
いつも『セロ弾きのゴーシュ』絵本制作プロジェクトを応援していただき、ありがとうございます。
制作を進めるなかで、私たちは何度も宮沢賢治の人生を振り返っています。
今でこそ宮沢賢治は、日本を代表する作家として知られています。
けれど、その評価は決して生前に得られたものではありませんでした。
賢治は自らの費用で詩集や童話集を出版しました。
しかし、ほとんど売れませんでした。
多くの読者に届くこともなく、大きな反響を呼ぶこともありませんでした。
現在では日本文学の名作として語り継がれている作品群も、当時はほとんど注目されなかったのです。
それでも賢治は書くことをやめませんでした。
なぜだったのでしょうか。
評価されたい気持ちがなかったわけではないと思います。
読まれたい。伝えたい。理解してほしい。
そんな願いは当然あったはずです。
それでも現実は厳しかった。
作品を書いても読まれない。
本を出しても売れない。
自分の思いがなかなか届かない。
創作をしたことがある人なら、その苦しさは少し想像できるかもしれません。
努力と結果が結びつかない時間。
誰にも気づかれない時間。
本当に意味があるのだろうかと、自分自身に問い続ける時間。
賢治もまた、そんな孤独な時間のなかにいた一人だったのではないでしょうか。
『セロ弾きのゴーシュ』を読むと、そのことを強く感じます。
ゴーシュは楽団の中で認められている存在ではありません。
演奏がうまくいかず、指揮者から厳しく叱られます。
自信を失いながらも、毎晩ひとりで練習を続けます。
誰かに褒められるためではなく、自分の音を探すために。
その姿は、どこか賢治自身の姿にも重なって見えます。
私たちが取り組んでいる絵本づくりも、華やかなことばかりではありません。
構成に悩み、表現に迷い、何度も試行錯誤を重ねています。
思うように進まない日もあります。
けれど、そんな時に賢治の人生を思うのです。
生前にはほとんど評価されなかった作家が、100年以上の時を超えて今も読み継がれている。
それは、評価されなかった時間が無意味だったということではありません。
むしろ、その苦しい時間の中でも書くことをやめなかったからこそ、作品が未来へ残ったのだと思います。
2026年は宮沢賢治生誕130年。
130年という歳月を経て、賢治の物語は今も多くの人の心を動かしています。
そして私たちは今、『セロ弾きのゴーシュ』を絵本という新しい形で未来へ届けようとしています。
もし賢治が、自分の作品を愛する人たちが集まり、その作品を次の世代へ伝えようとしている姿を見たら、どんな気持ちになるでしょう。
そう考えると、不思議な縁を感じます。
このプロジェクトもまた、すぐに結果が見える挑戦ではないかもしれません。
けれど、一冊の絵本が誰かの心に残り、その先へ受け継がれていくことを信じて進みたいと思います。
宮沢賢治がそうであったように。
そして、その歩みを支えてくださっているのが皆さまです。
いつも本当にありがとうございます。
引き続き、『セロ弾きのゴーシュ』絵本制作プロジェクトを温かく見守っていただけましたら幸いです。



