【西表島のパイナップルの歴史②】
― 缶詰工場の時代(後編)―
1960年代、西表島では
パイナップル栽培がさらに広がり、
島の暮らしを支える
大切な作物になっていきます。
当時、缶詰用パインの買取価格は
1kgあたり4〜6円ほど
大学卒の初任給が
1〜2万円ほどの時代だったことを考えると、
このころはパイナップルが
農家にとって大きな現金収入だったと
言われています。
当時主流だった品種は
スムースカイエン(ハワイ種)。
このころは生食用ではなく、
缶詰用のパイナップルだったため、
皮が割れていても、
味があまり良くなくても問題はなく、
とにかく大きく、重いパイナップルを作ることに
力が注がれていました。
肥料を多く使い、
2〜3kgもある大きなパインを作り、
馬車やトラックに
山のように積んで
工場へ運び込んだそうです。
その後、海外から
安価な缶詰が輸入されるようになり、
西表島のパイン産業は
少しずつ影響を受け始めます。
さらに1971年の輸入自由化によって、
海外から安価な生食用パイナップルも
大量に入ってくるようになりました。
こうして西表島のパイン産業は
大きな転換期を迎えることになります。
そして西表島のパイナップルは、
缶詰工場の時代が終わるとともに、
缶詰用から生食用へと
少しずつ変わっていくことになります。
その話は、また次回。
お楽しみに。
西表島アナナス農園
江袋 正和



