【わたしとKitchenについて】
初めまして。
沖縄県那覇市安里、国際通り界隈にあるカフェ「Kitchen」のオーナー・渡嘉敷百合子と申します。
目を留めていただき、心から感謝いたします。
Kitchenは日・月定休日/祝日不定休、11:00~15:00(L.o14:00)のランチ営業のカフェです。
メニューは創作パスタと自家製スイーツがメインです。

コンセプトは「フードコーディネーターが手がける食の素敵空間」です。
この資格がなくてもカフェはできるのですが、カフェ経営者としてのスキルアップ、お客さまの信頼度にも繋げたくてフードコーディネーター2級まで取得しました。得意分野は商品開発です。
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このクラウドファンディングを立ち上げるには生半可ではないという信念があります。
これまで歩んできた道のりをお話しさせてください。
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この仕事をしているきっかけ
中学生の頃、好きな子に初めて手作りケーキを作った時うまく作れなかったのが悔しくてスイーツづくりに目覚めました。お小遣いが溜まるとスイーツ本、回転台や製菓用パレットナイフ、焼き型などの製菓用具を買うのが楽しみでした。東京の製菓学校へ行きたかったのですが学費が高く諦め、沖縄大学の法経学科へ進学と共に那覇市内の珈琲専門店で初めてのアルバイトを始めました。ホールのバイトでしたがケーキ作りが好きだということで、オーナー夫妻が「そんなに好きだったら店で出してごらん」と言ってくださり、そこから奮起。学業よりもお菓子作りに没頭しました。行動力あっても打たれ弱かった若いころ
それから製菓衛生師の資格を取得しました。県内のカフェで働いた後に、東京へ修行に出ました。いくつものカフェやケーキ屋さんを足で回り、ダメもとで「募集してませんか?」と履歴書を渡し続けたところ、ご縁があり三鷹のパティスリー、その後吉祥寺のカフェで製菓の仕事に就きましたが、、、初めての大きな挫折。理想と現実のギャップについていけず自分の甘さを思い知らされて2年半ほどで沖縄に戻ることになりました。
転機となった姉と2人での起業
悔いが残り沖縄に戻ってからも、カフェをやりたい気持ちは変わらず。挫折が背中を押してくれました。
そして、2005年28歳のとき、ホテルで長年バーテンダーをしていた3つ上の姉と2人で念願のカフェを開業することになりました。姉はお酒、わたしは料理・スイーツの夜カフェ、30坪の広い物件、怖いもの知らずでした。洋食の本で印象に残ったソースが大きなヒントとなります。白身魚に合わせたソースが「醤油+クリーム」で、その意外な組み合わせをカルボナーラにしようとひらめき「しょうゆ味の絶品カルボナーラ」を考案、お店の看板メニューにしました。口コミでこのカルボナーラのファンが本当に沢山ついてくださりました。
カルボナーラとスイーツの2枚看板が強み
そんなエピソードも想えば20年前です。48歳の現在。Kitchenの看板メニュー「しょうゆ味の焼きカルボナーラ」も具材を変えて当時の味を引き継いでいます。そしてこれを食べに来てくださるお客さまがやはりとても多く、中には10年来の常連さまでいろんなメニューを冒険せずこのメニューひとすじの方もいます。
「島らっきょうとタコ、キムチの赤いカルボナーラ」「クラムチャウダーのカルボナーラ」などの期間限定カルボナーラも人気。多種の創作カルボナーラに加えて、小さい頃から好きだったスイーツ作りを生かし「ブラックペッパーのチーズケーキ」など自家製スイーツも多種考案。

今では創作カルボナーラと創作スイーツがお店の看板メニューとなりました。
小さなこだわり
身近にある食材だけど、意外な組み合わせで尚かつ分かりやすいメニュー。漢字やカタカナだけではなくひらがなをうまく使いメニューのネーミングに優しさを出すなど、女性オーナーならではの表現や感覚にもこだわりました。「醤油」と【しょう油】の感じ。フォルムというのでしょうか。
「醤油味の焼きカルボナーラ」ではなく【しょうゆ味の焼きカルボナーラ】。
「kitchen」ではなく「KITCHEN」でもなく【Kitchen】。
好きなことを仕事にするならば、ほんの少し遊び心を持ちながらもどこか身近な存在だけど、他にはないような、、そんなカフェにしたかったのです。音楽やアート、写真も好きなのでいろんなものにアンテナを張りながら”食の素敵空間”作りをしてきました。アナログなこともありメニューは手書き、レジも昔ながらのレジスター、人の温かみを大切にしてお店を続けてきました。

