600年以上続く神事の中にある神話を、その神社で上演してみる。

2025年10月4日(土)、地元のboraお祭りのプレ・イベントとして創作舞台「つたじまのおろち」を上演。香川県三豊市・賀茂神社に伝わる神話が、大人も子どもも楽しめる新しい芸能としてよみがえり、そしてその芸能が次の世代に手渡される。600年続く神事と神話、そして芸能の継承へ、ご支援をお願いします。

現在の支援総額

1,701,500

113%

目標金額は1,500,000円

支援者数

160

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/09/04に募集を開始し、 160人の支援により 1,701,500円の資金を集め、 2025/10/04に募集を終了しました

600年以上続く神事の中にある神話を、その神社で上演してみる。

現在の支援総額

1,701,500

113%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数160

このプロジェクトは、2025/09/04に募集を開始し、 160人の支援により 1,701,500円の資金を集め、 2025/10/04に募集を終了しました

2025年10月4日(土)、地元のboraお祭りのプレ・イベントとして創作舞台「つたじまのおろち」を上演。香川県三豊市・賀茂神社に伝わる神話が、大人も子どもも楽しめる新しい芸能としてよみがえり、そしてその芸能が次の世代に手渡される。600年続く神事と神話、そして芸能の継承へ、ご支援をお願いします。

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今回も三龍の会(五味、大島、安田)の執筆です。

龍の生きている世界

前回は、私たちは3つの世界の中で生きているという話をしました。

誰にとっても同じ世界である「客観的世界(物理的世界)」、私だけの世界である「主観的世界」、そして複数の人の主観が交流し、共有されることで生まれる「間・主観的世界」です。

その「間・主観世界」の中に龍(ドラゴン)は生きています

かつて人々は神話の中に生きていました。そのような人たちが共有する「間・主観的世界」には、オロチがいて、龍がいました。

近代になるにつれてこうした神獣は世界からいなくなり、世界は意味や価値を失い、「フラットランド(平板な世界)」へと入り込んでしまいました。

そんな世界になってしまった理由のひとつは、私たちの目や耳があまりにもリテラル(字義的)になってしまったからでしょう。「目」に見るえもの、「耳」に聞こえるものしか信じなくなり、客観的世界だけが唯一の世界と「信じる」ようになってしまいました。

「夢」という間・主観的世界

しかし、私たちは「目」という器官を使わずに何かを見ることができますし、「耳」という器官を使わずに音を聴くことができます。多くの人は、それを毎日体験しています。

それは「夢」です。

私たちが夢を見るときは「目」を使っていませんし、「耳」から入って来る音とは関係のない音を夢の中で聞いています。

文字通り「夢」のような世界が「間・主観的世界」なのです。

現代では「夢」は、「主観的世界」、つまり個人的なものと思われています。しかし、かつての日本人にとって「夢」は「間・主観的」、つまり多くの人に共有されるものでした

ですから、夢を売り買いする話が古典の中にはいくつも出てきます。

古いところでは、奈良時代の右大臣である吉備真備(きびのまきび)が夢を買ったことによって出世し、大臣にまでなったということが『宇治拾遺物語』に書かれています。

売り買いできるということは「夢」が紙幣と同じく「間・主観的世界」のものであったということです。

蓄積された叡智

「間・主観的世界」は夢に似ているものだといっても、ただの幻想ではありません。

人類という大きな共同体が作り上げた「間・主観的世界」の中で、人々はさまざまなものを蓄積して来ました。そのひとつが「叡智」、あるいは「智慧」と呼ばれるものです。

物理的世界、つまり客観的世界は、長年にわたる科学の研究によってさまざまな「知識(knowledge)」を蓄積し、人類の進歩・発展に寄与してきました。これは、私たちが物質的に豊かになる助けとなりました。

同時に、人類という共同体は、その「間・主観的世界」叡智(wisdom)を蓄積し、私たちの精神世界を豊かにするのを助けて来たのです。

現代は、龍などの神獣が姿を消した客観的世界だけを唯一の世界と信じる「フラットランド(平板な世界)」になりつつあります。そうなったときに、せっかく蓄積した叡智をも捨て去ることになるのです。

両義性をもつ龍

ユング派のジェイムス・ヒルマンは、神話や古い伝承に登場する神々や動物、英雄などを、我々の無意識心の深層を照らすイメージとして捉えました。これらは魂(psyche: ψυχή)の元型にアクセスする入り口となります。

元型(arch typy:αρχέτυπο)とはユングが唱えた概念で、人類共通の心の深層にあるイメージ生成の型をいいます。

ふだんは私たちの意識のずっと奥にあるために、それに気づくことはありません。しかし、神話の存在を入口として、私たちは自分の魂(psyche)のずっと奥にある元型にアクセスすることができるとジェイムス・ヒルマンはいうのです。

さまざまな元型的存在の中で、龍・ドラゴンは、「守護者」でもあり「破壊者」でもあるという、二重性をもったアンビバレント(両義的)な存在です。

日本を含む東アジアには、雨を降らし、豊作を約束してくれる守護者としての「龍神」の考えがあります。また、八大龍王もいます。中国においては、龍は皇帝の象徴でもあります。

そのような守護者としての龍神がある一方で、『古事記』に登場するヤマタノオロチや、本プロジェクトの『蔦島の大蛇』に登場するような、人々の生活を破壊し、そして英雄に退治される悪龍もいます。

その両義性を持つのが龍(ドラゴン)なのです。

門番としての龍

ドラゴンがいる場所には「忘れられた記憶」や「抑圧された力」が眠っています。ドラゴンは、迂闊に近づくものや、準備のできていないものを拒む門番(ゲートキーパー)のような存在でもあります。

そんなゲートキーパー、門番としての龍は、境界をまたぐ象徴であり、異なる領域をつなぐ存在でもあります。意識と無意識をつなぎ、天と地をつなぎ、生と死をつなぐ存在です。

それは《あわい》の存在であるともいえます。

《あわい》という語は「あいだ(間)」に似ていますが、少し違います。「あいだ」がふたつのものの間を意味するのに対して、《あわい》はふたつのものの重なる空間・時間などをいう言葉です。

龍は、守護者でもあり、破壊者でもあり、天の存在でもあり、地(海)の存在でもあり、そして私たちの意識の象徴でもあり、無意識の象徴でもあるのです。

間・主観的世界、ドラゴン・ネットワークの構築

そんな《あわい》の存在である門番・龍と関わるには、細心の注意と大胆な行動とによるさまざまな方法での対話が必要です。

その場として「ドラゴン・ネットワーク」という「間・主観的世界」が構築できればと思っています。

私たちが、慎重に、そして果敢に、龍(ドラゴン)という神話的存在との「対話」を繰り返し、ドラゴン・ネットワークの中で新たな共同体が共有する集合的意味を共有していくことで、ドラゴンが守っている宝、これまで人類が共有してきた叡智に触れることができるかも知れない、そんな風に思うのです。

ドラゴン・ネットワーク構築のプロジェクトは、まだまだ始まったばかりです。長期にわたるお付き合いをお願いできればと存じます。

そして、その第一弾が、今回の『蔦島の大蛇』の上演なのです。

三龍の会

※ちなみに「三龍の会」というのは安田登の著書『三流のすすめ』から着想を得て海谷英明が命名したものです。

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