
残り6日となり、現在のご支援総額は528,000円で、支援者数は98名となりました。
これまでご支援いただいた98名の皆様、本当にありがとうございます!
毎度言ってはいますが、諦めずにもがき続けます!!
本日は「学生の頃の私は」というテーマで書いていこうと思います。
今は26歳となり、プロを目指すサッカー人生ではなく、プロを目指す学生を応援する立場になりました。
そんな私が学生だった小・中・高・大学生だった頃、どんな学生だったのか。
紛れもなく事実なのは、「プロを目指していた」ということ。
まずは小学生
福島県伊達市の田舎町で生まれ、本格的には小学2年生から地元の少年団に入ってサッカー人生をスタートさせました。
正直その頃はうまかったと思います。
割と思うように体を動かすことができるタイプで、運動神経だけで点をとるFWからゴールを守るGKまで卒なくこなすオールラウンドプレーヤーでした。
田舎の中ではもちろんどんな試合でも活躍できている感覚はあり、「俺に任せろ」と試合中もよく言っていた少し恥ずかしい記憶もあります。
中学生
ベガルタ仙台に合格をきっかけに親元を離れ、祖母と二人で宮城県へ移住しました。
チームでの活動初日の感想は、「無理だ」以外何も出てこなかったです。
福島の田舎で活躍していると勘違いしていた一人の少年が、東北で一番レベルの高いチームに受かってしまったことで、伸びきっている鼻は完全に折られました。
それからの3年間は、試合に出たり出なかったり。
同期のライバルが、中学3年生で難関校への受験に切り替えるため退団したことで、自動昇格のようにユースへ。
高校
「同期がいなくなったからだ」という多少、いやかなり多めなネガティブを心に潜ませながら活動初日を迎えたことを覚えています。
ただ、高校1年の間は国体選抜に選ばれ、実際に宮城県国体を全国出場に導いたりと順風満帆なサッカー人生とも言えた気がします。
しかし高校1年から2年生に上がるタイミングで慢性的な疲労から腰の大怪我でチームから1年半の離脱を強いられます。
復帰したのは3年の夏で、プロになるには、いい大学にいくには何よりも大事な全国大会は、現在アビスパ福岡でゴールキーパーとして活躍する小畑裕馬にスタメンを預け、ベンチ外。
3年時はキャプテンであったのにも関わらず情けない想いでした。
この頃です、完全に「プロ」を諦めたのは。
もちろん怪我だけではなく、GKにしては低い178cmの身長も、言うまでもなく技術も、全て。
ここで完全に自分に負けました。
大学
私はご縁あって城西国際大学という千葉県の大学へスポーツ推薦で進学することができました。
人生での転機は大学と言っていいでしょう。
プロになる人間のレベルを間近でたくさん体感し、本格的に諦め、「起業」という道に走りました。
原動力は「プロになったあいつより稼ぐ」。
これ一心でビジネスの世界へ足を踏み入れました。
これまで綴ってきたのは思い出ではなく、ただの時系列順の出来事です。
共通して伝えたかったのは、「弱かった」ということなんです。
レベルの高い環境に気持ちで負けました。
ユース昇格というポジティブすらネガティブに捉えてしまう弱さに負けました。
怪我に負けました。
「あいつより稼ぐ」という他人軸での生き方で、向き合うべき自分に負けました。
ここまで自分の隠したい過去を全て曝け出す理由はただ一つで、こんな自分のような人間が必ずいるはずと思うからです。
チームスポーツをやっているはずなのになぜか個人戦を凝り広げ、勝手に何かと比べて負け続けている学生が必ずいると思うからです。
私はそんな学生の潜在的、うちに秘めている良さを引き出せるような環境を作っていきたいと思います。
いつしか学生の頃、俺より下手だったやつが今プロで活躍しています。
いつしか学生の頃、日本で知らない奴はいないほどうまかったあいつは今、プロになれず普通に働いています。
どんな人が、果たしていつ花開いていくかなんてわからないんです。
私はプロになれなかったけど、私にしかできない形で後輩たちの「プロになる」という夢を応援していきます。
長くまとまりのない文だったと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
PROSPECT ACADEMY 代表 伊藤



