『モンシロチョウの朝に』

今朝は青空だった。
私は一軒の家の前に立っていた。
音楽教室の運営をしている私は、 レッスンをつくる日もあれば、終わりを告げなければならない日もある。
今日は、その「終わり」を伝えに来ていた。
よく手入れされた庭。
そこにモンシロチョウが一羽、ふわりと舞っている。
――でも、胸の中は少し曇っていた。
昭和歌謡を歌ったり、体を動かして楽しんだりするレッスンは、皆さん本当に楽しそうだった。
けれど、コロナを境に環境は一変した。 体調の問題、ご家族の介護、生活の変化。
「続けたいのに、続けられない」という声が、次々に増えていった。
5人いたクラスは、徐々に減り、最後に残った1人の生徒さん。
その方はレッスン開講当初から、本当に熱心な方だった。
先生がコロナ後の再開に迷っていた時、心のこもった手紙を送ってくださったほどだ。
その手紙がきっかけで、レッスンは再び息を吹き返した。あの時の嬉しさを、私は忘れていない。
だからこそ、
「レッスンを続けられなくなりました」
と伝えることが、たまらなくつらかった。 電話では言えなかった。 顔を見て、ちゃんとお詫びがしたかった。
玄関先に出てきた生徒さんは、少し驚いた表情をされた。
事情を説明すると、ひとつ深く息をつき、
「そうでしたか。わかりました」
と受け止めてくださった。
だけどその優しさが、逆に胸に刺さった。 もっとできることはなかったのか。 本当に全力を尽くしたと言えるのか。 その想いが頭の中で渦巻いた。
そのときだった。 玄関がガラッと開き、奥様が出てこられた。
「あの…すみません。少しお話が聞こえてしまって。
もしよければ、私が主人と一緒にレッスンに入ることはできますか?」
思わず言葉を失った。 生徒さんも驚いていた。
「私、その時間なら空いているんです。でも心配なのは…」
奥様は少し照れたように続けた。
「私、思いっきり音痴なんです。歌が下手で。でも、主人と一緒にできるなら…」
その一言に、胸が強く震えた。
音楽が上手いかどうかではない。
その時間を「一緒に過ごしたい」と思う気持ちがある。 その人を思う心がある。 そのただ一つの理由で、音楽は成り立つのだ。
「もちろん大丈夫です」
気づいたら、私はそう答えていた。
奥様は「少し考えてみますね」と家の中に戻り、 そして手にリンゴジュースを持って戻ってこられた。 「よかったらどうぞ。失礼ですけれど、お持ち帰りくださいね。」
私はお詫びに伺ったはずだった。
なのに、差し出されたのは“思いやり”そのものだった。
帰り道、さっきより青く見える空の下で、モンシロチョウが高く飛んでいった。
★ 未来を奏でるピアノプロジェクトが目指していること
今朝のこの出来事に、今回のプロジェクトに通じる核心があります。
音楽は「うまく演奏するため」だけではなく、“人と人が支え合う場所をつくるため”にもある。
ラッピングされたピアノは、 その「つながり」のきっかけになる楽器です。
一緒に弾く
一緒に聴く
一緒に過ごす
もちろんデザインも同じです。ただクオリティーを求めているわけではありません。
そのビジュアルの中にある若者の想い、それを音といっしょにくみ取る心。

そんなコミュニティーが出来ればいいなと思って活動を続けてきました。 そこに生まれる あたたかさ を、もっと広げたい。 この活動は、そのために進めています。
あらためて、皆さまへ
ご支援や応援は、
「ピアノがショッピングセンターに設置される」という物的変化だけでなく、
こうした“心の温度のある時間”を生み出す力 になっています。
本当にありがとうございます。
これからも、丁寧に、ひとつひとつ紡いでいきます。






