
人生で一番天狗になっていた僕の鼻は、転職活動の大失敗により四つ折りの団子鼻に。そしてプライドは粉々に。
ついにNSCに入学するのでした。
NSCとは吉本興業が運営するお笑い芸人の養成所
僕はそのNSCの大阪校、34期生として入学します。
当時の僕は、人生最大の挫折を味わった直後。
でも、サラリーマン時代に鍛えた企画力には根拠のない自信がありました。
そのふたつが混ざり合って、天狗じゃないけど、まあ尖ってました(笑)
入学面接のとき、待合室はとてもキャラの濃い人達でひしめき合っていたのですが
僕はその中で窓際に脚を組んで腰掛け、読みかけの小さな文庫本を涼しい顔をして読んでいました(わざとです)
そして心の中では「同期全員ネタでぶっ◯す」と思っていました(完全に尖り方間違ってます)
ひとりで入学したのですが、地元が同じ香川県の同期と出会い、その彼とコンビを組むことになります。
コンビ名は「モダンユタアーロン」
その後、改名して「クアトロ」に。
入学して少し経った頃、クラス分けオーディションがありました。
当時のNSC大阪は一年制で、入学者は約600名。
クラス分けオーディションとは
・Aクラス
5組ほど
・B1、B2クラス(1と2に上下無し)
7組ずつほど
・Cクラス
残り全員
ネタ見せをしておもしろかった順に
この3つのクラスに振り分けられ
AクラスとBクラスは選抜メンバーとなり、舞台のチャンスが与えられます。
当時のAクラスは、今やテレビや賞レースで活躍している『蛙亭』や『さや香』などがいました。
※『さや香』は当時は別の方とコンビを組まれていました
そして僕たちコンビは、Bクラスに入ることができたんです!
ここでもし箸にも棒にも触れずCクラスだったら、この時点で諦めていたかもしれません。
選抜クラスのメンバーとして爪痕を残しながら頑張っていたなか、ネタ探しのため、単発で様々なバイトをしていました。
そのひとつで出会ったのが青森直送りんごの販売スタッフでした。
仕事内容は、トラックに青森直送りんごを積み込み、駅前やイベント会場でひたすらりんごを販売するというものです。
その販売スタイルがある意味衝撃だったのですが、
さらにに衝撃だったのがりんごの美味しさでした。
りんごってこんなに美味しかったのか!!
四国出身の僕は本当に美味しい産直りんごを食べたことがなかったのです。
ちょうどこのりんごのバイトをしている時期というのが、コンビ仲が上手くいかず行き詰まっていたときでした。
ネタが思うようにいかない。
貯金していたお金も底をつき、りんごのバイトを継続して生活を食い繋ぐ、もどかしい日々。
でもそうしているうちに、だんだんりんごの販売が楽しくなってきたのです。
りんごの美味しさをお客様に伝える
そこで会話が生まれ、買ってくれる
「本当に美味しかった!」とまた伝えに会いに来てくれる
そしてまたりんごを買ってくれる
この流れがとても心地良かったのです。
26歳の僕は悩みました。
「このまま芸人として挑戦を続けるか、それともりんごで新しい人生を始めるか。」
悩んだ末に選んだのは、りんご屋として生きる道でした。
元相方にはとても迷惑をかけました。
上手くいってないのは相方のせい
自分は何も悪くない
僕は何もかも全部を人のせいにしていました
でも本当は違ったんです。
上手くいっていないのは僕の稽古不足と勉強不足
タレント性があるのは相方のほう
相方のおかげでコンビを覚えてもらえていた
これが事実なんです。
僕のくだらない見栄とプライドが、そのときあるものを潰してしまっていたんです。
今でも思い出すと後悔の念が湧き出てきます。
だって芸人生活自体、それはそれはもう魂が燃え上がるような時間で、僕はとても楽しかったのです。
当時そのことに気づけなかった僕は、
りんご専門店として26歳で起業したわけですが。
これが魔の手だったとはその時の僕は露知らず────
さて、発足したのは僕一人ではなく他に、
元バイト先の男性店長
元バイト先の男性スタッフ
の3人で立ち上げました。
2人とも二回りほど年齢が離れていましたが、年が若い方が将来性があるということで僕が代表をすることになりました。
何の知識も無く、若さと勢いだけで起業。
経営のことは先輩2人が教えてくれるから大丈夫!
この他人任せ&他責マインドから強行突破してスタートしたりんご屋さん
はい、なんだか嫌な予感がしてきましたね(笑)
早々にバランスは崩れ、大ケンカの日々です。
挙げ句の果てに元バイト先の男性スタッフの正体が、なんと!詐欺師だったんです。
しかも警察から捜索中の指名手配犯(笑)
ある日突然、警察から僕の携帯に電話がかかってきてその事実を知らされるわけですが。
地獄のようなサイクルの中
様々な方の協力のおかげでその男は逮捕
僕には多額の借金と、大大大赤字のりんご専門店だけが残りました(笑)
元店長と2人になったりんご専門店
そこからさらにケンカの日々
ついに僕は一人きりになり
そのままりんご屋さんを続けることにしました。
ですがひとりで心許無い僕。
詐欺師の男の逮捕に協力してくれた恩ある事業主の男性が、コンサルをしてくれることになりました。
これで大丈夫、と安心して喜んだのも束の間、その男の正体は精神病を患ったチンピラだったんです(笑)
ラスボスを倒したと思ったら、すぐにまた裏ボスが出てきたような気分。
僕はそのチンピラに絡まれ続け、地獄のような日々を過ごしながら、なんとか歯を食いしばりながらりんご屋を続けました。
この詐欺師からのチンピラのくだりが
芸人引退後の26歳から30歳くらいの期間です。
正直、20代後半の時間は思い出したくありません。
いろいろと限界がきた僕は、警察に相談。
警察が仲介してくれたことで、やっとチンピラと絶縁することができました。
いよいよ心身ともに限界がきた僕は
30歳で地元の香川県に帰り、
りんごオフシーズンの春夏の半年間ほどを実家で療養しました。
療養中はウェディングの仕事をみつけ、そこを手伝いながら過ごしていました。
なんのストレスもない地元での暮らし。
こんな人生もありかな────
そんなことを思い始めていた
りんごシーズンの秋が迫ってきたころ
SNSで、常連のお客様たちから沢山のメールが届いたのです。
次のりんご販売はいつですか?
りんご王子元気ですか?
またりんご待ってます!
お客様たちは僕のことを覚えてくれていました。
もう地元で余生を過ごそうと思いつつあった僕ですが、もう一度関西に戻ってりんご屋をやろうと決意しました。
30歳の秋、再び関西でりんご屋をスタート。
それから9年。結婚もして、仲間も増えて、挑戦も失敗も繰り返しながら、今39歳になりました。
今は「りんごのお菓子工房」の設立に向けてクラウドファンディングに挑戦中です。
9月28日で終了するこの挑戦。
最後の一瞬まで、皆さまへの感謝を胸に走り抜きたいと思います。
――りんごと出会い、人と出会い、僕の人生は何度もやり直せました。
これからも挑戦を続けていきますので、どうぞ応援よろしくお願いいたします!



