
かのん[奏音]を作るとき、私が作りたかったのは、「余白」です。
ずいぶん前に、こんなことを書いたことがあります。
人が成長していくために必要なのは、「安全な場」「必要なケア」「人との関わり」だけではない。枝や茎を伸ばし、葉を茂らせるための「スペース」も必要なのではないか。
植物を育てるとき、いくら水や肥料を与えても、伸びていくための空間がなければ、自由に枝を広げることはできません。
人も、少し似ているのではないかと思います。
何かを教えられる時間。誰かに支えてもらう時間。人と関わる時間。それらは大切です。
でも、それとは別に、何をするかを決められていない時間や場所も必要なのではないか。
そのことは、かのん[奏音]のウェブサイトにも書きました。
かのん[奏音]では、本を読んでもいい。勉強してもいい。ピアノを弾いてもいい。誰かと話してもいい。
そして、何もしなくてもいい。
何かを身につけるための場所でもなく、何かの成果を出すための場所でもない。
「余白」であり続けること。
それは、かのん[奏音]が存在する意味のひとつなのだと思います。
けれど、クラウドファンディングを始めてから、少し難しさも感じています。
「余白を残したいので、支援してください」
そう言っても、なかなか伝わりにくい。
何が起こる場所なのか。
何の役に立つのか。
支援すると、何が生まれるのか。
そう尋ねられたとき、
「何もしなくてもいい場所です」
と答えるだけでは、支援をお願いするには弱いのかもしれません。
そんなことを考えていると、学生ボランティアの一人が、
「かのん[奏音]は自由帳みたいなもの」
と表現してくれました。
なるほど、と思いました。
自由帳には、何を書いてもいい。
絵を描いてもいい。文字を書いてもいい。落書きをしてもいい。
何も書かないページがあってもいい。
最初から、「ここにはこれを書きなさい」と決められてはいません。
かのん[奏音]も、そういう場所です。
何もしなくてもいい。
でも、何かやってみたくなったときには、それを始めてもいい。
今回の学生たちのコンサートも、そうでした。大人が用意した活動ではありませんでした。
何かを目的につくった場所ではないのに、そこから何かが生まれた。
そう考えると、わくわくしてきます。
この自由帳には、これから何が描かれるのだろう。
もちろん、何も描かれないページがあってもいい。
でも、場所が残っていれば、いつか誰かが何かを描き始めるかもしれない。
かのん[奏音]を残したい理由は、そこにもあるのだと思います。
余白を残すこと。
自由帳を、白いページのまま置いておくこと。
その先に何が生まれるのかは、わかりません。
わからないからこそ、この場所をもう少し残してみたいと思っています。




