【京都市伏見区】地域とお店、人と人をつなぐタウン誌をつくりたい!

2026年2月1日で、地域密着型情報サイト「まいぷれ京都市伏見区」は開設7周年を迎えます。その節目のタイミングで、伏見のまちを歩きたくなるタウン誌『伏見日和(ふしみびより)』(第2号)の発行に挑戦します。地域の人、お店、まちを愛する人たちと一緒に“伏見の未来地図”をつくる挑戦です!

現在の支援総額

49,000

3%

目標金額は1,500,000円

支援者数

9

募集終了まで残り

26

【京都市伏見区】地域とお店、人と人をつなぐタウン誌をつくりたい!

現在の支援総額

49,000

3%達成

あと 26

目標金額1,500,000

支援者数9

2026年2月1日で、地域密着型情報サイト「まいぷれ京都市伏見区」は開設7周年を迎えます。その節目のタイミングで、伏見のまちを歩きたくなるタウン誌『伏見日和(ふしみびより)』(第2号)の発行に挑戦します。地域の人、お店、まちを愛する人たちと一緒に“伏見の未来地図”をつくる挑戦です!

こんにちは。まいぷれ編集部です。今日は、少し正直なお話をさせてください。クラウドファンディングを始めてから、正直に言うと、支援のペースは私たちが思い描いていたものとは違っています。「本当に必要としてもらえているのだろうか」「この活動は続けていいのだろうか」そんな不安な気持ちになる日もあります。◎ それでも、この活動を続けていきます!落ち込む一方で、創刊号の発行の折に、皆さんからいただいた言葉が頭に浮かびます。「記事を読んで、初めて入ったお店がある」「伏見にこんな想いで商いをしている人がいると知れてよかった」こうした声をもらうたびに、『伏見日和』は“数字だけでは測れない役割”を担っているのだと感じます。◎ このクラファンは「続けていいか」を問う挑戦です!今回のクラウドファンディングは、単に資金を集めるためだけのものではありません。「伏見日和という創作活動が、これからも必要なものなのか」その問いを、皆さんに投げかけているのだと思っています。もし「この創作活動、なくなったら少し寂しいな」「伏見のこういう話、残ってほしいな」そう感じていただけたなら、それが私たちにとって大きな支えになります。◎ 支援以外の形でも、力を貸してください。支援という形でなくても、・この挑戦を誰かに話してもらう・SNSでシェアしてもらう・いいね!を押してもらう 等それだけでも、次の一歩につながります。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。悩みながらですが、伏見日和は、伏見の物語を信じて進み続けたいと思っています。まいぷれ編集部


創刊号では、各エリア毎に伏見の隠れスポットを紹介しています!今回は「伏見桃山エリア」を紹介します♪・・・・・・・・◆伏見桃山エリア【歴史】ロマン溢れる前方後円墳!桃山遠山の丘陵に、伊予親王(桓武天皇の皇子)の陵墓「巨幡墓」が宮内庁により管理されています。実際の被葬者は明らかではなく、古墳時代前期の首長級の塚とのこと。全長120mの前方後円墳。後方部は厳かな雰囲気に包まれています。【景色】パワースポット☆伏見桃山陵桃山丘陵に位置し、明治天皇が埋葬されている神聖な場所。かつては豊臣秀吉が築いた伏見城の本丸跡地。天守からは大阪城も見渡せたことでしょう。現在では、豊かな自然と澄んだ空気を浴びに、多くの人がエネルギーチャージに訪れています。【寺社仏閣】人道の奥義を学べる乃木神社日露戦争を勝利に導いた陸軍大将乃木希典を祀る神社。軍人としての偉業だけでなく、勤勉実直に日常と向き合う生き様は、今を生きる私たちの心にも強い感銘を与えてくれています。春には一円に咲きほこる染井吉野も見どころの1つ。【祭り】街が華やかに彩られる神幸祭平安時代、境内から良い香りの水が湧き出たことが名前の由来。秋の神幸祭は、主祭神の神功皇后が年に一度、氏子区域内を巡幸する洛南地域では最大級のお祭り。かつては重陽の節句に行われていました。華やかな花傘のパレードは必見です♪ 


