
聞こえて来ないと人は、「もう大丈夫なのかな」と思ってしまうものですね。
現場に行くこと。そして、背後の想いへ想像力を持って接することの大切さを改めて気づかされました。
昨年11月に起きた佐賀関の大火災の跡地は、まるで輪島朝市通りでした。未だこの様な状況だとは全然知りませんでした。
作業に時間がかかる理由は、自分の敷地外に貴重品が紛れ込んでいることが往々にあり、その敷地の方の許可を要することや、ボランティアも家主の許可が必須であること、また、瓦礫の撤去先も検討中という事が重なっているそうです。また、仮設住宅が建設されず空き家に移住を余儀なくされ、真隣の人と痛みを共有できずに孤立する点が能登との違いのようです。
そんな佐賀関の方々が、能登に心を寄せてくださっているのです。
今回のイベント主催者である「Sketchgarden_」の店主のんさんは、能登の震災以降2年間応援活動をされて来られ、佐賀関の火災では避難所としてお店を提供されました。のんさんが能登応援する理由の一つに、お店の常連さんが2023年の暮れに「久々に能登へ里帰りする!」と話したきり音信不通になってしまったからなのだそうです。
のんさんからお話を伺い、場所はもはや関係なく、自分と地続きのことと思える人たちの想いを持ち寄る会にしよう!と一致しました。
イベントでは、たくさん能登の物を仕入れて買って応援を呼びかけてくださいました。夕方の部には、ピアニカとウクレレ演奏に歌まで披露されて、温かい空間でした。お店にはたくさんのお客様が駆けつけ、日頃からこの「Sketchgarden_」という場がみんなの心が集まる場になっているということが分かりました。
そしてのんさんは、参加者の皆様に向け、イベント開催の動機を話されました。音信不通となったお客様がいてその方に届いて欲しい一心で続けて来たこと。でも、もう亡くなっているのだと思う、返って来ない返事を待ち続けるのは今日で終わりにする、と宣言されたのでした。
わたしはこの二年、悲しみに立ち止まってはいけないのだという強迫観念に似た感情で突っ走って来たことに気付かされました。と同時に、この震災で他界された方々にとっては、まだたったの3回忌を迎えたばかりであること、そのことを受け止めきれずに、心に悲しみや傷みを抱えておられる人もたくさんいらっしゃるのだ、ということを改めて思い知りました。そして、時間と共にそうした感情は表に出しにくくなっていくのかも知れないとも思いました。
この先、わたしが主体となる「復興支援活動」においては、そうした気持ちへの配慮と想像力を持って進めていきたいと思います。
佐賀関で被災された方々の苦痛や欲求にも、この先敏感にアンテナを張りながら能登の復興活動で身につけたことを活かし、自分にできることを見つけていこうと思います。



