300年、100体の「祈り」が崩れ始めています。 熊本の放牛石仏を、いま救いたい

300年前、父を失った一人の僧が祈りを込めて彫り続けた、熊本の放牛石仏。 その数は100体以上にのぼり、長い間、静かに人々を見守ってきました。 しかし今、風雨と地震にさらされ、いくつもの石仏が崩壊寸前の状態にあります。 この祈りを未来へつなぐため、石仏を守る「屋根」を贈る挑戦です。

現在の支援総額

426,000

60%

目標金額は700,000円

支援者数

31

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/12/03に募集を開始し、 31人の支援により 426,000円の資金を集め、 2025/12/31に募集を終了しました

300年、100体の「祈り」が崩れ始めています。 熊本の放牛石仏を、いま救いたい

現在の支援総額

426,000

60%達成

終了

目標金額700,000

支援者数31

このプロジェクトは、2025/12/03に募集を開始し、 31人の支援により 426,000円の資金を集め、 2025/12/31に募集を終了しました

300年前、父を失った一人の僧が祈りを込めて彫り続けた、熊本の放牛石仏。 その数は100体以上にのぼり、長い間、静かに人々を見守ってきました。 しかし今、風雨と地震にさらされ、いくつもの石仏が崩壊寸前の状態にあります。 この祈りを未来へつなぐため、石仏を守る「屋根」を贈る挑戦です。

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このたび、放牛石仏御堂建立プロジェクトは、426,000円 のご支援をお寄せいただき、無事に期間を終えることができました。ご支援くださった皆さま、応援の言葉を寄せてくださった皆さまに、心より御礼申し上げます。本プロジェクトは、派手な告知や大きな広がりを目指したものではありませんでした。それでも、多くの方がこの取り組みに心を寄せ、静かに、確かに支えてくださいました。放牛石仏は、300年にわたり、地域の中で守られてきた存在です。今回のご支援は、その祈りが今も人の心に届いている証であり、次の世代へとつなぐための大切な一歩だと受け止めています。お寄せいただいたご支援は、石仏を雨風から守るための御堂設置をはじめ、今後の保全活動に大切に活用させていただきます。今回の取り組みを通して、あらためて感じたのは、「守る」という行為は、一度きりで終わるものではないということです。これからも、放牛石仏を守る会として、一つひとつの活動を丁寧に積み重ねてまいります。今後の活動についても、折に触れてご報告させていただければ幸いです。あらためまして、このたびのご支援、誠にありがとうございました。放牛石仏を守る会


本日、放牛石仏御堂建立プロジェクトは、ご支援総額 351,000円 と、目標の 50%を超えるところまで 届きました。ご支援くださった皆さま、応援の言葉を寄せてくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。300年にわたり、地域の中で静かに守られてきた放牛石仏。その祈りを、次の時代へつなぎたいという思いで、この取り組みを続けてきました。まだ道半ばではありますが、ここまで歩んでこられたのは、皆さま一人ひとりのお力のおかげです。本プロジェクトは、明日12月31日 23時59分 をもって終了します。もし、この取り組みに心を寄せてくださっている方がいらっしゃいましたら、どうか最後に、お力をお貸しください。残された時間も、一つひとつ丁寧に、最後まで取り組んでまいります。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。放牛石仏を守る会


新聞掲載後、私たちのもとに、思いがけない形で応援の声が届いています。「新聞を見ました」「大変な取り組みですね」そうした言葉を、電話を通じて直接伝えてくださる方がいらっしゃいました。支援という形でなくても、こうして声を寄せていただけることは、私たちにとって大きな励みです。放牛石仏は、多くを語らず、ただ静かに佇んできました。けれど、その存在は今も確かに、人の心に届いているのだと感じています。皆さまからの一つひとつの声が、この取り組みを前へ進める力になっています。心より感謝申し上げます。引き続き、放牛石仏を未来へ残すための活動を丁寧に続けてまいります。


先日、心に残る出来事がありました。放牛石仏についての投稿をご覧になった女性の方が、 お声をかけてくださったのです。その方は、お仕事の合間を縫って すでに放牛石仏を20体ほど巡られているとのこと。「どのお顔も本当に優しくて…」少し照れくさそうに、でも、まっすぐな眼差しで そう話してくださいました。「惹かれて、巡るのをやめられないんです」 誰かに勧められたわけでもなく、ただ、自分の足で歩き、 自分の目で見て、 一体一体の石仏と静かに向き合ってこられた方でした。放牛石仏は、多くを語りません。けれど、300年前に刻まれた祈りは、 今も確かに、誰かの心に届いています。思えば、石仏はずっとそこにいて、 誰が来ても、来なくても、 ただ静かに微笑んでいるだけ。それでも。いえ、だからこそ、惹かれる人がいる。今回の出来事は、 私たちに「守る意味」をあらためて教えてくれました。このつながりを、これからも静かに紡いでいきたいと思います。放牛石仏を守る会


私たちは、困ったとき、神仏に手を合わせます。どうか無事でありますように。どうか願いが叶いますように。それは、今も昔も変わらない人の姿かもしれません。しかし、放牛が残した道歌のひとつに、こんな言葉があります。神ほとけおがまぬさきに親拝め神や佛もうれしかるらん(神仏に拝む前に、親を敬うべきである)一見すると、親孝行を説いた言葉のようにも読めます。実際、この道歌は、極楽へ至る道において、親を敬い大切にすることが重視されてきた仏教の教えを背景に持つ言葉でもあります。ただ、放牛がこの言葉を石に刻んだことを思うと、それは教えをそのまま伝えるためだけではなかったのではないかと感じています。放牛が見ていたのは、もっと手前にあるもの。それは、生きている人への態度。身近な人、目の前の関係への向き合い方。今ここに生きている人と、どう向き合っているのか。その姿勢こそが問われているように思えるのです。放牛が生きた時代、言葉や祈りは、必ずしも人を救ってはくれませんでした。飢えや病があり、明日が約束されない日常の中で、「正しいこと」を言ったからといって、生き延びられるわけではなかった時代。だからこそ放牛は、人としての生き方を見つめる視点を石に刻んだのではないでしょうか。私たちが「放牛石仏」を守ろうとしているのは、信仰的なことを広めるためではありません。300年前、一人の僧が生き方として刻んだ問いを、この時代に手渡したい。その思いで、この活動を続けています。私たちは何を大切にして生きているのか。放牛の言葉は、今を生きる私たちにも、静かに問いかけているように感じます。


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