半島の町で被災するも、最初は関心がなかった
若生遥斗(わこう・はると)さんは震災当時、宮城県七ヶ浜町の小学2年生でした。七ヶ浜は仙台のすぐ北に位置する人口1万7000人余りの町。名前の通り7つの浜のある半島で、地震と津波によって大きな被害を受けました。
若生さんは学校で掃除をしていたときに地震にあい、迎えに来た祖父母とともに高台へ避難。津波で車が次々と流されていく様子を見た記憶が生々しく残っています。
津波に襲われた直後の七ヶ浜町の様子=2011年3月14日、関口威人撮影
意識を変えた震災学習と「きずなハウス」
ただ、若生さんはそこで特別な感情を抱くことはなく、自分の家が流されたり、身内が亡くなったりしたわけでもないことから、震災について「まったく関心がない」まま中学生になりました。
しかし、中学1年の震災学習で、瓦礫が流れ着いた海岸の清掃や災害公営住宅での交流会などを経験して徐々に意識が変わっていきます。特に大きかったのが、中2のときに参加した、今回の震災伝承施設の計画につながる「きずなハウス」での職場体験でした。
七ヶ浜町の中央公民館の一角にあった「きずなハウス」=2016年2月、関口威人撮影
きずなハウスは、七ヶ浜町で復興支援活動に当たっていた名古屋市の災害救援NPO法人「レスキューストックヤード(RSY)」が、子ども支援のために、最初は仮設商店街の店舗として、仮設商店街がなくなってからは、町の公民館の一角を借りて開いた店舗です。小さな店内いっぱいに駄菓子を並べたり、町のキャラクター「ボッケのぼーちゃん」を模した「ぼーちゃん焼き」というたい焼きを作ったりして、子どもたちには放課後のたまり場として親しまれました。
若生さんは職場体験で「ぼーちゃん焼き」作りにも挑戦し、楽しみながらも復興や震災の伝承について考え始めます。
中学の職場体験として、きずなハウスで「ぼーちゃん焼き」づくりに取り組んだ若生さん(右) 20代となった現在の若生さん(左)=若生さん提供
一般企業を退職し、仕事として伝承の道へ
きずなハウスはその後、全国の被災地で復興拠点「みんなの家」を建設するNPO法人「HOME-FOR-ALL」と七ヶ浜町、RSYの共同プロジェクトとして2017年に完成した「七ヶ浜みんなの家きずなハウス」として移転し、若生さんも関わり続けました。
若生さんは高校卒業後、一般企業に4年間勤めてから公益社団法人「3.11メモリアルネットワーク」のスタッフに。震災の伝承活動を正式な仕事にします。
開館当時の「七ヶ浜みんなの家きずなハウス」
一方、七ヶ浜みんなの家きずなハウスは震災から10年の節目となる2021年3月末で閉所することが決まりました。その後は「みんなの家」として町の管理となり、活用方法が検討され始める中で、若生さんは関係者と話し合い、自身が主体となってみんなの家を七ヶ浜町の震災伝承施設とする計画を立てました。
災害を記録し、次の備えを学べる場に
若生さんの計画では、みんなの家を週3回ほど開放し、パネル展示を中心に七ヶ浜町の震災の記憶を伝える場とします。同時に町内の人を招き、震災の経験を語っていただきながら動画として記録。パネル展示とともに館内で放映したり、YouTubeなどで公開したりします。
町が保管している資料も含めて被災関連資料を収集、分析し、地域の人たちの交流イベントも定期的に開催。2年目以降はスタディーツアーの受け入れや防災教室なども企画する予定です。
また、10年にわたり支援を展開したRSYの活動を整理し、活動を通して学んだことを南海トラフ地震の想定地域にも発信することで、次の災害への備えにもしていきます。これらを、民間の震災伝承施設の運営や行政の伝承施設における業務委託を受けた実績がある3.11メモリアルネットワークのノウハウを生かしながら企画・運営していきます。
若生さんは「七ヶ浜がRSYなどを通じて他県とのつながりが深くあり、そのつながりが現在も続いていることを町内外に発信して、お互いに災害について学べる場にしたい」と話しています。
みんなの家で開かれたパネル展示=若生さん提供
3月の「キックオフ」を前に機材費などの支援を
この計画が町に承認され、震災15年の今年、事業が正式にスタートすることになりました。3月10日に現地で「キックオフセレモニー」が予定されています。
RSYも若生さんの思いに賛同し、市民から託された団体の基金から一部を運営費として寄付することを決めました。しかし、立ち上げの準備や継続的な活動のためにはまだまだ資金が必要です。
そこで本クラウドファンディングでは、語り部の動画記録のためのカメラやマイクなどの機材と、技術的な支援を受けるための人件費や交通費を募ることにしました。
リターンは、お礼のメッセージとして現地セレモニーの様子を収めた動画付きメールのほか、きずなハウス時代に制作したオリジナルTシャツやマグカップなどを用意します。
クラウドファンディング終了日は、2026年4月11日23:59 です。
ぜひ、若者の夢の実現に、応援をお願いいたします。
名古屋のRSY事務局に打ち合わせに来た若生さん=2026年1月、関口威人撮影
プロジェクト代表者から
■栗田暢之(認定特定非営利活動法人レスキューストックヤード代表理事)

震災から5年前の2006年1月、七ヶ浜町社協からの依頼を受けた災害ボランティア講演会ではじめて七ヶ浜町に出向きました。その際、「宮城県沖地震が99%の確率で来ると言われている。我が町は無名です。ぜひ応援に来てほしい」と、当時の渡邊町長と約束を交わしました。まずはそれを果たすべきと、すぐに実行に移しました。
町や社協の理解を得て、2021年3月までの10年間、現地での支援を継続しました。RSYからの担当スタッフ、町内外から採用したスタッフは本当によく働きました。被災者の一番近いところで、一人ひとりの生の声に耳を傾けました。当時の地域福祉課長で現町長の寺澤氏からは、「戦友」との言葉もいただきました。ご支援をいただいた日本財団、中央共同募金会、ユニー株式会社(サークルKサンクス・当時)、NPO法人HOME-FOR-ALLをはじめとするご支援のおかげで「七ヶ浜みんなの家きずなハウス」が設置でき、住民の交流や憩いの場となり、月1,000人を超える町民、特に子どもたちが集い、賑わいました。
一昨年、みんなの家を愛してくれた若者(当時中学生)が、公益財団法人3.11メモリアルネットワークに就職し、「我が町を自らが応援したい」と名乗り出てくれました。それが若生さんでした。
震災から15年を経て、こんなにうれしいことが待っていたとは、誰が想像できたでしょうか。それは、みんなの家の全盛期、何事もなかったかのような海からの穏やかな風凪を受けて、溢れんばかりに咲き誇っていた草花が、さらにたくましく育ちたい、輝かせたいと叫んでいるように映りました。そのための肥やしは、私たちが惜しみなく協力しよう。そして、もう一度、一緒に耕すことから始めよう。そう思ってこのクラウドファンディングプロジェクトを始めました。
「今だけ、金だけ、自分だけ」と揶揄される現代社会にあって、「今だけではなく、将来のいのちを守るため。お金は大事だけど、お金のためではない。自分だけではなく、町民、そして警戒される次の被災地の人々のため、ひいては災害大国日本に住む、みんなのため」。こうした思いを抱く若者のチャレンジを応援し、一人ひとりのいのちを愛おしむ花を咲かせてくださいませんか。涙と汗と想いが染み込んだ「みんなの家」を舞台に。






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