ガダルカナル島慰霊巡拝自主派遣にてお会いした、JOCV派遣員の吉田采海さんのインタビュー記事を公開しました。日本から遠く離れたかつての戦場で、国際協力の最前線に立つJOCV派遣員は何を感じ、活動しているのか。大変興味深い内容となっておりますので是非ご覧ください。【note記事】https://note.com/jyma_4206/n/n8b5ac9d96cc8?sub_rt=share_pw





ガダルカナル島慰霊巡拝自主派遣にてお会いした、JOCV派遣員の吉田采海さんのインタビュー記事を公開しました。日本から遠く離れたかつての戦場で、国際協力の最前線に立つJOCV派遣員は何を感じ、活動しているのか。大変興味深い内容となっておりますので是非ご覧ください。【note記事】https://note.com/jyma_4206/n/n8b5ac9d96cc8?sub_rt=share_pw
7月1日、ガダルカナル島東部のコリ岬にて慰霊法要を執り行いました。コリ岬では一木支隊の将校斥候群が米軍の攻撃を受け、一木支隊最初の犠牲者が出た場所とされています。戦いの始まりを刻んだこの地で、祖国を思い散華された御霊に哀悼の誠を捧げ恒久平和への祈りを新たにしました。慰霊法要の様子また、慰霊碑が建立されているコリ村の子供たちとの交流も行いました。私たちが寄付したサッカーボールで共に遊び、親睦を深めることができました。子供たちとの交流若い世代との交流等を通じて、日本とソロモンの友好関係を次世代に繋いでまいります。来年度以降に慰霊巡拝自主派遣を行う際はこうした国際交流にも力を入れたいと考えております。そのため、コリ村での交流は大変参考になるものとなりました。
6月30日、シーホースにてトレッキング・フィールドワークを実施しました。シーホースは、アウステン山周辺に位置する尾根一帯で地形がタツノオトシゴに似ていたことから米軍によって名付けられた戦場です。1942年末から1943年初頭にかけて、日米両軍による激しい攻防戦が繰り広げられました。フィールドワークでは、戦跡を熟知した全国ソロモン会の天谷信越連絡部長や現地の案内人の説明を受けながら実際に尾根を踏査。当時の地形や部隊配置を現地で学ぶことで、資料だけでは得られない実相に触れ、理解を一層深めることができました。また、本派遣では慰霊巡拝の過程で、シーホースを含めた計3箇所にて日本人の蓋然性が高いご遺骨を現地の方に見せて頂きました。加えて、発見者よりご遺骨の政府派遣現地協力者への引き渡しをご依頼頂きました。ご遺骨が見つかったという現場7月1日にはキタノメンダナホテルにて現地協力者へのご遺骨引き渡しも実施し、日本戦没者遺骨収集推進協会への情報提供も行いました。なお、本件は現地協力者、全国ソロモン会の皆様と連携しながら対応しております。引き渡しの様子長年この地に残されていたご遺骨を前に、戦後80年を経てもなお終わっていない課題の重みを改めて感じた次第です。
6月30日、遺骨収集や慰霊巡拝に長年ご尽力下さっているコカンボナ村を訪問しました。コカンボナ村にはかつて第17軍司令部が置かれ、全国ソロモン会、野戦重砲兵第4聯隊、同第7聯隊の慰霊碑が建立されています。これらの立派な慰霊碑に対し慰霊の誠を捧げてまいりました。慰霊碑は丁寧に維持管理されている野戦重砲兵第4聯隊の碑の後ろにあるのは榴弾砲を牽引した6頓牽引車であり、撤退時には動けない将兵を乗せ移動したそうです。村長であった故マイケル・リリアウ氏はこれらの慰霊碑の維持管理を務めて下さった人物です。現在はご子息のマト・ムイ氏がその後を継いで下さっております。故マイケル氏の墓前でも哀悼の誠を捧げ、そのご功績に感謝の意を表しました。私たちがこのように慰霊巡拝を行えるのは、村長親子をはじめとする現地住民の方々のご協力あってだと、改めて深く実感しました。故マイケル氏の墓前にて
6月29日夕刻、ガダルカナル島東部に位置するムカデ高地へ赴きました。ムカデ高地は川口支隊による突撃地点であり、その激戦から血染めの丘とも呼ばれました。高地の東麓は第2師団が総攻撃をかけた密林が広がり、高地には第2師団勇会が建立したガ島戦没者慰霊碑があります。現地では、この地で亡くなられた戦没者に対し拝礼を行いました。ムカデ高地は、ソロモン諸島政府当局により周辺含め国立公園として整備・保全が進められ、戦跡は歴史・観光資源としても活用されています。そのため慰霊碑も修繕が施され高いレベルで維持されていました。先日訪れたタンベアにも同様の慰霊碑がありますが、状態は大きく異なり大変驚きました。老朽化に加えて落書きもあるタンベアの慰霊碑を、ムカデ高地のように持続的な形で残せないかと深く考えた次第です。ムカデ高地 ガ島戦没者慰霊碑タンベア ガ島戦没者慰霊碑