
東日本大震災から15年目の今年
防災番組とイベントを見て今感じていること
先日、防災を扱うテレビ番組で、ある自治会の防災訓練の様子が
紹介されていました。
若い世代の参加もあり、「地域で防災に取り組もう」という前向きな雰囲気が
伝わってくる内容でした。
訓練の流れは、次のようなものでした。
自治会の集会室にいるときに大地震が起きる。
①参加者は長テーブルの下に入り、揺れが収まるのを待つ。
②その後、全員で避難所に指定されている小学校の体育館へ移動
③テントや簡易ベッドを組み立てる。
参加した若い世代の方は、「テントがあることでプライバシーが守られると感じた」と
話していました。
最後は、「年齢の違う人たちが協力して、避難所をみんなで運営していくんですね」
という言葉で締めくくられていました。
一見すると、とても分かりやすく、「防災とはこういうものなのだ」と
安心感を与える内容だったと思います。
しかし、私は見ながら、どうしても拭えない違和感を覚えました。
その理由は、とてもシンプルです。
ほとんどの人は、避難所に入れません。
これは感覚の話ではなく、事実です。東京をはじめとする多くの都市部では、
避難所に収容できる人数は、人口の約2割程度と言われています。
つまり、8割以上の人は、物理的に避難所に入れないのです。
それにもかかわらず、番組では、「地震が起きたら避難所へ行き、
テントや簡易ベッドを設営する」という流れが、
当たり前のように描かれていました。
これは、現実とは大きく異なります。
私は、能登半島地震の被災地などを実際に見てきました。
能登半島地震は、
発災直後、避難所は想定の3倍の被災者がきて、
すぐにキャパシティを超えていました。
最初に始まったのは、テントや簡易ベッドの設営ではありません。
雑魚寝でした。
スペースも足りない、物資も足りない。人が多く、現場は混乱していました。
テントやパーテーションが使えるようになったのは、
人が減り、時間が経ってからのことです。
つまり、「避難所でテントを組み立てる」という光景は、
初動の姿ではなく後の段階なのです。
それを、あたかも「地震が起きたら、次はこれ」という順番で伝えてしまうことに、
私は強い危うさを感じました。
そして、これはテレビ番組や自治会の訓練だけの問題ではありません。
民間企業が行う防災イベントにも、同じ構造があると感じています。
民間の防災イベントは、来場者に分かりやすく、体験しやすく、
写真や動画にもなりやすい内容が選ばれがちです。
テント設営、段ボールベッド体験、非常食の試食などは、「やっている感」や
「安心感」を伝えやすいからです。
それ自体、決して悪いわけではありません。
ただ、伝え方を間違えると、
「ここに行けば何とかなる」
「誰かが用意してくれている」という意識を、
知らず知らずのうちに強めてしまう可能性があります。
人は、繰り返し見せられた行動を、「正解」や「前提」として学習します。
地震が起きたら避難所へ。
行けば整っている。
誰かが用意してくれる。
この流れを、訓練や番組、イベントを通じて何度も見せられることで、
「自宅でそこまで備えなくてもいい」「行けば何とかなる」
という考えが生まれやすくなります。
これは怠慢ではなく、人間の自然な心理反応です。
避難所運営訓練や防災イベントには、もちろん意味があります。
共助の意識が育つこと。
顔の見える関係ができること。
役割分担を考えるきっかけになること。
一方で、語られにくい側面もあります。
避難所が「万能」だと誤解されること。
入れない人の存在が見えなくなること。
自助の優先順位が下がってしまうこと。
問題は、訓練やイベントそのものではなく、
描き方と位置づけだと思っています。
本当に必要なのは、「前提条件」をきちんと伝えることです。
たとえば、
この避難所に入れるのは、地域の約2割であること。
今日は「入れた側」の訓練であること。
多くの人は、自宅や別の場所で過ごす可能性があること。
こうした前提を共有した上で行うだけでも、
受け取られ方は大きく変わります。
防災は、「安心させること」ではなく、
「考える力を育てること」だと、私は思っています。
「大丈夫ですよ」と言うことではなく、
「あなたは、どうしますか?」と問いかけること。
避難所に行く人。
自宅にとどまる人。
親戚や知人を頼る人。
車中泊を選ぶ人。
正解は、一つではありません。
だからこそ、自治会の訓練も、
民間企業の防災イベントも、もっと現実を踏まえ、
一人ひとりが考える防災につながる形で行われていく必要があると感じています。
防災アドバイザー岡部梨恵子






