今日も安田登(能楽師)が書いています。
前回、これは2回に分けてお届けしますと書きましたが、どんどん書いて長くなってしまったので、やはり3回にさせてください。
今日は2回目です。
▼奥出雲から始まるヤマタノオロチ神話
神迎え祭りの違和感から、出雲大社からさらに奥に向かい、ヤマタノオロチ神話の舞台を歩いてみることにしました。
ヤマタノオロチ神話は、奥出雲から始まります。列車ならば木次線の出雲横田駅。松本清張の『砂の器』の舞台となった亀嵩(かめだけ)の次の駅です。そこからヤマタノオロチ神話のスタート地点である船通山(せんつうざん)への登山口まではバスを使います。
船通山は、かつて鳥髪山(とりかみやま)と呼ばれていました。
天照大神が天岩戸に閉じこもる原因を作ったスサノオは、多くの贖罪の品々を神々に出したあと、鬚(ひげ)と手足の爪を切られて高天原を追われ、ここ出雲国の肥(斐伊川:ひいかわ)の河上である鳥髮山に降り立ちました。
神話の話です。
「船通山のどこに降りたのだろうか」などと場所を特定するのは野暮でしょう。それでも「肥(斐伊川)の河上」とあるので、斐伊川の源流である鳥上滝あたりかもしれない、なんて思って歩いて見ます。
スサノオは、ここで箸(はし)が川を流れ下るのを見つけ、その河上に人がいると思います。そして川を遡(さかのぼ)り、そこで二人の老人、手ナヅチと足ナヅチと出会います。ふたりには櫛名田(くしなだ)姫という娘がいて、彼女を間に挟んだ老夫婦。
ふたりは泣いています。

そこで、ヤマタノオロチの話になるのですが、ここで『古事記』からヤマタノオロチの話を紹介しておきましょう。
▼ヤマタノオロチの姿
スサノオが「お前たちはなぜ泣いているのか」と尋ねると、老人が答えます。
「私たちには、8人の娘がいましたが、毎年、高志(こし)の八俣(やまた)の大蛇(おろち)がやって来て、娘たちを食べてしまったのです。この子は最後の子。そして今がその大蛇がやって来る時期なのです」と答えます。
「どんな形をしているのだ」とスサノオが問えば、おじいさんが答えます。。
「目は赤い赤カガチ(鬼灯:ほうずき)のようで、
一つの胴体に八つの頭と八つの尾があります。
その体には日影蔓(ひかげかずら)と檜(ひのき)・杉が生えていて
その長さは谷を八つ、峯を八つ渡るほど、
その腹は血に爛(ただ)れて真っ赤です」
そこから先はご存知のようにオロチに酒を飲ませて、酔って眠ってしまったところを剣で斬ってしまうのですが、しかし、このオロチの話、よく読むと変なところがいくつもあります。
▼ちょっと変なところ
いくつか気になるところを書いてみると、まず、ヤマタノオロチが、毎年、この時期にやってくるということ。
几帳面すぎる!少なくとも荒々しい性格の奴だったら、こんな几帳面なはずがない。来たいときに来る、行きたいときに行く!それがヤンキーでしょ。それを毎年同じ時期なんて変です。
それに娘が八人でしょ。で、オロチは首が八つある。ということは口だった八つあるはず。
なら、一挙に八人食べればいいものを、と思う。
「今年は俺が食うから、兄貴は来年ね~」なんてやっていたら、いつか「冗談じゃねぇよ。八年も待てるか!」と怒る首だってありそう。
そして、その大きさもすごい。谷を八つ、峯を八つ、しかも背中には樹木が生えている。そんなデカいオロチを退治するんだったら、いくらスサノオが神の子だからって、ふつうの人間の大きさということはあり得ない。
おそらくスサノオはウルトラマンほどの大きさがあったに違いないのです。ウルトラマンと巨大怪獣蛇との戦いがヤマタノオロチの戦いです。
しかも、酔っ払わせてのだまし討ち。これはウルトラマンならしない。そんな卑怯なウルトラマンは少年少女のヒーローにはなれません。
それを、こんな英雄譚のように語るのも変だよね~なんて思うのです。
▼河上の川上
