【与論島】「ただいま」と帰れる島の家を、もうひとつの故郷に|ヨコロンコーヒー

【2027年6月以降オープン予定】ただいま、と帰れる島の家。星降る与論島に、一棟貸しの古民家宿をつくります。4歳で母を亡くし、この島で育った私だからこそ届けたい穏やかな時間。名前を残し、島の人と日常を過ごし、また帰っておいでと見送られる。頑張るあなたに、もう一つの帰る場所を。

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

819,610円

163%

ネクストゴールは1,500,000円

支援者数

59人

募集終了まで残り

26日

【与論島】「ただいま」と帰れる島の家を、もうひとつの故郷に|ヨコロンコーヒー

目標突破
ネクストゴール挑戦中!

現在の支援総額

819,610円

初期目標100%突破

あと 26日
163%

ネクストゴールは1,500,000円

支援者数59人

【2027年6月以降オープン予定】ただいま、と帰れる島の家。星降る与論島に、一棟貸しの古民家宿をつくります。4歳で母を亡くし、この島で育った私だからこそ届けたい穏やかな時間。名前を残し、島の人と日常を過ごし、また帰っておいでと見送られる。頑張るあなたに、もう一つの帰る場所を。

こんばんは、ヨコロンコーヒーの大山ようこです。土曜日と日曜日、私があっぴーさんこと小髙明日香さんにインタビューしたお話をお届けしてきました。与論島に来て初めてアルバイトさせていただいた、「かりゆしバンド」の方々 一番左:あっぴーさん見知らぬ自分に「バイトしない?」と声をかけてくれた島の人たち。「私、普通だったんや」と安心できた日。自分の物差しを持たず、いいなと思ったら真似して、違うなと思ったら「そういう人もいるんやな」と受け止める生き方。「与論島に、与論島の人に、育ててもらった。」■ 受けたものを、返していきたいご自身が経営する雑貨店「Yoron  emA 」にてインタビューの中で、あっぴーさんはこんなことも話してくれました。島で受けた親切が積み重なって、年々、「正直に生きたい」「受けたものを返していきたい」と思うようになった、と。うまく人と関われずに悩んでいた頃のあっぴーさんを、島の人たちはそのまま受け止めてくれた。だから今度は、あっぴーさんが、これから島を訪れる人を迎える側に立とうとしている。受け止めてもらった人が、今度は誰かを迎える人になる。ヨコロン村が大切にしたいのは、まさにこの輪です。2026年3月与論島にて、初めてのヨコロンコーヒーの販売会(イベント運営を担当してくださった)■ その想いが、一枚のTシャツにあっぴーさんが提案してくださったTシャツデザイン4型そんなあっぴーさんが、ヨコロンのためにデザインしてくれたのが、オリジナルの「ヨコロンTシャツ」です。デザインは元々4つご提案していただき、最終2つの案から、ヨコロン村の運営チームと、インスタグラムを見てくださっている皆さんの投票で選ばれました。(どれが選ばれたのかは、明日18時に、リターン商品の追加のメールにて公開されます!)つくる段階から、村の声が入った一枚です。背中には、ちょっと懐かしい男の子のキャラクターがいます。実はこの子、ある人がモデルになっているんです。誰なのかは、明日のお楽しみに。このTシャツは、村に入るための証ではありません。離れた場所にいても「同じ場所を想っている」と分かる、小さな目印です。明日11月3日の18時、ヨコロンTシャツのリターンを公開します。ぜひ楽しみにしていてください。この活動報告をシェアしていただいたり、与論島や古民家に興味がありそうな方に伝えていただけたりすることも、私にとって大きな励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。ヨコロンコーヒー焙煎所大山ようこ―――なぜ「村」と呼ぶのか。「おかえり」と迎える人と、「ただいま」と帰ってくる人。その往復が重なっていく場所を、私は村と呼びたいと思いました。ヨコロン村は、一棟貸切宿「ヨコロン」を拠点に、与論島との関係を育てる人たちとつくる、小さな村です。


