【緊急支援】台湾|台風18号 被災地に向けチームが出動、緊急支援を開始します

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9月23日台風18号の影響により、日常が一変した被災地。その翌日、私たち緊急支援チームは日本を出国して以来、10月6日現在も現場で活動を続けています。 急ピッチで街の復旧作業が進められているいま、現地で本当に必要とされる支援を届けていくために、皆さまからの温かいご支援をお願いいたします。

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9月23日台風18号の影響により、日常が一変した被災地。その翌日、私たち緊急支援チームは日本を出国して以来、10月6日現在も現場で活動を続けています。 急ピッチで街の復旧作業が進められているいま、現地で本当に必要とされる支援を届けていくために、皆さまからの温かいご支援をお願いいたします。

家の中から運び出された、使えなくなった家電や家具がまだ玄関先に残されている(10月15日花蓮県・佛祖地域にて)9月23日に上陸した台風18号の大雨により、台湾東部・花蓮県では大規模な洪水災害が発生しました。翌24日には空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”の緊急支援チームが出動。現地にて台湾法人「ピースウィンズ・台湾」のスタッフと合流し、緊急支援活動を実施してきました。10月14日には、日本から第二陣となるスタッフを派遣。発災から現在までボランティアや様々な団体が手を取り合って復旧作業を続けてきたなかで、被災者の声を取りこぼさないように、あらためてニーズ調査を進めています。発災からおよそ3週間が経った被災地・花蓮の今をレポートします。多くの熱情が集まり、日常を取り戻しつつある中心部道路に泥は残っていないものの、埃などが舞わないように散水する様子もっとも大きな被害を受けた光復郷(グワンフー)の中心部は、少しずつ日常を取り戻しつつあります。発災当初から現場で支援活動を続けている空飛ぶ捜索医療団の調整員は、被災地の変化をこう語ります。「当時は歩くのも怖いくらい泥が多く、洪水で流された車が道端にいくつも転がっている状況でした。それに比べると、現在の街並みは大きく変わってきています」光復駅周辺では、道路を覆っていた泥はほとんど排除され、懸命な復旧作業の成果が着実に見え始めています。多くの被災者がベンチで横になり雑魚寝していた教会は、被災前の静かな時間を取り戻している発災直後に信者や地元の被災者が自主的に開設し避難所となっていた教会もその役割を終え、地元老人たちの憩いの場として、本来の静かな日常を取り戻しています。「鏟子超人(スコップヒーロー)」と呼ばれるボランティアたちこの迅速な復旧を支えたのが、多くのボランティアの存在です。日本で添乗員の仕事をしているというある女性は、今回の洪水被害のニュースを聞きつけ、台湾に戻ってボランティア活動に参加していました。「泥かきは本当に大変で腰が痛みます。それでもいろんな人が手を取り合って頑張る姿を見て、私も花蓮の力になりたいと思って作業しています」こうしたボランティアが、休みの日には時に1日2万人ほど参集し、街中を覆っていた泥をかき出していったのです。シャベルを手に取り泥かきを行う姿への称賛を込めて、台湾でボランティアは「鏟子超人」と呼ばれています。彼らの功績を称え、光復郷の街中ではマントを羽織ったシャベルが描かれているポストカードが配られていました。被災者やボランティアの疲れを癒すマッサージのボランティア団体1日に10数人へ施術をしている彼女たちは「あなたたちのように来てくれる人々のおかげで、花蓮はがんばっていけます。本当にありがとう。マッサージで愛が伝わりますように」と、温かい手で疲れをほぐしてくれます。こうした1日でも早い被災地の復旧を願うさまざまな熱情が集結し、“灰色の街”だった光復郷は、復旧に向けて大きく変わっていったのです。生活再建はまだ先の話……しかし、その一方で道路は片付いたものの、駐輪場にはまだ洪水被害の爪痕が残っていたり、復旧が進む駅周辺から少し車を走らせると、風景は一変します。泥に覆われた状態がそのまま残っている、かつては田んぼだった場所(10月15日花蓮県・佛祖地域にて)田んぼは大量の泥に覆われたまま干上がり、多くの家屋の前には泥が山積みになっている場所も少なくありません。その現状を目の当たりにしたスタッフも、思わず息を呑むほどでした。避難所で聞こえてきた、小さな声虎爺旅館にて出会った被災者に話かける空飛ぶ捜索医療団の横井看護師(10月15日虎爺旅館にて)災害の爪痕は、被災者の心にも深く残っています。この日空飛ぶ捜索医療団は、避難されている方々を自主的に受け入れている「虎爺旅館」を訪問。