
支援・応援、ありがとうございます。
クラウドファンディングも、残り9日となりました。
今日は、数字や進捗の報告ではなく、
なぜここまで来たのか、
この一年を振り返る形で書こうと思います。
長くなりますが、
今の自分にとって必要な記録です。
よければ、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
【1月】空白
── 何も始めなかったという事実
2025年の始まりに、
特別な目標はなかった。
「今年はこれをやる」
「今年こそ変わる」
そんな言葉も、心の中にはなかった。
むしろ、今年もなんとなく一年が過ぎていくんだろうな、という感覚のほうが近かった。
仕事はしていた。
ちゃんと起きて、職場に行って、
言われたことをこなしていた。
でもそれは、
前に進んでいるというより、
止まらないために動いているだけだったと思う。
何かを始めるエネルギーも、
大きく落ち込むほどの絶望もなかった。
ただ、
「このままでいいのかな」という問いだけが、
答えを持たないまま、
胸の奥に沈んでいた。
現状を変えたい気持ちは、確かにあった。
でも同時に、
「どうせ自分は動けない」
そんな諦めも、どこかで抱えていた。
この時の自分は、
何も起こらないことを
どこかで安心していたのかもしれない。
変わらなければいけないと分かっていながら、
変わらない選択をしている自分に、
慣れてしまっていた。
今振り返ると、
1月は「空白の月」だった。
でも同時に、
この空白があったからこそ、
後に起きる変化を
ちゃんと受け止められたのだと思う。
【2月】停滞と未練
── 思っているだけの自分を、見限れなかった月
2月に入っても、
大きな変化はなかった。
「このままじゃダメだよな」
という思いだけは、相変わらずあった。
資格を取ろうかな、
何か勉強しようかな、
そう考える瞬間は何度もあった。
でも、それは
考えただけで終わった。
調べて、
画面を閉じて、
結局いつもの日常に戻る。
それを繰り返していた。
行動できない自分を見て、
「やっぱり自分は、そういう人間なんだな」
と、半ば納得していた。
情熱がないわけじゃない。
理想がないわけでもない。
ただ、
一歩を踏み出すほどの確信が、
どこにもなかった。
何かを始めることで、
失敗するのが怖かったのかもしれないし、
始めても続かない自分を見るのが、
嫌だったのかもしれない。
だから、
「何もしない」という選択を、
無意識に取り続けていた。
この頃の自分は、
変わりたいと思いながら、
変わらない理由を
上手に集めていた気がする。
それでも、
完全に諦めきれなかった。
「どうせ自分はこうだ」と
切り捨ててしまえば楽なのに、
どこかで、
それをしてはいけない気がしていた。
2月は、
何も始めなかった月だった。
でも、
自分を見限れなかった月でもあった。
この時はまだ気づいていなかったけれど、
この小さな抵抗が、
後に大きく方向を変えることになる。
【3月】評価による内部崩壊
── 評価されることで、静かに崩れた月
3月、
予想していなかった出来事が起きた。
仕事で、昇格することになった。
自分から強く望んだわけでもなく、
何か特別な成果を出した自覚もなかった。
だから最初は、
正直、実感がなかった。
でも、
少しずつ現実として受け止めるようになって、
胸の奥に、これまで感じたことのない感情が湧いてきた。
嬉しかった。
それも、
想像していた以上に。
障害者雇用で入った職場で、
仕事ぶりや人との関わり方、
日々の積み重ねを見てくれていた人がいた。
その事実が、
じわじわと効いてきた。
「自分は、ちゃんと見られていたんだ」
その感覚は、
これまで自分の中にあった
『どうせ評価されない』
という前提を、静かに壊していった。
この月に崩れたのは、
環境ではなく、
自分で作っていた限界だったと思う。
頑張っても意味がない、
どうせ同じだ、
そうやって自分にかけていたブレーキが、
少し緩んだ。
大きく跳ねたわけじゃない。
でも、
確実に地面が揺れた。
後から振り返ると、
この3月がなければ、
その後の選択は
すべて違うものになっていたと思う。
この月は、
「変わろう」と決めた月ではない。
ただ、
変われるかもしれない自分を、初めて信じかけた月だった。
【4月】立場が変わり、人との関係が反転する
── 立場が変わり、言葉の重さが変わった月
4月、
昇格したことが、少しずつ日常に影響し始めた。
それまでの自分は、
一番下で、教わる側で、
指示を受けて動く立場だった。
分からなければ聞き、
言われたことをやる。
それが自分の役割だった。
でも、
一つ上の立場になっただけで、
周囲の接し方が変わった。
これまで指示を出してきた人たちが、
指示ではなく、
「どう思う?」
「これ、どうしたらいいかな」
