
東日本大震災を経験した金沢大学附属特別支援学校の中澤宏一校長から、能登の教育への思いが寄せられました。
「東日本大震災を経験した者が能登の復興(教育)に期待すること」
2011年3月11日14時46分,私は長男の卒業式(中学校)を終え,長男が欲しくて欲しくて仕方なかった携帯電話を購入するために携帯電話の販売店の中にいた。けたたましい「緊急地震速報」(何台もの電話が一斉に鳴り出した)。私はその音をこの時に初めて聞いた。その直後,震度7,マグニチュード9の揺れがきた。店の外に避難したが,立っていることは不可能な,まさに恐怖を感じる揺れだった。その後は,辛く苦しい戦いが続いた。発災直後から長期(本当に長い期間だった)にわたり大震災関連の情報が日々,巷に流れ,多くの支援(物心両面)が届いた。海外からの力強い支援(アメリカ軍のトモダチ作戦と銘打った支援はまさに圧巻だった)もあり,予想よりも早いスピードで復旧・復興(心の復興には時間がかかっているが…)は進んだ。
東日本大震災を経験した私は,能登半島地震の報道を目にするたびに,自らの経験と重なり,胸がしめつけられる思いがする。断水や停電だけではなく,慣れ親しんだ風景が一変した喪失感。日々,募る不安。経験した者にしか分からない痛みだと思う。
あの時と一緒だ!と思う瞬間と,かなり違うな!と感じる瞬間もある。
能登の復興は,地理的な制約や人口減少など,政令指定都市・仙台を抱えている宮城県とはまた違った,厳しい現実があると感じている。伝えられる情報量や支援の量(あえてこの言葉を使う)が格段に違っているように感じる。
東日本大震災の後,一部では「教育は無力だ」と言われた。自分もちょっとだけそう感じた。が,あるTV番組で,被災者(津波で自宅が全壊状態)の方が,「この家を片付けるためにお金を使うのではなく,教育の為にお金を使って欲しい。」「今こそ,がっちりした教育を行い,子どもたちを成長させて欲しい。そうすれば,人を助ける人になる!」と発言した。東日本大震災から間もなく15年。私は,この言葉を常に胸におき教育に当たっている。教育は人づくりだと思っている。
能登に生き,学ぶ子どもたちには,「今こそ,がっちりした教育」が必要だ。それが,能登の未来,石川の未来,日本の未来づくりの土台だと考え,微力ながら能登の教育の伴走に関わりたいと強く思っている。
私は今年,還暦を迎えた。が,
「Boys be ambitious! like this old man」の精神をもち教育を前に進めたい。
金沢大学附属特別支援学校 中澤宏一