今回のプロジェクトのリターンで、御城印『伏見城』(2種)をお付けしているコースがありますが、通常は以下の場所で販売しています。伏見にお越しいただかないと、手に入らない御城印。今回は、リターンでお付けしています!普段はどこで購入できるのか!?はい。以下の販売場所で購入できます。伏見にお立ち寄りの折には、ぜひのぞいてみてください。《通常販売場所》 ○ 伏見夢百衆(10:30~17:00/月曜休)※地図  ≫レトロな建物が魅力的。月桂冠 旧本社画像キャプション ○ 伏水酒蔵堂(11:00~20:00)※地図  ≫京都・伏見でも屈指の日本酒取り扱い数 ○ 桃山天満宮 社務所(9:00~15:00/不定休)※地図  ≫伏見城石垣の残石が残る《こんな方におススメ》 ○京都旅行・伏見観光の記念に ○歴史好き、戦国好き、城めぐりファン ○海外の友人へのお土産伏見観光の新しい楽しみ方として注目の「御城印」。戦国の記憶を、手のひらに――。


伏見城の廃城後のお話です!◆明治天皇陵造営伏見城の廃城後、ここ伏見山(桃山丘陵)にスポットがあたったのは、1912年の明治天皇陵の造営からです。今は、静かな場所ですが、戦前は参拝客でとても賑わっていたそうです。◆伏見桃山城キャッスルランド更に時代は移り、1964年に、近鉄の出資により遊園地が開園されました。その名は「伏見桃山城キャッスルランド」。私(編集長)も、子どもの頃、1年に2回ほど、遊びに行ってました。特に、桃山城のプールは大盛況でした。しかし、残念ながら、2003年に遊園地は廃園されます。伏見のシンボル的な伏見桃山城も廃城の予定でしたが、地位住民の懇願で、京都市に無償譲渡されました。現在は、「運動公園」として、区民の憩いの場所となっています。今も、この模擬天守は残っていますが、耐震基準の問題で、内部は非公開で、登城も出来なくなっています。更に、天守閣の屋根瓦などが落下して危険なため、現在は、天守閣周辺に規制線が張られ、近寄ることもできない状況です。伏見のシンボルなのに、非常に残念です。参考までに、伏見でボランティアとして活動している「伏見歴史同行会」という団体があります。この団体は、伏見市100周年(2029年)を目指して、伏見城のジオラマを作るプロジェクト立ち上げています!興味のある方は、ぜひ「伏見歴史同行会」のホームページをご覧ください。《参考情報》▶ 『伏見城』の豆知識【前編】▶ 伏見歴史Do! (伏見歴史同好会)


リターンの御城印『伏見城』。そもそも何故、豊臣秀吉と徳川家康の2代武将が関係しているのか、ご存じですか!?今回は、少しそのあたりを説明します。◆指月伏見城最初の伏見城は、豊臣秀吉が築城した「指月伏見城」(1594年)です。「指月」とは、現在の桃山泰長老町あたりで、指月の丘と呼ばれていました。しかし、1596年に伏見大地震で倒壊してしまいました。◆伏見山伏見城伏見大地震での倒壊後、直ちに再建され、1597年に「伏見山伏見城」が完成しました。「伏見山」とは、現在の明治天皇陵のある場所です。しかし、その翌年1598年に、ここ伏見城で豊臣秀吉が亡くなります。その後、徳川家康が伏見城に入場し、政権掌握への基盤を作っていきます。 ところが、関ヶ原の合戦の前哨戦「伏見城の戦い」(1600年)で、この伏見城は落城してしまいます。伏見の町は、当時の政都であったため、家康は急ピッチで伏見城を再建し、1602年に完成します。◆江戸幕府のスタートを切った伏見城その後、徳川家康は、ここ伏見城で征夷大将軍の宣下を受けます(1603年)。程なくして、家康から秀忠に政権が移ります。1605年に、ここ伏見城で、秀忠の征夷大将軍の宣下が行われました。家康は、大阪の陣で豊臣政権を滅ぼしたあと、1616年に亡くなりました。その後、家光の時代に、ここ伏見城で征夷大将軍の宣下を受けた後、政都としての役割を終えた伏見城は、1624年に廃城されます。伏見城が亡くなった後、いつしか桃木が植えられたことにより、この地は「桃山」と呼ばれるようになりました。そんな経緯で、秀吉と家康の2大武将が関係している!という訳です☆《参考情報》▶ 『伏見城』の豆知識【前編】


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