と、相談やお願いをしてくるようになった。
自分の言葉が、
そのまま判断材料になる場面が増えた。
このとき初めて、
立場が変わるというのは
「偉くなること」じゃなく、
責任の置きどころが変わることなんだと知った。
何気なく言った一言が、
誰かの行動を決めてしまう。
軽く流せば、
そのまま軽く扱われる。
言葉の重さが、
急に現実味を帯びた。
4月は、
自信がついた月ではない。
むしろ、
「簡単に言ってはいけない立場に来てしまった」
と、少し背筋が伸びた月だった。
この感覚は、
後に人を預かること、
組織を作ることへと、
静かにつながっていく。
【5月】声を上げる覚悟が試された
── 声を上げる覚悟が、試された月
5月、
職場に少し緊張感のある話題が持ち上がった。
障害者雇用率の引き上げに伴い、
新たに障害のある人を採用するという話だった。
採用予定の人は、
知的障害のある女性だった。
その話が出た直後、
事務の女性陣から反対の声が上がった。
「男性ならまだしも、
女性は難しいからやめてほしい」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥がざわついた。
性別への偏見と、
障害への誤解。
場の空気が、
一気に冷えたのを感じた。
少し前までの自分だったら、
ここで何か言っても、
大きく状況は変わらなかったかもしれない。
でも今は、
立場も、言葉の届き方も、
少しだけ違う。
そう思い、
部長に直訴した。
「自分は、彼女と同じ知的障害で、
等級も一緒です。
得意不得意は違っても、
彼女のことは、誰よりも理解できる自信があります。
どうか、僕に預けてください。
必ず育ててみせます」
部長は少し驚いた表情で、
こう言った。
「そう言ってもらえると助かる。
会社としても、雇わないといけないからね」
その
「雇わないといけないから」
という一言が、
ずっと心に引っかかった。
―― 法律で決まっているから雇う。
それが現実なのか。
このとき、
初めてはっきりとした言葉が
自分の中に生まれた。
「求められて雇われる社会を、作らなければいけない」
5月は、
怒りをぶつけた月でも、
正義感を振りかざした月でもない。
ただ、
自分の立場と経験を使って、
静かに声を上げた月だった。
【6月】自分が変わる理由
── 教えることで、自分の足りなさを知った月
6月、
「人を育てる」という現実に、真正面から向き合うことになった。
正直に言えば、
こんなにも難しいとは思っていなかった。
自分ができることと、
それを人に伝えることは、
まったく別物だった。
特にパソコン操作。
これまで独学で、
感覚で覚えてきたことばかりだったから、
動作一つひとつに、
きちんとした言葉が付いていない。
「ここを、こうして…」
と説明したいのに、
出てくるのは擬音ばかり。
「ブワーってやって、
パンってして、
ドン」
今思えば笑ってしまうけれど、
そのときは必死だった。
これでは、
育つものも育たない。
そう痛感した。
この月、
自分の語彙力のなさ、
伝える力の弱さを、
嫌というほど思い知らされた。
でも不思議なことに、
その悔しさは、
逃げたい気持ちにはならなかった。
むしろ、
「ちゃんと伝えられるようになりたい」
と思った。
これまで、
自分のために勉強しようと思っても、
続いたことはなかった。
でも、
誰かのためだと思うと、
勉強が苦痛にならなかった。
この頃から、
少しずつ分かってきた。
自分は、
「自分のため」だけでは動けないけれど、
「誰かのため」なら、
ちゃんと行動できる人間なのかもしれない。
6月は、
能力が伸びた月ではない。
でも、
自分の人生の使い方に、
はっきりとした方向が見え始めた月だった。
【7月】過去と今が静かにつながる
── 支援されていた過去が、現在に戻ってきた月
7月、
一本の連絡が入った。
引きこもりだった頃に利用していた、
若者支援機関の方からだった。
その支援機関が、
15周年の記念として活動報告会を開くという。
そこで、
元利用者として登壇し、
経験を話してほしいという依頼だった。
元利用者は3人。
そのうちの1人に、
自分が選ばれていた。
正直、
驚きのほうが大きかった。
あの頃の自分は、
人前で話すどころか、
外に出ること自体がやっとだった。
そんな自分に、
「今のあなたの言葉を聞きたい」と
声をかけてもらえたことが、
静かに胸に残った。
発表は8月。
7月は、その原稿作りに費やした。
どこで、
どうしてその支援機関を知り、
何に参加し、
何を感じて、
どう社会に戻ってきたのか。
過去を振り返りながら、
言葉にする作業は、
簡単ではなかった。
思い出すのがつらい記憶もあったし、
書きながら手が止まることもあった。
でも、
逃げたいとは思わなかった。
7月は、
前に進む月というより、
これまで歩いてきた道を、