そんなKitchenは、わたしの居場所。
急に通告された立ち退き
2024年8月、10月がきたらオープンから9周年という時期でした。
長くやっていくために先を見据えて金融公庫から借り入れをし、エアコン買い替えや店舗の修繕を行ったわずか3か月後の11月、家主から急な立ち退きの通告を受けたのです。老朽化に伴い、建物を取り壊すので3か月で退去してほしいとのことでした。まず住居の立ち退きとは訳が違うので言葉が出ず、、、
裁判所から調停申立書が届く
ある日、娘を迎えて帰宅すると裁判所からの書類が届いていました。目の当たりにしたことがなく時が止まったような、目の前が真っ白になったのを覚えています。立退き通告後、移転に伴う損失をどれぐらい考慮していただけるのかと協議していたのですが、切実さが伝わらずに調停を立てられてしまいました。わたし自身に潤沢な資金があれば、拒むことなくすんなり出ていけたのかも知れません。「出たくない」ではなく「出ていけない」のです。みなさんならどうしますか?それからは、仕事と子育ての合間を縫っては弁護士への相談や不動産回り、ネットでの物件探しの日々。しかし見合った物件は全くなく、キッチンカーで運営することも一時は考えたぐらいです。まだ小さな娘もいるので必死に走り回りました。
そしてようやく寄り添っていただけそうな弁護士の先生に出会い、依頼をしました。すがる思いでした。
うるま市のキッチンカー運営会社まで足を運び相談をしました喪失感
10年間育んできた店は、私の居場所であり財産です。
私はシングルマザーで小学1年生の娘がいます。働ける時間も限られているため出産後からこれまで「ランチ営業だけ」で生計を立ててきました。容易なことではありませんでした。そのため店を失うことへの絶望感と同時に、お客様とのつながりや築き上げてきたものを断ち切りたくないという想いが交差しました。
希望の光
調停が始まるも気が滅入ってしまい日に日に自信をなくし、いっそのこと自営業を辞めてしまおうかと思い、就活までしていました。睡眠障害にも陥りました。そんななか4度目の調停を控えた2025年10月。奇跡的に”ここだ!”と思える物件に出会いました。何気なく見に行った物件でした。現実と葛藤し自身の直感を信じ、調停や裁判を1年2年と長く続けるよりも移転先の確保を最優先にと判断。落とし所をつけやっと決定した立ち退き料。そこから弁護士費用も引かれるため移転必要額の半分にも満たない金額ですが、承諾することで目処をつけたのです。絶対に後悔ないようにしようと覚悟が決まった瞬間でもありました。わずかな希望の光。調停の前日は毎回、娘と一緒に波之上宮へ。「Kitchenを守れますように」との祈りを込めて、、、
背中を押してくれた宝物
約1年間、仕事の合間に精神的に辛い調停が続きました。
それでも諦めなかったのは、10年間支えてくださったお客さまの「Kitchenがどこへ行っても必ず通うから!行くから!」という温かい声、家族や友人知人の励まし、寄り添っていただいた弁護士の先生。
そして愛娘の「大人になったらママとKitchenやりたい」「ママがんばれ」の言葉です。


【実現したいこと】
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
移転には、精神的にも経済的にも大きな負担がありますが、お店を継続させたい。
ですが強い想いと信念があるものの、移転に必要な費用が大幅に不足している状況です。
皆さまのお力をお借りして、Kitchenを新しい場所で再スタートさせてください。
どうか、Kitchenの存続のためにお気持ちとお力添えをお願いいたします。

