
「ねぇ、島原のお土産って何がおすすめ?」
いつか私の子供たちが大きくなったとき、
この透き通った雫を指さして、 迷わずこのお菓子を誇れるように。
200年守られてきた島原の湧水を、100年先まで愛される名物へ。

はじめまして。長崎県島原市で
農業とフルーツカービング(彫刻)活動をしている
田上侑磨(たがみゆうま)と申します。
私の住む長崎県島原市は、雲仙岳の麓に位置し、街の至る所から清らかな水が湧き出る長崎の
「水の都」です。
私はこれまで、フルーツ彫刻(14年)、パティシエ(7年)、そして農業(4年)という、一見バラバラに見える3つの世界で技術を磨いてきました。その歩みの中で、ありがたいことに島原の魅力を発信するお手伝いとして、多くのメディア様に取り上げていただきました。
【これまでの歩みとメディア実績】

2023年9月:NCC「トコサタ」
2023年10月:NHK「きん5時」(全国放送)
2024年3月:全国誌「ロケーションジャパン」
2024年7月:NCC「BIRTH」
2024年10月:NHK長崎「ぎゅっと長崎」
2025年7月:長崎新聞「あの人、この人」
2025年10月:NIB「カレンな島原旅」
2025年10月:ケーブルテレビジョン島原
2025年12月:島原ふるさと納税PR作品提供
このほかに地域コミュニティーの中での
講演・ワークショップなど
これらの活動を通してお会いする方々の笑顔に触れるうち、
「もっと島原の認知に貢献したい」
という想いも自然と芽生えてきました。
現在は「島原商工会議所青年部(YEG)」の一員としても活動し、地域の仲間と共に島原の未来を創る挑戦を続けています。


まずは、忙しい方に向けた本プロジェクトの
概要を1分で説明させていただきます。


リターン詳細は、プロジェクトを支援するボタンをクリックするとご覧いただけます。


島原が水の都と言われる始まりは、実は200年前の「大きな災害」にあります。
1792年、地震と噴火によって眉山(まゆやま)が大きく崩れ、その衝撃で地割れが起こり
大量の地下水が噴き出しました。これが、現在も市内各所に残る湧水群の始まりです。
現在島原市には,50カ所以上の湧水地があり一日の湧水量は20万トンを超えると言われています。
島原の湧水は、いわば火山の恵みと時の流れが育んだ、まちの象徴ともいえる存在で、誇るべき郷土の恵みです
そんな島原に12年ぶりに帰郷し、農家として4年。
私にとって島原の風景はいつの間にか「当たり前の日常」になっていました。
しかし昨年、県外から来た友人と街を巡った際、水路を泳ぐ鯉や城下町の風情に心から感動する友人の姿を見て、私はハッとさせられました。
「この見慣れた景色こそが、世界に誇れる宝物だったんだ」
友人の笑顔が、私に地元の真価を再発見させてくれました。


そんな中、ふと立ち寄ったお土産屋さん
そこには「かんざらし」や「具雑煮」といった素晴らしい
郷土の味がある一方私は一つの疑問を抱きました。
「島原の象徴である『湧水』そのものを主役にした、あの清らかな美しさを形にして持ち帰れるお菓子がまだ少ないのではないか?」
そう感じていた頃、島原を訪れる方の約8割が「日帰り客」という現実を知りました。
豊かな水も、城下町の風情も、ただ眺めるだけで通り過ぎてしまう。
「これほど素晴らしい資源があるのに、今のままではもったいない」
私に宿泊施設を建てる力はありませんが、パティシエ、彫刻家、農家として歩んできた経験を「食」に注ぐことで、この現状になにかできないか?という、当時は本当に小さな想いが芽生えました

その想いは、次女「しずく」の誕生で大きな確信に変わりました。
「この子たちが育っていく島原の美しい水を、ぷるんとした雫の形に閉じ込められたら……。そうすれば、この水の尊さがもっと真っ直ぐに伝わるのではないか?」
そんな一人の親としての願いと職人としての直感が重なり、私の商品開発は、始まりました


この地域課題を打破するために必要なのは、巨大な施設ではなく「ここでしかできない体験」を積み重ねることだと考えています。「美雫(びしずく)」は、単に食べるだけの和菓子ではありません。

爪楊枝でプチンッとはじく。その瞬間の驚きや、溢れ出すみずみずしい風景が、自然と会話を弾ませ、笑顔を広げていく。
この体験が観光客の足を止め、会話を生み、滞在の質を深めるきっかけになることを願っています。
一人の菓子職人にできることは、小さな一歩かもしれません。しかし「美雫」をきっかけに水の価値を再発見し、滞在時間を少しずつ延ばしていく。その積み重ねこそが、島原を「通り過ぎる場所」から「目的地」へと変える、一歩になると信じています。

「美雫〜BISHIZUKU〜」は、
島原を知る人には故郷の誇りを、初めての人にはこの街へのときめきを届ける
新しい「旅の入り口」です。
私はこの小さな一滴に、島原の明日を創る3つの願いを込めました。

こうして生まれた商品が
「美雫〜BISHIZUKU〜」です

「美雫」は、私のこれまでの経験をすべてを詰め込んだ一粒です。そこには、3つの要素があります。
① 140年の歴史を透かす「水」
主役となる水は、
故郷島原で明治17年から続く老舗酒造場
山崎本店酒造場様の天然水(湧水)
を使用しています。140年もの間、酒造りのために守られてきたこの水は、優しいまろやかな口当たりと、喉を通る瞬間に体に染み渡る感覚が特徴的です。この140年の歴史ある「水」を活かすため、加える砂糖の量を最低限に抑え「水」本来の味を邪魔しないように味の設計をしています。

