消えゆく創造の源を救いたい!日本画の巨匠・堂本印象の「山のアトリエ」復活への挑戦

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日本画の巨匠・堂本印象が、最高裁判所大法廷に飾る巨大壁画(三部作)を制作するために造った「山のアトリエ」。建築から75年を経たアトリエは老朽化が進み、このままでは文化財としての価値を維持することが困難な状況にあります。この空間を、次世代へ確実に引き継ぐためにリノベーションを行います。

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日本画の巨匠・堂本印象が、最高裁判所大法廷に飾る巨大壁画(三部作)を制作するために造った「山のアトリエ」。建築から75年を経たアトリエは老朽化が進み、このままでは文化財としての価値を維持することが困難な状況にあります。この空間を、次世代へ確実に引き継ぐためにリノベーションを行います。

京都の北西部、衣笠山の麓にひっそりと伸びる一本の道があります。金閣寺から龍安寺を経て仁和寺へと至る全長約2.5キロメートルの「きぬかけの路」。

三つの世界遺産を一筋の道でつなぐこの散策路は、京都でも屈指の贅沢な道のりです。

真夏に雪を夢見た天皇の故事

「きぬかけの路」という名は、平安時代の第59代宇多天皇にまつわる風雅な逸話に由来しています。真夏のある日、天皇は雪景色が見たいと所望されました。

すると衣笠山に白い絹布を掛けて覆い、あたかも雪が積もったかのように見せたと伝えられています。この故事から衣笠山は「きぬかけ山」とも呼ばれるようになりました。

もっとも、この道がこの美しい名を得たのは意外にも最近のことです。1963年(昭和38年)に観光道路として開通して以来、長らく単に「観光道路」と呼ばれていました。

転機となったのは1991年(平成3年)のこと。前年に地元の商店主たちが結成した「衣笠古道会」が中心となり、沿線の有力寺院や自治会の関係者、有識者らによる公募委員会を組織して、この道の愛称を全国から募集しました。

1249通もの応募の中から選ばれたのが、宇多天皇の故事にちなむ「きぬかけの路」だったのです。今ではこの名が公式の地図や観光情報にも記され、広く親しまれています。

緑の衣笠山に抱かれた歴史街道

きぬかけの路の沿道は、美観風致地区および歴史的風土保存区域に指定されています。衣笠山の緑を背景に、北山文化を象徴する金閣寺(鹿苑寺)、枯山水の石庭で世界に知られる龍安寺、そして御室桜で名高い仁和寺と、三つの世界遺産が並びます。

金閣寺から龍安寺まで徒歩約18分、龍安寺から仁和寺まで約11分。わずか30分ほどの道のりにこれほどの名刹が凝縮されている場所は、京都でもなかなかありません。

さらに等持院や妙心寺、北野天満宮といった名所も周辺に点在し、道沿いにはカフェや和菓子店、ギャラリーなどが軒を連ねています。

ちなみに、京都のローカルフードとして知られる「衣笠丼」も、この衣笠山に由来するとされています。お揚げと青ねぎを卵でふんわりとじた姿が、青々とした木々に白絹のかかった衣笠山を思わせることから、その名がついたのだそうです。

そしてこの道沿いにあるのが堂本印象美術館です。

金閣寺の荘厳、龍安寺の静謐、仁和寺の雅。そしてその道すがらに出会う堂本印象美術館。

きぬかけの路は、千年の古都が持つ多彩な表情を、一歩ずつ足で味わえる稀有な道です。

大正から昭和にかけて、木島桜谷や土田麦僊、山口華楊など多くの日本画家たちがこの地に住んでいたため、「きぬがさ絵描き村」とも呼ばれるようになりました。

次の京都旅では、ぜひこの絹の伝説が残る道を、ゆっくりと歩いてみてはいかがでしょうか!

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