…とツッコミどころ満載のヤマタノオロチ神話ですが、その前にも変なことがあった。これは実際にその地に行くと気づくのですが、スサノオがここに来たときのことが、やはり変なのです。
細かいことを言って申し訳ないのですが、スサノオが降り立ったのは肥の「河上」、鳥上滝あたりでした。ところが、箸が流れてきたのが、そのさらに川上からだったと『古事記』に書いてあります。
スサノオが降り立ったのも河上なら、そのさらに川上ってどこやねん、となるでしょ。だいたいここより川上はない。いったいスサノオはどこに向かったのか、などと考えながら近所に神社はないかと探して歩き回ります。
すると、出雲横田駅から三十分ほどの所に、稲田姫(櫛名田姫)の生誕の地といわれる稲田(いなだ)神社がありました。稲田姫の産湯(うぶゆ)の跡までもがあるのですから、老人夫婦と姫はここに住んでいたのでしょうか。
ですが、ここは川下です。「これでいいのか!」なんて思う。
そもそも川上から川上に向かうという『古事記』の記述自体が変です。いや『古事記」だけでなく、『日本書紀』にも同じように書いてある。
でも、多くの山々に囲まれたこの辺りを散策していると、なんだか方向感覚や上下感覚までもが狂ってしまい、夢の中にいるようなぼんやりした気持ちになり、「細かいことは、まあいいか」なんて思ってしまうのです。
稲田神社の由緒書きを読んでみると、神社の創建は江戸時代だそうです。
「なんだ、新しい神社じゃん」なんて思わない方がいい。
神社ができたのが江戸時代だからといって、この地が新しいというわけではない。本居宣長(もとおり・のりなが)によって『古事記』が読み直され、さらに昔からの言い伝えなどによって、ここが櫛名田姫の生誕の地とされて神社が創建されたのではないか、なんて思ってみる。
▼神話的重層世界
稲田神社から駅に戻ると、反対側にはスサノオの子である五十猛(いそたける)命を祀った伊賀多気(いがたけ)神社もあります。
『日本書紀』によれば、天を追放されたスサノオは、その子・五十猛とともに新羅(しらぎ)に渡りましたが、そこに住むことをよしとせず、埴土(はにつち)で船を作り斐伊川の川上である鳥上の峯に至ったといいます。
新羅から一挙に山上に登る埴土の船というのは、おそらく空中を飛行する空飛ぶ船。すごい!
古代の日本人のなんという想像力。
いや、ひょっとした本当にあったのか。
今年(2025年)は万博があり、空飛ぶ自動車が飛ぶなんて話がありましたが、古代には空飛ぶ船があったのか…なんてことを考えながら…
その神社の由緒を読むと、この横田が仁多郡であることに気づいた。
そこで「おお!」となるのです。
仁多郡は、『出雲国風土記』の中でもひときわ異彩を放つ神、阿遅須伎高日子(あぢすきたかひこ)命ゆかりの地です。
阿遅須伎高日子命は、大国主(大神大穴持命)の子ですが、髭が八握(やつか)になるまで言葉を発することができなかったという神です。八握というのはこぶし8つ分、髭がお腹のあたりに来るまでなので、成人になるまで言葉を発することができなかった。
成人になるまで喋れなかったといって思い出すのは、古代中国の殷(いん)の武丁(ぶてい)です。漢字を作ったといわれる王です。武丁は言葉を発することができなかったので、文字を作ったという伝説もあります(ただし、これはひとつの読み方で、違う読み方もあります)。
言葉の遅い人は異能を有します。しかも阿遅須伎高日子命が言葉を発することができなかった理由が、昼夜、哭き明かしていたからだというのです。
これはオロチを退治したスサノオを思い出します。
スサノオも「妣(はは)の国に行きた~い!」と、やはり髭が八握になるまで昼夜、哭き明かして、そのゆえに高天原を追放になります。
スサノオは、阿遅須伎高日子(あぢすきたかひこ)の父である大国主の遠い祖先(『日本書紀』によれば父)です。
出雲の地の主・大国主を挟んで遠い祖先・子孫関係にあるこの二柱の神が瓜二つであるというのは面白いことです。