ここで出会ったおばあさんは、悲しげな表情でこう語ってくれました。「家族は全員無事でしたが、洪水で大切なペットの猫が濁流に流されてしまったんです」「長引く避難生活で足腰が痛む」とつぶやくおばあさんの足元を見ると、少しむくんでいるようでした。慣れない避難生活は、心身の疲労だけでなく、運動不足などから体の不調をきたすことも少なくありません。空飛ぶ捜索医療団の看護師が、就寝時の姿勢についてアドバイスをするなど、健康相談も行いました。また、一部の避難所は閉鎖され始めていますが、今なお40名近くが身を寄せる避難所も残っています。大全託児所の避難所には、現在も40名ほどが避難生活を続けている一人暮らしの高齢者が多い「大安託児所」では、他県の職員の方々が応援で運営にあたっていました。ここでは、「クーラーがないため、熱中症対策のスポーツドリンクや乳清飲料が不足している」という声が聞かれました。復旧が進む中心部とは裏腹に、支援から取り残されそうな被災者がいます。特に高齢者にとって災害のショックは大きく、立ち上がるには支援と時間を必要としています。地区によっては「水道は使えるようになったけれど、飲むことはできない」といった声も聞かれるなど、復興は先の話で、被災された方々の生活再建への道のりはまだまだ道半ばであるのが現状です。一日も早い復興に向けて被災した家屋。壁にはおそらく濁流と思われる爪痕が残されている(10月15日花蓮県・佛祖地域にて)一見すると復旧が進んでいるように見える場所でも、まだ多くの方々が不自由な生活を余儀なくされています。空飛ぶ捜索医療団は、引き続き被災された方々一人ひとりの声に耳を傾け、一日でも早い復旧・復興に向けた支援活動を続けてまいります。皆様の温かいご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。


台湾東部の花蓮県で大規模な洪水災害が発生してからおよそ3週間。9月27日からの3連休にはのべ6万人以上のボランティアと軍による懸命な復旧作業で、街を覆っていた泥や土砂の除去は一気に進み、「灰色の世界」だった街並みは少しずつ活気を取り戻しつつあります。それでも、一時は600人以上が避難していた市内の小学校と教会の避難所からは少しずつ人が減っていき、我が家での生活を再開するために帰宅する被災者がいる一方で、家の復旧がままならず、さらに避難生活を余儀なくされる被災者もいます。延々と続く泥かきと掃除で体力は限界に空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”とピースウィンズ・台湾が支援してきたふたつの避難所のうち、教会避難所は10月3日に閉鎖。県政府が管理・運営する小学校の避難所には、4日の時点でもまだ177人が避難しているなか、県政府としては学校再開に向けて帰宅を促したり、民泊への移送を提案したりしています。しかし、住み慣れた故郷を一時的にでも離れることに消極的な避難者も多く、一刻も早く家に戻れる状態にすることが求められました。被災者の声を直接聞くために、ニーズ調査を続ける空飛ぶ捜索医療団とピースウィンズ台湾のスタッフ日々、状況が変わっていくなかで変わらず続くのが、街を飲み込んだ土砂や泥を排除する作業です。まだ日中の気温が高い上に湿度も高いなか、1日作業するだけでも体力は激しく消耗し、連日の作業で体の疲労は蓄積されるばかり。高温多湿の中で行う泥かきは特に高齢者にとって過酷な作業となるそれでも我が家での日常生活を再開するためには家のなかの泥をかき出し、使えなくなった家具を撤去したり、災害ごみを片づけたりしなければなりません。その作業は果てしなく、多くの被災者からは疲労を訴える声を聞きました。「1日でも早く日常生活を取り戻したい。けれど、体は疲れて、脚が動かなくなるよ」「泥かきする被災者の足の負担が少しでも減らせることを願って」着圧ソックス4,300足を用意し、被災者に届けたこうした声に対しピースウィンズでは、熱中症対策として避難所に冷たい飲み物と冷蔵庫を、さらに疲労が蓄積する体を少しでも労わるように、血行を促進して疲労軽減に効果があるとされる着圧ソックスを支援物資として配付しました。中秋節で家族や大切な人とゆっくりと過ごすために台湾では、10月6日に三大節句のひとつ、中秋節を迎えます。日本と同じように、中秋の名月を愛でながら家族や大切な人と過ごす大切な日で、この伝統的な祝日をゆっくり過ごすために、街全体が復旧・復興に向けて、力を合わせて立ち上がろうとしています。中秋節を迎える連休中の駅前の様子。被災地の1日でも早い復旧・復興を願い、ふたたび街はボランティアの人たちであふれた光復郷(グワンフー)の街には、ふたたびボランティアの人たちでにぎわい、復旧作業はさらに加速。必要な物資も各地から集まる一方で、体調不良や介護などの家庭の問題、また掃除と片付けに忙殺されて時間がないなど、さまざまな理由からなかなか支援物資を取りに行けない世帯も存在します。そうした人びとにもしっかりと支援が届けられるように引き続き被災者の声に耳を傾け、被災地の1日でも早い復旧・復興に向けて支援活動を続けていきます。皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします。


