動かぬ体、溢れ出す感情。ALS合⽥朝輝監督の奇跡の映画をリッツカールトンで初公開

体が動かない。声も出ない。それでも合田朝輝監督は映画を撮ると決めました。視線で紡いだ想いを作品に乗せ、リッツカールトン大阪で届ける挑戦。限界を越えて生きる姿が、あなたの心に火を灯します。この瞬間は、誰かの人生を変える物語のはじまりです。

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

723,000

144%

ネクストゴールは1,000,000円

支援者数

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動かぬ体、溢れ出す感情。ALS合⽥朝輝監督の奇跡の映画をリッツカールトンで初公開

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

723,000

初期目標100%突破

あと 47
144%

ネクストゴールは1,000,000

支援者数62

体が動かない。声も出ない。それでも合田朝輝監督は映画を撮ると決めました。視線で紡いだ想いを作品に乗せ、リッツカールトン大阪で届ける挑戦。限界を越えて生きる姿が、あなたの心に火を灯します。この瞬間は、誰かの人生を変える物語のはじまりです。

監督の合田朝輝です。


■余裕が生まれるということ

気管切開の生活にも、ようやく慣れてくると、少しずつ心に余裕が生まれてきました。

ただ、その余裕は新しい問題も連れてきました。

考える時間です。

それまでは、目の前のことに対応するだけで精一杯でした。

体の状態を維持すること。

生活を回すこと。

一日を終えること。

それ以外のことを考える余地は、ほとんどなく。

それに集中していれば、余計なことを考えずに済む。

そんな毎日でした。


しかし、余裕が生まれると、別の思考が入り込んできます。

その中に入ってくるのは、望んでなかったものでした。

これまで意識的に避けていたこと。

頭の隅に追いやって、考えないようにしていたことが迫ってきます。

体のこと。

病気のこと。

これからの人生のこと。

それらが、ゆっくりと、

しかし確実に迫ってきます。

余裕は、私を楽にしなかった。


「この状態が、いつまで続くのか」

「終わりはあるのか」

「死ぬまでずっとこれ」

そんなことが、頭の中をぐるぐる巡ります。

早く終わってほしい。

楽になりたい。

そう思う瞬間もあります。

今でも、完全に消えたわけではありません。

ふとした瞬間に、気を抜けば、自然に浮かんできます。


もし、動けない時間が一日中続いたらどうなるか。

何もしていない時間。

何もできない時間。

この時間が、静かに、しかし確実に、

私の心をゆっくり押し潰していきました。

なにか大きな出来事があるわけではありません。

ただ、余裕によって生まれた空白が、

少しずつ、私の内側を削っていきます。

このままではいけない。

そう思いました。


■動き出した理由

何とかしなきゃいけない。

苦しいことから逃げる方法を。

現実を見なくていい方法を。

探さなきゃいけない。

きっかけはあまりかっこいい理由じゃありません。

よくある「挑戦したい」というものなんかじゃなく。

現実を直視しなくて済む時間を作るため。

ただ自分のことを守るため。

決して前向きなんかじゃない。

後ろ向きの思いから、

動き出しました。


何か始めるとしても、

以前のように、仕事をするのは難しい。

仕事ができるほどの余裕はない。

体力的に。

精神的に。

生活状況的に。

コミュニケーションの難しさ的に。

どれを取っても、仕事をするのは現実的じゃない。

だから、新しくできることを見つける必要がありました。


これからどうするのか。

残された時間をどう使うのか。

この状態で何ができるのか。

ひたすら考えました。

動くことはできない。

外に出ることも難しい。

人と直接会う機会も限られている。

選択肢なんて、ほとんどない。

ひたすら考え、悩みました。


「今の状態で、何ができるのか」

この問いを、何度も繰り返しました。

考えて。

否定して。

考えて。

その繰り返し。

そうやって考えた末、

最後に私に残っていたのが、

「文章を書く」

という行為でした。


■文章という選択

ペンを持って字を書くことはできない。

けれど、視線入力を使えば、パソコンで文字を打つことはできます。

一文字ずつ選びながら、ゆっくりと文章を作っていく。

効率は良くありません。

時間がかかります。

それでも、

自分の思考を。

想いを。

形にして外に出すことができる。

誰かに伝えることができる。

それなら、これを使うしかない。


ただ、ここで一つ問題がありました。

何を書くのか。

日記やブログのようなものは、あまり書く気になれませんでした。

日常をそのまま書くことに、

自分の中であまり意味を見出せなかったからです。

もちろん、それを否定するつもりはありません。

ただ、自分にとっては、

それを残す理由が見つかりませんでした。


私が残したいのは、情報じゃなかった。

私の中にあったのは、

形あるものを残したいという感覚でした。

自分の中にあるもの。

考えていること。

感じていること。

それらを、何かの形として外に出すこと。

作品として残すこと。

自分が死んでも「残るもの」を作りたい。


絵本を作った時の喜びが、心の底に残っていました。

自分の中にある、何かが。

形になり。

誰かが読み。

誰かに届く。

そして、自分がいなくなったあとも残る。

そういうものを、もう一度作りたい。

そう思ったんです。


■残すということ

もし、自分が死んでしまったとしても。

作品が残る。

作品を通して、

自分のことを覚えておいてもらえる。

自分のことを思い出してもらえる。

私という存在を忘れないで欲しい。


その形は何が良いのか。

小説。

脚本。

漫画の原作。

形にする手段はいくつかあります。

どれも体を使わず、視線入力だけで成立する。

自分にとっては現実的な選択肢でした。

その中で、

まずは小説のようなものを書いてみることにしました。

理由は単純。

読むのが好きだったから、書いてみたい。

そういう、安易な発想でした。


しかし、実際に書き始めてみると、全然うまくできませんでした。

文章がまとまらない。

内容が面白くならない。

思っていることを、うまく言葉にできない。

時間ばかりがかかる。

想像していたよりも、ずっと大変でした。


■それでも続ける理由

それでも、やめるという選択はありませんでした。

他にできることなんて、なかったからです。

「今の状態で、何ができるのか」

その問いに対して、

文章を書くことは、たった一つの答えでした。

うまくいかなくても、

続けるしかない。

他に道はない。

そうするしかない。

自分をそう思い込ませるしかない状態が続いていました。


そんな時、

たまたま見つけたのが、

さぬき映画祭のシナリオコンクールでした。


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