皆様、温かいご支援と応援、本当にありがとうございます!バックステージハウス 新宿uのRIKIYAです。徐々に支援の輪が広がっており、感謝の気持ちでいっぱいです。今日は、私がなぜここまで「上京する若者のための休息所」にこだわるのか、その原点となる話をさせてください。私はかつて、ヴィジュアル系メタルバンドのベースとして上京しました。しかし、東京でバンドはそう簡単には売れず、私は歌舞伎町で「ROCK BAR」を始めることになります。なぜバーだったのか。実は、私は女手一つで育てられ、母は札幌のススキノでスナックを経営していました。子どもの頃から母の働く姿を一番近くで見て、お店を手伝うこともあった私にとって、カウンター越しに人と向き合い、お酒を出し、誰かの「居場所」を作ることは、とても自然な生き方だったのです。現在、その母は癌と闘っています。病床で頑張る母の姿を想うたび、母が身をもって教えてくれた「人の居場所を作る」という役割を、私もこの東京で全うしなければと強く感じています。私がバーを開けた当時は、まさにヴィジュアル系バンドの全盛期。本当に数多くのバンドマンたちがお店に足を運んでくれ、夢や音楽、そして馬鹿話で盛り上がっていました。しかし、そんな中で忘れられない、そして忘れてはいけない悲しい出来事がありました。今回のプロジェクトを立ち上げた時、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、元「COLOR」であり、当時は「G.D.FLICKERS(ジー・ディー・フリッカーズ)」のベーシストとして活動していたMARRY(マリー)さんのことです。MARRYさんはお店に何度も遊びに来てくれていて、亡くなる前にも顔を出してくれていました。だからこそ、ツアー中の自動車事故で突然亡くなったという知らせを聞いた時、私は全く信じることができませんでした。葬儀に参列した後、バンドの皆さんがそのまま私のお店に来てくれました。あの時の、なんとも言えない複雑でやりきれない空気は、今でも昨日のことのように思い出せます。「もう、こんな悲劇はごめんだ」お金のないバンドマンやアスリートが、睡眠を削り、無理な移動を重ねて命を落とす。そんな理不尽なことは、絶対に繰り返してはいけません。私が歌舞伎町に「Backstage House(楽屋)」を作る理由は、ここにあります。地方から戦いに来る若者たちが、鎧を脱いで、安全なベッドでしっかり羽を休められる場所。ススキノで母が、そして歌舞伎町のバーで私が作ってきたような「安心できる居場所」を、今度は宿泊施設という形で残したいのです。彼らが万全のコンディションでステージやリングに立てるよう、どうか皆様のお力を貸してください。共感していただけましたら、この活動報告のSNSでのシェア・拡散をお願いいたします。引き続き、全力で走り抜けます!