誰ひとりこぼれ落ちることなく、必要な支援を本当に必要としている人に届けるためにはどうすればよいのか。その答えのひとつが、“被災地で避難者を支える地元の人びと”です。今回のレポートでは、この1週間で空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”のスタッフが出会った、誰かに頼まれたわけではなく、自主的に支援活動を行う地元の人びとの存在を紹介します。ボランティアを含め500人を受け入れ、被災者を支えた被災した蔡さんの自宅にて光復郷の郷長でもある蔡(サイ)智輝さんは、住民が自主的に開設した教会避難所の運営者でもあります。自身も被災していますが、教会でボランティアを含め500人ほど受け入れ、被災者を見守ってきました。「避難者はみな教会のイスや床に雑魚寝で寝泊まりしているため、ほぼ眠れていない状態が続いていました。寝不足によるストレスや被災時の精神的ダメージが見られ、物資などの支援だけでなく、心のケアがこれからは必要になってくるでしょう」家の外には、浸水で使い物にならなくなった家具や災害ごみが山積みになっていたまた、サイさんは、ボランティアが多く集まり町の復旧を支えてくれたことに感謝しつつ、一方で小さな村などには支援が足りていない現状も訴えます。県政府が主導する大きな支援はどうしても中心部などに集中し、小さな集落などは後回しになってしまう課題は、台湾でも起きているようです。もうひとつ、サイさんが気にかけていたことがあります。高齢者の食事の問題です。「県政府が今後もお弁当を支給していきますが、これまでお年寄り向けの柔らかい食事が提供できていません。老人向けの弁当を届ける企業が市内にあったのですが被災してしまい……高齢者が多い地域なので、このことも心配事のひとつになっています。こうした些細な問題も含めて、県政府と村の連携は今後の大きな課題ですね」感染予防の意識を少しずつ広めていく李雪燕(リー・シャオイエ)さんも、教会の避難所を支えるひとりです。ご自身の家は被災は免れましたが、教会の幹部でもあり、ボランティアとして運営をサポートしています。彼女が気になったのは、衛生環境の問題でした。感染予防につながる石鹸などの衛生用品について「こうしたものがあると本当に助かるし嬉しい」と話す「避難所内の衛生環境の悪化が気になって、ボランティアとして毎日、清掃していました。それと台湾では、手洗い等で石鹸を使う習慣はあまり一般的ではありません。コロナ禍を機に私も含め一部の人たちは手洗いやマスクの重要性を意識するようになりましたが、こうした感染予防に対する認識は特にこの周辺の原住民には馴染みがなく、なかなか理解を得ることが難しいこともあります。それでも、避難者の健康を守るためには、地道に伝えていかなければなりませんね」不特定多数の人が使用するトイレなどは感染症の温床になりかねない。清潔さを保ち、アルコール消毒などを行うことが避難者を守ることにつながる空飛ぶ捜索医療団では、蔡さんや李さんのようなキーパーソンともコミュニケーションをとりながら必要とされた衛生用品などの物資を支援するとともに、スタッフ自身も気づいたときに避難所周辺を掃除するなど衛生環境の改善に努めました。こうした行動を見て真似たり、一緒に清掃してくれる人も、少しずつ増えていったといいます。営業を一部停止し、自主的に避難者を受け入れを始めたホテルには毎日医師も駆けつけ、診療を行ってくれるなど環境面が整っていることから、車いすや介助が必要な被災者も避難してきたという現地調査を進めていくなかで、自主的に避難者の受け入れを始めたという旅館に出会いました。被災地、光復から車で約20分ほどの離れた地区にある『虎爺(フーイエ)温泉館』です。およそ280名ほどの被災者が避難してきたといいます。営業を一部停止し避難者を受け入れ、ホテルの居室やホールを開放し、食事は3食を提供。1日20万元ほどかかる受け入れ費用は全額自己負担で行い、生活用品などは県政府ではなく、個人からの支援が多く集まり、助けられたといいます。ホテルには全国から支援物資が届けられた被災地には、自身も被災しながらも被災者や避難者を支え、周辺地域には「自分たちができること」を考え、被災者に手を差し伸べる人がいます。こうした人びとの存在が、こぼれ落ちそうな脆弱な人たちの力になっているのです。空飛ぶ捜索医療団は、復旧作業を支援するとともに、大きな支援の裏側でこぼれ落ちてしまうような被災者の声にもできるだけ寄り添い、被災地と被災者を支えていく活動を続けていきます。皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします。


