
今年、初めてキャッサバの収穫を手伝いました。
想像していた通り、いや、それ以上に過酷な作業でした。
乾ききった土は岩のように固く、足元も悪くて、捻挫しそうになることもあります。
炎天下の中での作業は体力を奪い、倒れてしまう人もいます。
やっとの思いで収穫したキャッサバは、トラックに積んで工場へ運びます。
でも、そこで終わりではありません。
売れたお金からは、
トラクターのレンタル代、運搬用の車のレンタル代、手伝ってくれた人への支払い、食事代、そういった費用が次々に引かれていきます。
最後に手元に残るのは、ほんのわずかなお金でした。
数日でなくなってしまうような金額です。
この村には土地を持っている人も多いですが、そのすべてを使えるわけではありません。
植えるためにもお金がかかるからです。
トラクター代、肥料代――初期費用が必要で、思い切って広げることもできない。
かといって小規模では、利益が出ない。
結果的に、多くの場合は赤字になります。
この村では、もともと安定した収入源がほとんどありませんでした。
今のようにキャッサバ栽培が広がったのも、ここ15年ほどのことです。
それ以前は、現金収入を得る手段が限られていて、暮らしは決して余裕のあるものではありませんでした。
それでも人々はキャッサバを作り続けます。
なぜなら、それが今ある唯一の収入源だからです。
収穫のたびに借金を返そうと頑張る。でも利益が出ないから返せない。
だから、また借りる。
この繰り返しの中で、抜け出せない人がたくさんいます。
実際にその様子を見ていて、収穫の時期は、どこか重たい空気が流れているように感じました。
どうしてこんなに大変な思いをしながら、それでも続けるしかないのだろうと、考えることが何度もありました。
私は思ったんです。
このままでいいのだろうか、と。
もし、同じように農業をするなら、ただ苦しいだけのものではなく、育てることに喜びがあって、きちんと収入にもつながるものにできないだろうか。
そのときに重なったのが、これまで友人夫婦から聞いていた「バナナの話」でした。
それまでどこか遠くに感じていた選択肢が、この現実を目の前にしたとき、初めて「これかもしれない」と思えた瞬間でした。
※この話は続きます(#3へ)
- 次回予告 -
次回は、「なぜキャッサバではなく、バナナなのか」について、書いていこうと思います。



