いました。
・漫才でネタを書くのが好きだった
・斬新なアイディアを出すのが好きだった
そのアイディアを活かせるサラリーマンはないだろうか?
考えていると小学生のときに見たテレビCMを思い出しました。
『このCM面白い!けど、俺ならもっと面白くできる!』
小学生ながらそんなことを思っていたんです。
あっ、これだ!!
テレビCMのクリエイターってどうやったらなれるんだ?
調べてみると、新宿に広告クリエイターの専門学校があることを発見。しかも週末だけの通学制。
しかし当時は愛知県に住んでいたので通うのはほぼ不可能。
諦めかけていたところ、なんと翌年度から神奈川県転勤の辞令が(笑)
そうして22歳のときに、サラリーマンをしながら新宿の広告クリエイター専門学校に入学しました。
平日はエンジニア、夜は課題、週末は新宿で授業。寝る間もない二刀流生活。
そんな努力の末、2年目でACC学生CMコンクールという広告賞で応募数1709作品の中から大賞を受賞!
まさかのその年の学生日本一になってしまったんです。
(ちなみに受賞したのはエステーのムシューダのCMでした)

さぁ、ここからが本番!
この実績を携えて転職活動です。
ところが、その栄光が逆にアダに。
大賞受賞者ではおそらく前代未聞、転職活動を全敗してしまったんです。
そうです、そのときの僕は
「おれは天才広告クリエイターだ!」と過信していたのです(笑)
もちろんそんな生意気な中途採用の若造なんてどの会社も雇ってくれませんよね。
努力はあたりまえで、学校のスタッフさん、先生方、同期の仲間達にどれだけ支えられ、サポートしてもらっていたか、その全ての結果で受賞できたんだと今ならわかります。
当時の未熟な僕は、そんなこともわからず、天狗の鼻を四つ折りくらいにへし折られ団子鼻になり(笑)人生のどん底を味わいました。
でもその挫折が、また自分を見つめ直すきっかけになったんです。
──本当の本当に、自分のやりたいことってなんだ?──
広告クリエイターの夢は、安心を求めた逃げだったんじゃないか?
「やっぱりアイディア一本で勝負してみたい!」
そう気づいたとき、心の中のもやがスッと晴れていきました。
あと、これは僕のなんとなくの直感だったんですけど
20代前半のうちに自分がやりたいことを全力でやった方がいいと思っていたんです。
その時の僕は24歳。
20代前半が終わってしまう──
そして僕は吹っ切れました
「今しかない!」とついに吉本の養成所へ飛び込んだんです。
こうして、サラリーマンと学生の二刀流の青春は、芸人への第一歩につながっていきました。
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りんご王子の20代前半ストーリー、いかがだったでしょうか!?
さて、芸人から今のりんご王子になるまでにはどんな道のりがあったのでしょうか?
さらなるどん底が待ち受けていた?
続きはまた来週アップしますのでみなさまお楽しみに!!