台湾東部花蓮県で大規模な洪水災害が発生してから約1週間。台湾では9月27日(土)から3連休を迎え、被災地・光復郷(グワンフー)には軍の支援部隊が増員されるとともに各地からおよそ2万人のボランティアが駆けつけ、急ピッチで街の復旧作業が進められています。25日に現地入りした空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の調整員は、濁流が流れ込んだ光復郷の街を見て、こう表現しました。「ひっくり返った車、窓にへばりつく葦、街路を覆う泥。まさに灰色な世界だ」中央災害対策センターによると、28日の時点で花蓮県光復郷の洪水災害による死者は17名、行方不明者7名、負傷者は93名にのぼり、現在もせき止め湖からの流水が続き、予断を許さない状況が続いているといいます。混沌とする被災地建物に流れ込んできた土砂を掻き出す被災者。山のように積み上げられた土砂に被害の大きさが伺える(9月26日、花蓮県光復郷にて)9月28日、堤防がふたたび決壊したとの噂が広まり、一時、市内ではボランティアも含め多くの人が高台に避難する事態が起きました。その後、県政府から「現時点では危険な状況とは見なされていません。どうか慌てないでください」との放送がながれ、混乱は収まりましたが、もともと土砂や土石流が堆積し、川がせき止められてできた湖は不安定で、いつ二次災害が起きるかわからない状況から県政府や消防による警戒状態は続いています。3連休を利用し、台湾各地から集結するボランティア(9月27日、花蓮県光復郷にて)さらに街にはボランティアが一気に参集した影響で多くの人であふれ、交通機関や道路は混雑するなど、復旧作業が進められる裏側は混沌とした状態だといいます。避難所を守るために、粘り強く、丁寧に話し合うピースウィンズは、台湾法人である「ピースウィンズ・台湾」のスタッフと、空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の調整員で支援活動にあたり、引き続き被害状況の確認やニーズの聞き取り調査を進めながらできる支援を模索しています。継続的にニーズ調査を進めている教会と小学校の避難所には、28日の時点ではおよそ600人が避難しており、その多くは高齢者です。特に住民が自主的に開設した教会の避難所では、避難者は礼拝で使用されるベンチで寝るなど、厳しい環境だといいます。日中は家の片づけや掃除に追われ、避難所に戻ってきてもゆっくり休める場所はない状況で、「睡眠不足」の悩みは多くの避難者から聞かれました。こうした環境下で、長引く避難生活と睡眠不足によりストレスは増大し、疲労も限界を迎え、なかにはトラウマによるPTSDの兆候も出始めている避難者もいるようです。寝返りも打てない狭いベンチで寝る避難者。長引く避難生活を見据え、就寝スペースを確保する提案も行っている(9月26日、花蓮県光復郷の避難所にて)また、避難所のごみ周りやトイレなどの衛生環境が日に日に悪化していることも課題として挙げられました。避難所の環境は健康に深く影響し、心身ともに疲労が積み重なっていくことで体調を崩し災害関連死につながったり、感染にも留意する必要があります。避難所内での感染を予防するため、ハンドソープなどの衛生用品を配付する(9月27日、花蓮県光復郷の避難所にて)こうした事態を受け、空飛ぶ捜索医療団では、環境改善の提案を行っています。しかし、日本と台湾とは文化の違いから、ごみの出し方や避難所生活におけるルールなどへの理解や考え方は異なり、課題や改善策を提案してもすぐに受け入れてくれるわけでもありません。それでも、災害関連死や感染予防の課題は世界中どの災害地においても共通することから、空飛ぶ捜索医療団のスタッフはこれまで多くの災害支援を行ってきた知見を生かし、各避難所の責任者や個々の避難者と粘り強く、丁寧にコミュニケーションを重ねながら環境改善を促すカタチの支援を続けています。泥で埋まってしまった平屋の建物(9月26日、花蓮県光復郷にて)ボランティアが集結し多くの人でごった返す光復郷の街は、復旧に向けた懸命な作業が続いています。今後、少しずつ街もきれいになっていくはずですが、そのなかで表には見えにくい課題や、見過ごされがちな小さな被災者の声が埋もれていってしまう可能性もあります。空飛ぶ捜索医療団は、こうした大きな支援の裏側でこぼれ落ちてしまうような被災者の声にもできるだけ寄り添い、被災地と被災者の復旧を支えていく活動を続けていきます。皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします。


