
食レポライターX(外科医ドクターXではありません)のレポートは下記の通りです
実は彼は盛り付けXとも呼ばれてるようで、彼の盛り付け姿を見たものは誰もいない
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
チンジャオロース序章:これは、料理の形をした英語の授業である
私の日常には、時折、時空の歪みが発生する。気がつくと、そこにあるはずのないタッパー容器が、厳然たる事実として、私のテニスバッグの隣に鎮座しているのだ。送り主は、分かっている。多くを語らず、ただ圧倒的な「食」の事実だけを突きつけてくる、あの二瓶さんだ。
三日間にわたるデミグラスシチューという名の茶色い叙事詩を読了し、四日間にわたるチャプチェという名の色彩豊かな論文を解読した私に、今回与えられた課題は、あまりに身近で、そしてそれ故に、最も難解な一品だった。
タッパーの蓋に書かれた、殴り書きのような「青椒肉絲」の四文字。私は、その文字を見て、一瞬、遠い目になった。青椒肉絲。それは、中華料理界における「Hello, how are you?」だ。誰もが知っていて、誰もが口にしたことがある。それ故に、その他大勢の、油にまみれた凡庸な記憶しかない。あの二瓶さんが、この最も基本的な挨拶で、一体どんなディベートを仕掛けてくるというのか。
覚悟を決めて、蓋を開ける。その瞬間、私は、自分の知っている青椒肉絲の概念が、根底から覆されるのを感じた。これは、青椒肉絲ではない。断じて違う。これは、一つの完璧な「英文」だ。それぞれの食材が、まるで巧みに選ばれた単語のように、生き生きと、そして自信に満ち溢れて、そこに「存在」している。
ピーマンの緑は、現在進行形のように鮮やかだ。豚肉は、まるで力強い動詞のように、物語の中心にどっしりと構えている。タケノコは、その食感を予告するかのように、小気味よい形容詞のように、輝いている。食べる前から、この一皿が雄弁に何かを語りかけてくる。情報量が、あまりにも多い。
私は、この「作品」を前にして、白飯を用意することすら、何か試されているように感じた。この完璧な構文を、炭水化物という名のスラングで汚してしまっていいのだろうか。数秒間葛藤した末、私は、日本人としての本能に従い、炊き立ての白飯の上に、そっとその美しい文章を乗せた。
そして、運命の一口。箸でつまみ上げたその一節が、口の中に入った瞬間、私の脳は、情報の洪水に見舞われた。なんだ、この流暢なプレゼンテーションは。
まず、ピーマンが「サクッ」という現在形の音を立てる。これは、過去形でも未来形でもない。今、この瞬間が最も美味しいのだと、力強く宣言している。次に、タケノコが「シャキシャキ」と、心地よいリズムを刻む副詞のように、全体の食感にアクセントを加える。
そして、主語である豚肉。これが、とてつもない。信じられないほど柔らかく、そしてジューシーだ。噛むと、凝縮された旨味が、まるで関係代名詞節のように、次から次へと溢れ出してくる。この豚肉は、ただの豚肉ではない。幾多の修飾語句を従えた、複雑で、奥行きのある主語なのだ。
それらすべてが、甘く、香ばしく、しかし決して自己主張しすぎない、完璧な接続詞としてのタレによって、一つの滑らかな文章として完成されている。口の中は、もはや国際会議の様相だ。食感のディベート。味のディスカッション。香りのスピーチ。私は、ただ、無心で白飯をかき込み、この圧倒的な説得力を受け入れるしかなかった。
食べながら、私は考えていた。この一皿から、二瓶さんという男のプロファイリングを試みていた。この完璧なまでの「構文」へのこだわり。この一単語の選択も間違えないという、強い意志。これは、ただの料理好きの仕事ではない。もっと、こう、彼の人生そのものが反映された、何かだ。
そこで、私は思い至った。そうだ、彼は、英会話講師だった。あの、文法と、発音と、コミュニケーションの世界で生きてきた男だ。彼にとって、ピーマンの食感が悪いのは、時制の一致が間違っているようなものなのだ。タケノコの香りが飛んでいるのは、致命的なスペルミスなのだ。肉が硬いのは、もはや会話が成立しないレベルの発音の悪さなのだ。
そうか、彼は、厨房で料理をしているのではない。中華鍋という名の教壇で、食材という名の単語を使い、青椒肉絲という名の完璧なスピーチを組み立てているのだ。ピーマンは「crisp」、豚肉は「juicy」、タケノコは「crunchy」という、最も効果的な単語を、彼は的確に選び抜いている。そう考えると、この恐ろしいほどの完成度にも、納得がいく。
これは、料理の形をした、彼の英語の授業そのものだ。癌という、人生最大のコミュニケーション不全を乗り越えた彼が、再び手に入れた世界で、自らの言葉で、いや、自らの味で、世界と対話するために作り上げた作品なのだ。
食べ終えた皿には、油一滴、ほとんど残っていなかった。あれだけの食材を炒めたというのに、このクリーンな結論は、一体どういうことなのか。最後の最後まで、見事なエンディングだ。