この地は同じ空間に『古事記』、『日本書紀』、『出雲国風土記』という三つの神話世界が透明なレイヤーのように重なっていて、時間を超えた神々が同一体として存在しています。
まことに錯綜していて、しかもその仲介には出雲の大神である大国主がいます。
これは現代語のリニアな語法では記述も理解もできませんが、古語でよく使う掛詞だと思えばすっきりします。
「大国主」を糊代にした縦軸の掛詞のように二柱の神が立っているのです。古代日本語特有の詩的な神話文法がこの地に息づいています。
▼たたら製鉄とオロチ

そんな詩的文法の中に身を浸しつつ、さらなる夢のごとき世界にさまよいながら奥出雲を徘徊していると、やたら目につくのが「たたら」の文字です。
ここ奥出雲は、たたら製鉄やたたら吹きの里であり、宮崎駿の『もののけ姫』のたたらの場面も、ここをモデルとしているともいわれます。
ヤマタノオロチが何だったかについてはいろいろ言われていますが、製鉄集団のことだったという説があります。
スサノオがオロチの尾を切ったときに、その剣が欠けました。不思議に思って尾を割くと、都牟羽の(=すごい)剣が出てきました。これが草薙(くさなぎ)の剣であり、スサノオはその剣を天照大神に献上しました。スサノオの持っていた十拳剣が欠けたのは、草薙の剣が鋼鉄製の剣であったことを示すというのです。
また、オロチの目が鬼灯のように赤く、その腹も赤く血に爛れていたという『古事記』の記述も、製鉄の火の赤さや、鉱毒によって川が濁ったさまなどを表すともいわれます。
スサノオが箸を見つけたことだって、川の中にキラリと光る砂鉄を見つけたのだと考えられなくもありません。
ここ出雲には、大和からすれば考えられなかったほどの最先端の製鉄技術をもつ職能集団がいて、彼らがヤマタノオロチ一族であり、鉱毒の被害がオロチ伝説になったというわけです。
▼洪水神話としてのオロチ
ヤマタノオロチに関しては、もうひとつの説があります。
それは、船通山系を始点とする斐伊川などの川の氾濫をオロチに見立てたという説です。ヤマタノオロチの八つの頭は、斐伊川の支流だというのです。
日本に限らず、古代の農耕社会では川の氾濫と治水は最大の関心事のひとつでした。古代中国でも黄河の治水によって王となった「禹(う)」をはじめ、洪水神話はたくさんあります。
スサノオは、禹王と同じく斐伊川の氾濫を治めた治水の英雄だという説です。
ここ奥出雲地方は、まだ川の上流なので氾濫も少なかったのでしょう。その説の根拠を探るために、斐伊川を下りながら、ヤマタノオロチの旧跡を探してみます。
すると、あるはあるは、たくさんあります。
現代は雲南市と呼ばれるあたりの斐伊川の中流域には、ヤマタノオロチの旧跡が多く残ります。
上流の奥出雲にもあった稲田姫や老夫婦が住んでいたという所がここにもありますし、オロチに飲ませた八つの酒壷のひとつが残る神社もあります。オロチ退治の成功を祈願してスサノオが舞った聖地に建立された神社や、退治の後に報恩の舞を舞ったという神社まであります。オロチの八つの頭を埋めて、その上に八本の杉を植えたという八本杉は、巨大な神籬(ひもろぎ)のようでもあり、神聖儀礼を行う聖堂のようでもあります。
ここはここで、ひとつのヤマタノオロチ神話が完成されています。
ちなみに、ここ雲南の深野神楽保存会の方たちやいとうせいこうさんたちと、島根県民会館で『芸能開闢古事記』という作品を上演しました。
▼洪水とオロチ
この辺りを巡っているときに、急に雨が降り出しました。
ゲリラ豪雨です。
道端にあった屋根のある見晴台に避難しました。
突然、暗くなった山道に、バラバラと屋根を打つ雨音。眼下には斐伊川が流れています。それまでは青くゆるやかだった斐伊川が、轟音を立てる茶色の濁流と化しました。まさに氾濫しそうです。
千年以上にもわたる治水の歴史を経てもこうなのです。古代の人々が斐伊川の氾濫をオロチの暴虐と見たのもうなずけます。
《続く》