発災から3日が経ち、被害状況が明らかになってきました。もっとも被害の大きかった光復郷(グワンフー)では14人が死亡。一時5000人以上が避難し、街には川が氾濫して濁流が流れ込み、多くの家屋や店が浸水被害に遭いました。今、被災地はどのような状況なのか。9月24日から25日にかけた現地の様子をお伝えします。まるで光復郷の街が壊滅してしまったよう9月24日、午後6時半頃、光復郷に到着。警察と消防隊員が道路に堆積した土砂や泥を排除する作業を続け、ほとんどの道路は通行可能になっていましたが、各家や店では片付けをしている人の姿が見られます。私たちは、はじめに避難所となっている教会へ向かいました。ここは、災害に備えて地域住民が自発的に設置した避難所で、地元の子どもたちが交通整理を行い、物資の集積場所に着くと、ひとりの若者が迎えて案内してくれました。この教会では、子どもも大人も、みんなで協力し合って避難所は運営されているようです。教会には、食料や飲み物は十分に用意されていましたが、毛布やマットレスなどはなく、普段は礼拝が行われる席で寝ています。教会に避難してきた被災者の方々は、今のところ体は元気そうでしたが、いつまで避難生活は続くのか、日常生活に戻ることができるのか、それぞれ今後の不安を口にしました。この教会に避難していた方に、お話を聞くことができました。「あの日、昼に川の水位が急上昇したことから避難命令が出て、住民はみんな高台へ避難しました。洪水はものすごい勢いで、私たちも車で急いで高い場所に移動しましたが、振り返ると街全体に濁流が流れ込んでいました。少し経ってから家の状況が心配だったので、屋根づたいに家に戻り、状況を確認しました。私は雑貨店を経営していますが、お店のなかの商品はほとんどが泥水に浸かり、店先から家のなかまで土砂が流れ込んでいて、普段は手が届かない高い棚にあったものが椅子などがなくても届くような状況です。街全体が泥にまみれ、まるで光復郷の街が壊滅してしまったようです。ちょうど子どもが学校にいて、なんとか連絡をとったら彼は家に帰りたいと言いました。けれどまた洪水が起きる可能性もあったため、学校に留まるように伝えました。今は、何より家族のことが心配です」「光復郷に36年間住んでいますが、これほどひどい災害は初めてです。年長者の方から40年前にも洪水の被害があったと聞きましたが、被害があったのは一部で今回のように大規模で、街全体が浸水する災害ではなかったそうです。22日の夜、家の裏側の川が台風の影響で流れがとても早く、周辺にはその音が強く響いていました。それでよく眠れなかったのですが、翌23日の午後3時くらいに川が氾濫して土石流が家に押し寄せてくる少し前に、急いでこの教会に逃げてきました。街に濁流が流れ込んでくる光景を見て、本当に身の危険を感じてとても怖かったです。なんとか避難して命は助かりましたが、家は廊下も各部屋も、庭もどこも泥に覆われ、家具も散乱してぐちゃぐちゃになっていました。片づけに行かないといけないのですが、洪水がまた来るのではないかと、怖くてなかなか戻ることができません」教会避難所には高齢者が多く、一刻も早く家がもと通りになることを望んでいますが、自分たちで家の片づけを行うには体力的に厳しく、避難生活はさらに長引く可能性もあるといいます。県政府が運営する避難所の職員も、より緊急に必要なのは住宅再建支援だと訴えます。“思いやり”がうれしく一番大切翌9月25日、洪水のピークは過ぎたものの、市街地の一部では今でも道路に水が流れ続けています。堆積された土砂を取り除く作業は急ピッチで進められ、被災者は家のなかの掃除や整理に追われています。日中は30℃を超える炎天下で、屋外作業は大変です。ピースウィンズは、教会避難所に冷蔵庫と冷凍庫を設置。そして今後の長期的な避難生活を見据えて、おもに生活必需品や衛生維持に必要な物資支援の準備を進めています。ある被災者はこう話してくれました。「食料などは支援のおかげでそれほど不自由はありません。今の私たちには、“思いやり”がうれしく、一番大切だと思います。あなたたちが来て私たちを気遣ってくれたことで、とても、とても温かい気持ちになりました。本当にありがとうございます」ピースウィンズは引き続き、衛生用品、下着など生活必需品を支援。教会避難所を中心に周辺の小学校の避難所のニーズ調査を続け、一人でも多くの人を救うために、一人ひとりに寄り添いながら、避難生活の長期化に備えた生活改善策を模索していきます。皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします。


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