監督の合田朝輝です。仕事をし始めてしばらくした頃、友人からひとつの提案がありました。「講演で話している内容を、子どもたちにも伝わる形に、絵本にしてみないか」正直、最初は現実味がありませんでした。ただ、やってみたいという気持ちはありました。私がアイデアを出し、友人が文章を書き、別の友人が絵を描く。そうやって役割を分担しながら、少しずつ形にしていきました。構想から完成まで、およそ2年。時間はかかりましたが、『フィーロくんのいと』という一冊の絵本ができあがりました。完成した時、達成感と充実感がこみ上げるのを感じました。その絵本は、地元の学校に寄贈され、いろいろな場所で読み聞かせをしてもらえるようになりました。私が会ったこともない人たちが、この絵本を手に取り、読んでくれている。私が死んでも残るものが作れた。心残りが一つ減った感覚。いつ死んでもいい。そういう風に思うようになりました。かと言って死にたいわけではないんです。ALSという病気と付き合っていく中で、私はいつ死んでもおかしくない。これからどのタイミングで死ぬことになっても、それが私の寿命で運命。そう思うようになったんです。諦めているわけじゃないんです。めちゃくちゃ死にたくないんです。ALSを何が何でも治す。それが私の夢です。そこに向かってできることは続けています。同時に、いつ死んでも仕方ない。そんな不思議な感覚で、今も生きてます。絵本が完成する少し前から、体の状態が段々落ちていくのを感じていました。できていた動作が、ひとつずつ難しくなる。できなくなったことを確認して、受け入れていく日々。それまで続けていた仕事や活動も、徐々に維持することが難しくなっていきました。そんな2024年の12月に、私は呼吸が止まり、救急搬送されました。その日は朝から体調が悪く。食事もほとんど取れず、「休めば治るだろう」と軽く考えていました。しかし、夜になっても回復せず、少しずつ息が苦しくなり。ヘルパーさんに不調を訴えたところで、私の意識は途切れました。目を覚ました時、そこは病院でした。この時期の記憶は、あまりはっきりしていません。正直に言えば、あまり思い出したくない時間です。医師から「気管切開」という選択肢を提示されました。「あなたも周りも楽になる」から早くした方が良いと。すぐには決断できませんでした。もう少し粘りたい。手術をすれば、生活の質が下がる。そう思っていました。当時はまだ、リハビリでHALを使ってなんとか歩くことができていました。完全に動けないわけではない。ギリギリではあるけれど、「まだできていること」が残っている状態でした。食事やリハビリ、日々の生活に気を配りながら、なんとか現状を維持していた時期です。だからこそ、気管切開をすることで、そのバランスが一気に崩れてしまうのではないか、という不安がありました。できるだけ先延ばしにしたい。もう少し、この状態でいたい。気管切開をすれば、全て壊れて失ってしまう。そう考えていました。しかし、結果として、気管切開を選びました。選んだ、というよりは、それしか選択肢が用意されてなかった、という方が正確だと思います。手術自体は特別なものではありません。医療的には一般的な処置であり、看護師として働いていた頃には、何度も見てきたものでした。手術室に運ばれて、麻酔をして、目が覚めたら終わってる。しかし、患者としてそれを受けることは、まったく別の体験でした。術後の生活は、想像していたものとは大きく違っていました。只々、地獄。痛み、違和感、咳、吸引、呼吸苦。どれも今までの日常には無かったものです。 その変化に、適応できない状態が続きました。気管切開をしてからの一年間は、全く余裕がありませんでした。新しい体の状態に慣れること。生活の流れを作り直すこと。それだけで精一杯でした。日常のすべてが、別のルールで動き始めます。呼吸器の管理、体位の調整、周囲のサポート。生活そのものを、一から組み直していく必要がありました。ベッドから起き上がれない日も増え、同時に、身の機能がどんどん落ちていくのをはっきりと感じていました。これまで必死に守ってきたものが、少しずつ、確実に崩れていく。現実は、あまりにも無慈悲でした。「楽になる」という医師の言葉の意味を、何度も考えました。間違っているわけではないと思います。呼吸は安定しますし、命のリスクは確実に下がる。ただ、それは医療的な意味での「楽」であって、少なくとも自分にとっては、生活の実感とは一致しませんでした。むしろ、負担が増えたと感じることの方が多かった。それでも、時間は進んでいきます。環境は変えられない以上、自分が合わせていくしかない。毎日、試行錯誤を繰り返しました。どうすれば楽になるのか。どうすれば負担が減るのか。どうすれば生活が回るのか。試して、失敗して、また試して。それを繰り返していきました。結果として、「楽になる」ことはありませんでした。慣れただけです。痛みを。苦しみを。耐えながら生活することに。完全に無くなったわけではありませんが、いつ、どのタイミングで「それ」が来るのか、ある程度予測できるようにはなりました。それだけでも、感じる負担は変わります。今は、少しだけ余裕が戻ってきました。これが、現在に至るまでの経緯です。自己紹介としては、少し長くなりました。ただ、どれだけ言葉を並べても、今の自分の状態はうまく伝えられない気がしています。それでも、私のことが、誰かにほんのちょっとでも届けば良いと思って、出来る限り言葉にして、残しておきます。改めて。合田朝輝といいます。ALSという状態の中で、映画を作ろうとしています。もしよければ、この先の過程も、引き続き見てもらえたら嬉しいです。




