皆様こんにちは。
お元気にされていますか、やっと涼しくなりましたね。
本の制作目処もいよいよ、あと一カ月となりました。
歴史にまつわる作品はいつもそうですが
これも書いてください。。と言わんばかりに、霊的な現象が起こります。
新しい題材を扱う時は、関係箇所への鎮魂ご挨拶の参拝は必須です。
かつて、交野の羽衣伝説を描く時は
静岡県の美保の松原や、丹後の羽衣伝説の神社などに御礼参拝にいきました。
そして今は、改めてニギハヤヒが天津御祖から持たされた十種神宝の深さを感じています。十種神宝とはなにか?
究極は、神人一体。神人和楽、神人和合にいきつくと思います。
詳しくは本に書きますのでどうぞお楽しみにしていてください。
日本の十種神宝の話を散々書いておきながら、最後はちゃぶ台ひっくり返すみたいに、シュメールの十種神宝の匂わしに入るとは思いますが、とにかく、
宗教本みたいに祈りの話ばかりになってます。笑
天理教の中山みき、の話もかなり書いています。大本の出口王仁三郎もですが、明治時代は、とにかく逮捕、逮捕、神殿爆破、拷問、竹内宿禰の富山の神宮も、燃やされた記録は目にしますし、竹内巨麿関係者も水戸裁判、逮捕とかです。
理由はWikiより添付させて頂きます。
明治維新以降、帝国政府(大日本帝国)は宗教に対する統制を強化し、神道系新宗教(黒住教、金光教、天理教等)も教派神道として国家の公認下に入った[2]。一方、明治時代後期に誕生した大本教(事件当時は皇道大本)は、教祖出口王仁三郎の活動により教勢を拡大し、知識人・軍人の入信、新聞社の買収、政治団体との連携や海外展開により大きな影響力を持つようになった[1]。大本教(王仁三郎)の活動に政府・警察・司法当局は危機感を抱き、結果、二度の大本事件に発展した[1]。1921年(大正10年)2月、当局は大本に不敬罪と新聞紙法違反を適用し、王仁三郎含め三名を起訴した(第一次大本事件)[1]。1935年(昭和10年)12月、当局は治安維持法を適用して王仁三郎夫妻以下1000名近くを検挙(起訴61名)[1]。大本関連の施設は破壊され、関連組織も解体された(第二次大本事件)[1]。
一連の大本事件は国家権力による宗教団体への統制と弾圧であり[3]、一種の国策捜査であった[4]。同時に国家神道と新宗教の神話体系・歴史観の対立という側面も強い[5]。わけても第二次大本事件は第一次大本事件にくらべて遥かに大規模であり、また昭和史に与えた影響も大きいが、その評価は現代でも定まっていない[6]。大本聖師/二代教主輔出口王仁三郎についての解釈が難しいからである[7]。二度とも王仁三郎逮捕の後に大本の建造物は破壊され、信者の中から分派(第一次事件前後では神道天行居・生長の家など。第二次事件前後では世界救世教・三五教など)が独立した[8]。
ざっくりですが、こんな感じです。
ちなみに、王仁三郎の祖はニギハヤヒと出口家のかた本人が書物に残されました。
明治は、天照大神、国家神道ですが、
ニギハヤヒ側の口伝には、
伊勢の神宮には、天照大神ではなく
北極星信仰のいわれがあります。
とはいえ、表に出ることはなく
天皇、市民のみなさんの安泰を願っているので、今では水面下で粛々祭祀されている。。という感じです。
規模や立場は違えど、そんな方は水面下で沢山おられるかと思います。
そして、ラストにタイトルの偽書。
交野では先代旧事本記が中心です。それしか十種神宝、ニギハヤヒ、物部の詳しい話がない。。というのと同時に、
古事記ができる前に大切にされてた書物でした。
偽書説は、古事記のあとになっていますが、
古事記の序文には
先代旧事と、帝王日嗣(竹内宿禰口伝者)を参考に、考察して古事記編纂するようにかかれています。
なので、先代旧事本記については
存在していた正当な書物とされています。
以上になります。
引き続き宜しくお願いいたします!!
どうぞ、楽しい秋をお迎えください






