沖縄を救った男『比嘉太郎物語』を音楽で未来へ。サントラCD制作プロジェクト

「沖縄を救った男が、私たちの村にいた。」沖縄戦から80年、通訳兵・比嘉太郎の生き様を描いた村民劇の主題歌『ガジュマルの花』をCD化し、平和への願いを後世へ届けます。

現在の支援総額

733,000

146%

目標金額は500,000円

支援者数

78

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2026/03/01に募集を開始し、 78人の支援により 733,000円の資金を集め、 2026/04/04に募集を終了しました

沖縄を救った男『比嘉太郎物語』を音楽で未来へ。サントラCD制作プロジェクト

現在の支援総額

733,000

146%達成

終了

目標金額500,000

支援者数78

このプロジェクトは、2026/03/01に募集を開始し、 78人の支援により 733,000円の資金を集め、 2026/04/04に募集を終了しました

「沖縄を救った男が、私たちの村にいた。」沖縄戦から80年、通訳兵・比嘉太郎の生き様を描いた村民劇の主題歌『ガジュマルの花』をCD化し、平和への願いを後世へ届けます。

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皆さんこんにちは!いつも応援ありがとうございます。三線のYUIKAです!

今日は「がじゅまるの花」が生まれた瞬間について記していきたいと思います。


私が村民劇のテーマ曲として作曲した『がじゅまるの花』は、"私の想像"だけで思いついて制作した曲ではありません。

むしろ、誰かしらの知恵をお借りし生まれた歌のような気がしてなりません。


はじまりは 2024 年 11 月。

脚本家の仲松昌次先生に声をかけていただいたことがきっかけです 。

「比嘉太郎さんの舞台を考えている。その音楽担当をしてくれないか?」


最初は、歴史の一場面を表現するお仕事だと思っていました。

曲を制作するために比嘉太郎さんの事を知る必要があると思い、下嶋哲朗先生の本や資料

を調べ始めました。


そんな中で、不思議な親近感を覚えました。それは、比嘉太郎さんの恩師である喜納昌盛先生の姓が私と同じだったからです 。

これが“誰かしらのお知恵をお借りした”と思う最初の理由です 。

私は太郎さんが受けた喜納先生からの教えと、活動の原動力を知り、“出来事”ではなく"生き方”に出会った様な気がして、

太郎さんや喜納先生の想いを表現したいと考える様になりました。


さらに不思議なことが起こります 。

2025年7月に久保田公民館を訪れた時、沖縄市立島袋小学校創立記念誌に私の曽祖父と喜納先生の写真が一緒に掲載されている事に気がつきました。

なんと喜納先生と私は一門で、遠い親戚だったのです 。


偶然が重なりすぎて、驚きの連続であるとともに

「この歌はやはり私がやるべきだ。」

そう思わずにはいられませんでした。


太郎さんは喜納先生の教えを生涯の指針としました。

戦後、沖縄へ豚や救援物資を送る支援を

行った時も

「自分の名前を消してくれ」

と頼んだといいます。


太郎さんは生涯をかけて多くの人の命を救い、多大な功績を持ちながら人に自分の事を自慢する人ではなかったといいます 。

それは共に活動してきたハワイのうちなんちゅの皆さんもそうでした。


タイトルの『がじゅまるの花』を思いついたのは、1 番のサビを考えていた最中。


“ガジュマルって花 咲いたっけ?”


ガジュマルには花が咲いているイメージがあまりない為、表からは見えないだけで

実は “花” 咲かせているらしいのです 。


調べてみると、

ガジュマルは、春から初夏にかけて 1cm ほどの淡い黄色の花を咲かせますが、

イチジクと同様の「隠頭花序(いんとうかじょ)」という構造で、

果実のような袋状の内部に花が咲くため、外からは見えない。とのこと。


「人に自慢をする為にやっている事ではない。」

こんなにも沖縄の為に尽力をした。という功績がありながらも、人に自分の事を語る事をしなかった太郎さん。


見えないところで花を咲かせるガジュマルの樹が、太郎さんの生き様と重なりました。


1番の歌詞はわりとすぐに書けました。

でも 2番の歌詞はなかなか出てきません。

しかし、今思い返すと、きっとこの曲は理解して書くものではなく“受け取るまで待つ”ものだったのかもしれません。


サビの最後の言葉は、お風呂に入っている時に浮かびました(笑)

「人知れず風に吹かれても あなたが幸せならばそれでいい」

誇らず語らず 、無償の愛でご尽力された太郎さんの心が、頭ではなく、感覚としてわかった瞬間でした。


この歌は、ただ過去を語るための歌ではありません。悲劇を伝えるだけなら記録だけでも足ります 。


けれど平和は、記憶だけでは続きません。人がそれを常に心に持ち、行動していくことで創り上げられていくものです 。


喜納先生が太郎さんに渡した“種”は 80年後、音楽という一輪の“花”となりました。

そしてその花は誰かが歌うとき、また新しい種になります 。

そして、もしその歌を歌った誰かがまた誰かを助けたとき。その時、また「花」が咲くのだと思います 。



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