【現在のお店ができるまで】
2015年。路面ではなく2階にある倉庫のような隠れ家物件にひと目惚れして即決。
仲間で店を作り上げ開業から10年間、
たくさんのお客様に足を運んでいただける空間を皆様と共に育んできました。2階店舗へ上がる階段入り口
外観
2階店舗へあがる階段入り口看板は鉄の無骨な感じが好きで錆びてもいいようにオーダーしました。
10年たった現在いい感じに味が出ています。こだわりが詰まった店です。
この看板を移転先へ持っていくつもりです。
そしてわたし自身も味のある人間になりたいです。
ママ業とカフェ経営、思った以上にハードです
こんなふうに毎日のスケジュールをこなしています。
6:00 起床
7:30 娘を学校へ連れていく
8:00 仕事へ~開店前の仕込みと準備
11:00 開店
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15:00 閉店~17:45 掃除・仕込み・スタッフのまかない等
18:15 娘のお迎え~そのまま娘を連れて翌日の仕入れ
20:00 帰宅
・・・食事・入浴・宿題などの家事育児やコミュニケーション
21:30~22:00 娘寝かしつけ
家事やPC事務作業等、、、
2:00~3:00 就寝
業態や規模、スタッフの人数にもよるのですが飲食店は営業時間外の業務が必須なので、
11:00~15:00と営業時間は短くても、時間外に様々な業務をこなさなければなりません。
シングルマザーなので代わりはいなく働ける時間も動ける時間もかなり限られています。
自分のプライベート時間はほぼありません。
大好きで尊敬する友人たちからのメッセージ
(株)トランク 代表取締役社長 野間謙策さん
ワイン食堂 トランクプーゾチーズケーキ檸檬とスパイス
イタリア食堂ha-na 古市あやのさんイタリア食堂ha-na
まぜ麺マホロバ 大谷宜生さん
まぜ麺マホロバ
churapana 蓑島尚美さん・私の娘・備瀬綾乃さん
churapana
ノラクログループ代表 太田謙さん(Kitchenの内装を手掛けてくれた友人)
BAR NORACROEL patioCENTRO自家製生パスタpaspa
旬膳・酒肴 楓 知念優子さん
旬膳・酒肴🍁楓
栄町 全色グループ代表 鉢嶺慶人さん
全色本店果樹農家 比嘉晴樹さん
沖縄そば屋店主&限界突破タクドラ 奥間朝樹さん
タイラ製麺所南風原店(経営)&タクドラの二刀流OK
ホテルアザット 支配人 日山善博さまホテルアザット
***再スタートの場所***
【移転先について】
移転先の那覇市楚辺の物件外観です。閑静な住宅街にあります。少し歩くと那覇の中心街にもほど近く、県庁や県警など国際通りから徒歩圏内に立地をかまえた場所です。昔からこの周辺はなんというか神聖な空気感がありました。これまでの経験を軸にこの物件を内覧したとき、直感でここだと思いました。
ただ、、、
資金の見通しがつかないと契約すらできない状況ですが
家主の方、不動産の方ともにご理解いただき、他に候補者がいる中待ってくださっている状況です。
設備売買条件の飲食店居抜き物件なので、物件取得費(契約)だけで470万円です。
加えて、店舗の引っ越し(搬出→搬入)や内外装工事、新たな設備導入、その他含めると800万超となります。
とても大きな賭けでもあります。
移転先の外観
Kitchenのセカンドステージ
もう一つ、これまでと違うのは、ワンオペの営業となることです。
これまで信頼も厚く長年頑張ってくれたスタッフ咲ちゃんは移転閉店と共にKitchenを卒業します。新店舗のオープンまで待たせるわけにもいかないし他の仕事も経験したいという本人の気持ちを大切にしたいと思います。

ワンオペ営業のため、オペレーションを考え食洗器などの新たな設備も必要になります。居抜きとはいえ動線を計算して作りこむため内装外装工事も必要です。またワンオペとなれば現店舗よりメニュー数も客席も減らすことになりますが様々な面で足し算引き算をしながら、整えていく予定です。お客さまの期待を裏切らないように精いっぱい頑張ります。
娘もまだ幼いので移転前と変わらず【ランチ営業のみ】となります。
一人での営業となりますが、今まで以上に人との繋がりを大切にできる空間づくりをしていきたい。
【目標金額】
移転に向けて最終目標は750万です。
が、初めての試みでもあるので達成率を重視して第一目標は450万としております。
ファーストゴール→ネクストゴール→ファイナルゴールで目標達成を目指します。

【リターンについて】
7周年に作ったオリジナルの箸、8周年の際に作ったオリジナルステッカー、9周年の際に作ったオリジナルポストカードにはお礼のメッセージを添えます。10周年記念に制作したオリジナルTシャツ、移転先にてご利用いただけるお食事券やスイーツ1品サービス券。
また、ご支援いただいた方のお名前をアート風にアレンジし移転先にて飾らせていただくリターンもご用意しております。(個人・企業様)
リターンの内容を見ていただいたうえでぜひご支援お願いたします。

【スケジュール】
2026年1月中旬 クラウドファンディング開始
2026年2月 2月末日で現店舗での営業終了。
・・・物件契約・・・
ー図面作成・改修計画と設備等も含めた資金計画ー
その後、移転に向けて準備開始。
2026年2月末 クラウドファンディング終了
2026年3月後半~ 準備ができ次第リターン順次発送予定
2026年3月下旬 ~5月 移転先内装工事開始
同時に現店舗の撤去作業と移転先への搬入作業など
2026年6月 オペレーションや各種許可申請などの手続き
2026年8~9月 オープン予定
現店舗閉店後は収入がストップしてしまうので、
移転準備で多忙ですができる限りの仕事をしながら乗り越えようと思っております。
【最後に】
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございます。
多くの方が通ってくださったお店を存続させるために、新たなステージへ挑戦させてください。
諦めずに頑張って夢を継続したい、そして愛娘にママの大きな背中を見せたいです。
想いをこめて一筆!






大好きな空間でいただくパスタ、スイーツをこれからもずっと! 微力ながら…応援させてくたさい😊
美味しいパスタとケーキがこれからも食べられるように 応援するよ!
美味しいお店、ファンも多いと思います。頑張ってください。