一度ちゃんと振り返った月だった。
そして、
その作業が、
次の月に大きな意味を持つことになる。
【8月】人前で声を出し、言葉が届いた
── 言葉が、初めて届いた感触を得た月
8月、
若者支援機関の活動報告会当日を迎えた。
会場には、
行政関係者、市議会議員、市役所幹部など、
普段なら同じ場に立つことのない人たちが集まっていた。
参加者は約200人。
正直、
めちゃくちゃ緊張した。
手が震えて、
片手ではマイクを持てず、
両手でマイクを握りしめながら話していたことを、
今でもはっきり覚えている。
話した内容は、
どこで、どうして支援機関を知り、
何に参加し、
何を感じ、
どのように社会復帰していったか。
自分の人生を、
そのまま言葉にした。
発表後、
あらかじめ決まっていた質問が投げかけられた。
「行政に対して、
やってほしいことはありますか?」
この質問には、
理由があった。
実は2年前、
政府方針に基づく
「社会的養護経験者実態把握事業」の一環で、
北九州市が実施したアンケート作成委員会に、
当事者代表として参加していた。
委員は全7人。
その中の1人が、自分だった。
アンケート作成後、
市の担当部署から意見交換会の話も出て、
資料も準備していた。
しかし、
担当者の異動により、
その話は流れてしまった。
それを、
若者支援機関の方は覚えていてくれた。
「2年前の資料、
ここで発表していいですよ」
そう言われたとき、
この場が、
一番ふさわしい場所だと思った。
社会的養護経験者に対する支援の提案を、
行政幹部や市議会議員の前で発表した。
その後、
市議会議員の方が声をかけてくれた。
同い年だったこともあり、
自然と距離が縮まった。
数日後、
行政の方がすぐに話を聞きに来た。
第一回目の意見交換会では、
2年前の件について、
謝罪と引き継ぎ不足の説明があった。
そこで強く感じたのは、
縦割り行政の難しさだった。
悪意があるわけじゃない。
でも、
仕組みの中で、
声が止まってしまう。
8月は、
「声を上げた月」ではなく、
声が、実際に動いた月だった。
【9月】制度の壁と真正面から向き合う
── 分かったからこそ、待てなかった月
8月の出来事を経て、
9月は、行政とのやり取りが続いた。
話を重ねる中で、
はっきりと見えてきたことがある。
自分の提案は、
一つの部署で完結するものではない。
管轄をまたぎ、
調整が必要で、
どうしても年単位の時間がかかる。
縦割り行政の難しさを、
頭では理解できた。
制度としては、
それが普通なのだということも分かった。
でも、
理解できたことと、
受け入れられることは別だった。
今この瞬間にも、
苦しい思いをしている子がいるかもしれない。
「仕組みが整うまで待つ」
その間に、
誰かが取り残される可能性がある。
そう思うと、
年単位で待つという選択は、
自分にはできなかった。
そこで、
8月に知り合った市議会議員の方に相談した。
何度かやり取りを重ねる中で、
「陳情」という仕組みを教えてもらった。
市民の声を、
正式に市議会へ届ける方法。
書き方も分からなかった。
でも、
フォーマットをもらい、
添削してもらいながら、
一つひとつ形にしていった。
勢いで出したわけではない。
制度を理解した上で、
制度を使った。
そして、
9月29日、
陳情を提出した。
この月の途中、
9月16日から、noteを書き始めた。
行政の時間軸とは別に、
自分の言葉で、
今できることを残したいと思った。
誰かに届かなくてもいい。
でも、
消えてしまわないように。
9月は、
反抗した月ではない。
理解した上で、
それでも待たないと決めた月だった。
【10月】では誰がやるのか」という問いに向き合う
── 「誰がやるのか」から、逃げなかった月
9月に陳情を出してから、
10月は、そのことばかりを考えていた。
もし、この陳情が通ったとして。
その先で、
一体、誰がやるのか。
行政がやるのか。
既存の支援機関がやるのか。
でも、
現実を見れば答えは簡単だった。
どこの支援機関も、
すでに手一杯だ。
新しい取り組みを
余力を持って引き受けられる状況ではない。
かといって、
行政に丸投げすれば、
この陳情の本質は、
少しずつズレていく気がした。
制度として整えることと、
人の暮らしに届くことは、
必ずしも同じじゃない。
このままでは、
「声を上げただけ」で終わってしまう。
それが、
一番嫌だった。
悩みに悩んだ末、
10月15日、
NPO法人を設立することを決めた。
勢いではない。
理想だけでもない。
ただ、
言った以上、
引き受けるしかないと思った。
誰かにやってほしい、ではなく、
自分がやる。
その覚悟を、
この日、はっきりと決めた。
10月は、
前に出る決意をした月ではない。
後ろに下がらないと決めた月だった。
【11月】覚悟を一人から組織へ広げていく