② 意匠権出願中の「雫型」
構想の段階から、私は「水そのもの」を感じさせるゴム容器での
「雫の形」を作ることにこだわっていました。
しかし、製造業者に相談した際に返って来たのは「その形を今の設備で作るのは厳しい」という言葉でした
農作業の合間や深夜まで、何度挑戦してもうまくいかない日々が続き
折れかけそうになったそんな折、妻から言われた「雫の形が、こだわりじゃなかったの?」という言葉が、私の情熱に再び火を付けました。
「業者が無理と言うなら、自分で道を切り拓くしかない。」
彫刻家としての感性、パティシエとしての知識、実家の農作業で培った粘り強さと水への敬意。
これまでの全経験を総動員し、身近にある資材や独自に考案した道具を組み合わせ、試作は実に100回を超えました。
ついに辿り着いたこの形は現在、
デザインの特許である意匠権を出願中です。

③ 0.01gの配合が織りなすくちどけと、厳選素材の調和
美雫は3種類のアガー(海藻由来の凝固剤)を、0.01g単位で配合しています。
目指したのは、雫の形は保つが口に入れた瞬間に優しくほどけて「水に戻る」ような感覚。
この絶妙なバランスは、パティシエとしての経験があればこそたどり着けたのだと確信しています。

さらに、この透明な一滴に彩りを添えるのは、二つの厳選素材です。
・オリジナル黒蜜
後味のすっきりした甘さの黒蜜、湧水の風味を邪魔しない独自の配合で炊き上げました。
・高級大豆「フクユタカ」のきな粉
数ある商品の中から厳選し、大豆本来の香りと甘さが楽しめる佐賀県産フクユタカを使用したきな粉で全体を調和。
このこだわわりの組み合わせにより、くどさのない上品な甘さを実現しました。

商品開発にあたり多くの方にご試食や時には厨房の貸出にご協力していただきました。
心より感謝申し上げます。ありがとうございました。


「水」をテーマに掲げる背景には、農家として過ごした4年間の実感があります。
帰郷後 兄がいった「水も土もこれほど整った環境は珍しいんだぞ」という言葉。
この言葉の真意を日々の土仕事を通じて理解しました。
島原の農業にとって、水は単なる資源ではなく
街のいたる所から休むことなく湧き出し、そのまま農業や暮らしを支え続ける
「循環のエネルギー」そのものです。
農家としてこの水に敬意を払い、パティシエとしてその純粋さを一粒に閉じ込める。お菓子という形を借りて、島原が持つ「水の価値」を証明したいと考えています。


そんな私にとって、このプロジェクトには
実に個人的な一つの思いもあります。
亡き父への「報告」です。
父は典型的な「頑固親父」で、幼い頃は怖くて仕方がありませんでした。
けれど、手を繋ぎ一緒に蛍を見に行った日の情景や、不器用な優しさは、
今も大切な記憶として蘇ります。唯一の後悔は、
父が生前大好きだったビールで、一度も一緒に乾杯できなかったことです。
父との初めての乾杯。それは、別れの日の火葬場でした。誰もいない焼却室。あの時、ふと心に誓った
「いつかこの地元で立派に何かを成し遂げ、父に報告する」という想い
父が他界して13回忌を迎える今年。ようやく胸を張って報告できる形が整いました。
(当時の投稿)
数少ない父との思いで

屋号「鈴和(りんわ)」は、両親の名から一文字ずつ受け継ぎました。
自分が親となり、子の成長を見守る日々の中で、
-
今の私があるのは二人のおかげだと改めて痛感しています。
鈴(りん):邪を払い、初心を確かめる清らかな音。
-
和(わ):彫刻の技も農業の学びも、すべてを調和させ世に届ける。
この名は、私にとって感謝の象徴です。この一粒が、子供たちの世代でも島原の銘菓として愛され続けてほしい。それが、私の願いです。






「美雫〜BISHIZUKU〜」の製造・配送には様々な費用がかかりますが、中でも私が意識しているのが
「専用の冷蔵車」への投資です。
近年の猛暑からこの繊細な美しさを「完成した瞬間の、最も清らかな状態のままお届けしたい」。この冷蔵車があれば、市内は、もちろん市外・県外にも安心安全に配送することが可能になり今後のこの事業の生命線となります。
この初期投資を、島原の未来を信じてくださる皆様からの「応援」として募らせてください。託された想いを、「最高の品質」でお返しすること。それが、私の果たすべき責任だと思っております。
※なお目標達成できなくとも本プロジェクトは実行します。



私が農家として学んだのは、「良い種(商品)さえあれば勝手に育つ」ことはないという現実です。
作物がよく育つには、植える前の「土」がどれだけ豊かな準備ができているかで決まります。
私にとっての開店準備は、内装や機械を整えることだけではありません。
オープン前から「楽しみだね」と声をかけ合える、この事業の土壌となってくれる方々と繋がることです。
1万人の「お客様」を待つより、まずはこの挑戦を面白がってくれる
「100人の仲間」の方と歩み出したい。
それが、島原の湧水を100年先まで愛される名物に育てるための、
最も確実で唯一の近道だと信じています。
島原の新しい歴史を、まずは
この想いに共感してくれる100人から。
そんな思いで、この挑戦を始めます。




ここに広がる笑顔を島原の新たな景色に…
ここまでご覧いただき




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