【歌舞伎町民泊×ジム】地方アスリート・バンド夢応援拠点を作りたい!

夢を追う地方のアスリートやアーティストが東京で安心して挑戦できる【バックステージハウス新宿】を、一緒に育てませんか?

現在の支援総額

66,000

2%

目標金額は3,000,000円

支援者数

8

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【歌舞伎町民泊×ジム】地方アスリート・バンド夢応援拠点を作りたい!

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支援者数8

夢を追う地方のアスリートやアーティストが東京で安心して挑戦できる【バックステージハウス新宿】を、一緒に育てませんか?

皆様、温かいご支援と応援、本当にありがとうございます!バックステージハウス 新宿uのRIKIYAです。徐々に支援の輪が広がっており、感謝の気持ちでいっぱいです。今日は、私がなぜここまで「上京する若者のための休息所」にこだわるのか、その原点となる話をさせてください。私はかつて、ヴィジュアル系メタルバンドのベースとして上京しました。しかし、東京でバンドはそう簡単には売れず、私は歌舞伎町で「ROCK BAR」を始めることになります。なぜバーだったのか。実は、私は女手一つで育てられ、母は札幌のススキノでスナックを経営していました。子どもの頃から母の働く姿を一番近くで見て、お店を手伝うこともあった私にとって、カウンター越しに人と向き合い、お酒を出し、誰かの「居場所」を作ることは、とても自然な生き方だったのです。現在、その母は癌と闘っています。病床で頑張る母の姿を想うたび、母が身をもって教えてくれた「人の居場所を作る」という役割を、私もこの東京で全うしなければと強く感じています。私がバーを開けた当時は、まさにヴィジュアル系バンドの全盛期。本当に数多くのバンドマンたちがお店に足を運んでくれ、夢や音楽、そして馬鹿話で盛り上がっていました。しかし、そんな中で忘れられない、そして忘れてはいけない悲しい出来事がありました。今回のプロジェクトを立ち上げた時、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、元「COLOR」であり、当時は「G.D.FLICKERS(ジー・ディー・フリッカーズ)」のベーシストとして活動していたMARRY(マリー)さんのことです。MARRYさんはお店に何度も遊びに来てくれていて、亡くなる前にも顔を出してくれていました。だからこそ、ツアー中の自動車事故で突然亡くなったという知らせを聞いた時、私は全く信じることができませんでした。葬儀に参列した後、バンドの皆さんがそのまま私のお店に来てくれました。あの時の、なんとも言えない複雑でやりきれない空気は、今でも昨日のことのように思い出せます。「もう、こんな悲劇はごめんだ」お金のないバンドマンやアスリートが、睡眠を削り、無理な移動を重ねて命を落とす。そんな理不尽なことは、絶対に繰り返してはいけません。私が歌舞伎町に「Backstage House(楽屋)」を作る理由は、ここにあります。地方から戦いに来る若者たちが、鎧を脱いで、安全なベッドでしっかり羽を休められる場所。ススキノで母が、そして歌舞伎町のバーで私が作ってきたような「安心できる居場所」を、今度は宿泊施設という形で残したいのです。彼らが万全のコンディションでステージやリングに立てるよう、どうか皆様のお力を貸してください。共感していただけましたら、この活動報告のSNSでのシェア・拡散をお願いいたします。引き続き、全力で走り抜けます!


皆様、温かいご支援と応援、本当にありがとうございます。RIKIYAです。 今日は、私がなぜ歌舞伎町で「Backstage House」という宿を作り、若者たちに安全な休息を提供したいのか。その原点となる、私のバンド時代の過去についてお話しさせてください。私は札幌生まれ、札幌育ちです。 中学時代にラジオでLOUDNESSや44MAGNUMなどのジャパメタに出会い、雷に打たれたようにメタルに目覚めました。当時のレンタルレコード屋でLPを借りては、カセットテープにダビングして擦り切れるほど聴きまくっていました。高校時代から本格的にバンド活動を始め、「ブロードレイヤー」というバンドでTEENS' MUSIC FESTIVALに出場したり、札幌のベッシーホールやメッセホールをメインにライブをしていました。悲劇が起きたのは、そのバンドが解散した後のことです。 かつて一緒に音を鳴らしたギターのタカと、ボーカルが「リップス」という新しいバンドで活躍し始めた矢先でした。ツアーの帰り道、機材車を運転していたローディーが居眠り運転をしてしまい、トラックと正面衝突。ギターのタカと、運転していたローディーは帰らぬ人となりました。 同乗していたボーカルは二度と歌えない体になり、たまたま街中で再会した別のローディーも、内臓を激しく損傷し、すっかり体力を失っていました。そして何より胸が締め付けられたのは、運転していたローディーの残されたご家族のことです。 亡くなった本人はもちろんですが、ご家族は他の被害者ご遺族からの恨みを一身に受けながら、その後の人生を生きていかなければなりません。「無理な遠征による事故」は、当事者の命を奪うだけでなく、周りの人間や家族の人生をも地獄に変えてしまうのです。それを痛いほど覚悟させられました。その後、私が加入した別のバンドでは、毎週のように地方や東京へライブ遠征をしていました。幸いにもメンバーの親戚の寮や安宿に泊まることができ、悲惨な事故に遭うことはありませんでした。 (ちなみに、当時のドラム、ケネスは現在ススキノでライブバー「HOT TIME」を経営し、ボーカルの下山武則は今も全国を回って魂の歌を届けています。ぜひ彼らの応援もよろしくお願いします!)その後、バンドは解散し、私は東京へ上京しました。雑誌やテレビに出演する機会もありましたが、インディーズの知る人ぞ知るバンド、というところで私の音楽の夢は区切りを迎えました。しかし、当時の痛烈な記憶は今も私の中に生きています。 「気合いや根性だけでは、命は守れない。しっかり休める場所がなければ、悲劇は繰り返される」だからこそ私は、東京に勝負しに来る若手バンドマンやジュニアアスリートが、安全に、安心して羽を休められる場所「Backstage House」を皆さんに知ってもらい利用していただきたいです。彼らの夢と、そのご家族の笑顔を守るために。この想いに共感していただけましたら、どうかご支援、またはこのページのシェアをお願いいたします。つづく


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