── 覚悟を、形と人に渡し始めた月
10月に法人設立を決めてから、
11月は、一気に現実が動き出した。
法人を作るには、
一人の覚悟だけでは足りない。
最低でも、10人のメンバーが必要だった。
誰に声をかけるのか。
どんな人と、一緒にやるのか。
ここで間違えると、
法人は長く続かない。
そう思い、
勢いで集めることはしなかった。
行政書士、税理士、
社会福祉士、心理士、
民生委員、地域住民。
それぞれ立場も専門も違う人たちに、
一人ずつアポを取り、
直接会って、
自分の考えと覚悟を伝えた。
簡単な話ではなかった。
共感してくれる人もいれば、
慎重な意見をくれる人もいた。
でも、
否定されることは、
怖くなかった。
むしろ、
きちんと意見を言ってもらえることが、
ありがたかった。
そして11月9日、
法人設立に必要な資金を集めるため、
クラウドファンディングを始めた。
これは、
お金を集めるためだけのものではない。
自分の覚悟を、
外にさらす行為だった。
応援されるかどうか。
見向きもされないかもしれない。
それでも、
やると決めた。
11月は、
「やります」と言った月ではない。
「やっていく」と、
人と社会に差し出した月だった。
【12月】一年を受け止めきる
── きれいじゃない現実を、引き受けた月
12月、
法人の活動拠点となる物件を探し始めた。
空き家を若者の住まいとして活用することを目指す
一般社団法人とアポを取り、
理念や方向性を共有した。
社会的養護経験者の住まいを、
空き家活用によって確保する。
それは同時に、
地域の空き家対策にもなる。
考えていた構想と、
相手の理念が重なっていた。
そうして紹介してもらった物件に、
一つの事実があった。
アスベストがある、ということ。
正直、
避けようと思えば避けられた。
別の物件を探すことも、
「今回は見送る」という判断もできた。
でも、
空き家を活用する以上、
アスベストは
いつか必ず向き合う問題だ。
だったら、
最初から引き受けようと思った。
検査を行い、
どこに、どの程度あるのかを明らかにする。
封じ込めなのか、除去なのか、
どの工法を取るのか。
それらをすべて、
ホームページで公開することを決めた。
若者が住むからこそ、
安全性を最優先にする。
同時に、
隠さないことで、
信頼と透明性を保つ。
12月は、
「理想」を語る月ではなかった。
現実を、どう扱うかを決めた月だった。
この月、
行政との第二回意見交換会も行われた。
12月議会で
自分の出した陳情が取り扱われるため、
通常であれば、
行政と陳情者は距離を取る期間だ。
それでも、
意見交換会を開いてもらえることになった。
行政は、
自分を「陳情者」ではなく、
社会的養護経験者の当事者、
そして法人設立準備者として
向き合ってくれた。
理念、方向性、
これからやろうとしていること。
率直に話し、
手応えを感じた。
そしてこの場で、
ずっと心に引っかかっていたことを伝えた。
第一回目の意見交換会のあと、
一言も言わずに、
陳情を出してしまったこと。
まずそのことを謝罪して、
会は始まった。
言うべきことを、
ちゃんと言えた。
それだけで、
胸の奥が少し軽くなった。
総括
── 人のために動ける自分に、ようやく出会えた一年
2025年を振り返って思う。
この一年は、
何かを成し遂げた年ではない。
肩書きが増えたわけでも、
完成した仕組みがあるわけでもない。
でも確かに、
自分の中で一つ、
はっきりした変化があった。
それは、
逃げなくなったこと。
年の初めは、
何も始めるつもりがなかった。
変わりたいと思いながら、
変わらない自分を
どこかで受け入れていた。
それが、
評価され、
役割が変わり、
誰かを育てる立場になり、
社会の仕組みと向き合い、
声を上げ、
引き受けるところまで来た。
自分のためではできなかったことが、
人のためならできた。
その事実に、
この一年で何度も救われた。
月ごとに、
一歩ずつ。
派手ではないけれど、
確実に前に進んできた。
気づけば、
年初に想像していた景色とは、
まったく違う場所に立っている。
今、
クラウドファンディングは残りわずか。
この一年の歩みを読んで、
もし
「この挑戦を応援したい」
「一緒に考えたい」
そう思ってもらえたなら、
クラウドファンディングという形で
力を貸していただけると嬉しいです。
これは完成した計画ではありません。
これから育っていく挑戦です。
最後まで、
言葉と行動の両方で、
向き合い続けます。
この一年を振り返ってみて、
改めて感じたのは、
完成したものは何一つない、ということです。
それでも、
逃げずに向き合い続けることだけは、
この先も続けていこうと思っています。
クラウドファンディングも、残り9日。
最後まで、言葉と行動の両方で向き合います。