こんにちは、ヨコロンコーヒーの大山ようこです。昨日に続いて、私があっぴーさんこと小髙明日香さんにインタビューさせてもらったお話をお届けします。今日は、あっぴーさんが与論島で過ごしてきた20年のことを聞きました。■ 「こんなに座ってていいのかな?」「島で働きはじめて、驚いたことはある?」と聞くと、あっぴーさんがいちばん驚いたのは、お茶の時間だったそうです。あっぴーさん与論移住したての頃それまでの職場では、ちょっとしたミスでも厳しく叱られ、手が空いていてもおしゃべりは許されなかった。ところが島では、午前に1回、午後にもう1回。みんなで腰を下ろして、お茶を飲みながら、ゆっくり話をする。「こんなに座ってていいのかな?仕事もいっぱいあるけど大丈夫かな?って思ってた。」そわそわしていたあっぴーさんは、あるとき気づいたと話してくれました。自分がちゃんと座らないと、まわりのみんなも休めない。セカセカしないで一緒に座ることが、みんなを休ませることになるんだ、と。頑張る人ほど、休んでいい。島の人たちは、それを言葉ではなく、毎日のお茶の時間で教えてくれていたのだと、私は聞きながら思いました。■ 「いい歌い手だよ」と言い続けてくれた仲間センターで歌を唄うあっぴーさん島の民謡の話になると、あっぴーさんの表情が少し変わりました。三線を弾きながら歌う人がいなくなったとき、「じゃあ、私がやろうか」と引き受けたこと。当時、その役は女性がほとんどいない領域だったこと。女性の声は太鼓に合わないんじゃないか。自分がもっとうまく歌えたら、民謡にもっと人が集まるんじゃないか。ひとりで責任を背負い込んで、ずっと悩んでいたそうです。「それでも、仲間がずっと『いい歌い手だよ』って言ってくれたから、ここまで頑張ってこれた。悩みながら、楽しかったよ。」そんなお話も印象的でした。■ 「なんとか兄ちゃん、なんとか姉ちゃん」3人のお子さんを育ててきたあっぴーさんに、子育ての頃のことも聞いてみました。赤ちゃんを連れて週に1回通う民謡の練習だけが、やっと三線を弾ける自分の時間だった頃もあったそうです。エイサーチーム「舞弦鼓(ぶげんこ)」としての舞台の時の集合写真(一番右下があっぴーさん)そして、いま島で育つ子どもたちを見ていて、うらやましいと思うことがあると教えてくれました。年上の子を「なんとか兄ちゃん」「なんとか姉ちゃん」と呼んで、年の離れた子同士が仲良く遊んでいる。あっぴーさんにとって、先輩はずっと「怖い」存在でしかなかったから。道ですれ違う大人と子どもが、気軽にあいさつを交わせる島。その中で、「地域の人たちが、ありがたいな」と思えるようになったといいます。私自身、まさにその「兄ちゃん、姉ちゃん」たちのあとをついて回って育ったので、この話には胸が熱くなりました。■ 「真面目にやんなくても、大丈夫」最後に、「いま大切にしていることは?」と聞きました。「自分の物差しを、持たないようにしたいな。」いいなと思ったら、真似したい。違うなと思ったら、「そういう人もいるんやな」と受け止める。「じゃあ、悩んでいた頃の自分に、ひとこと言うとしたら?」と聞くと、少し笑って、こう答えてくれました。「真面目にやんなくても大丈夫。なんとかなるから。でも、悩んでた日々も今の私をつくってるから、それでいいんだけどね。」■ 受け取ったものが、巡っていくインタビューの終わりに、あっぴーさんはこう話してくれました。「変わったというより、つくられていった。与論島に、与論島の人に、育ててもらったと思ってる。」一番上の左側で三線を弾きながら唄うあっぴーさんとエイサーチーム「舞弦鼓(ぶげんこ)」 気にかけてくれる人と、還れる場所があれば、人は何度でも息を吹き返せる。ヨコロンが大切にしているこの想いを、あっぴーさんは20年かけて、自分の人生で見せてくれているように感じました。そしていま、あっぴーさんは、島で受け取ってきたやさしさを、ヨコロンで新しく島を訪れる人へ手渡そうとしてくれています。受け取った人が、今度は誰かを迎える人になる。その輪が、ヨコロン村なのだと思います。明日は、そんなあっぴーさんがデザインしてくれた、あるものをご紹介します。この活動報告をシェアしていただいたり、与論島や古民家に興味がありそうな方に伝えていただけたりすることも、私にとって大きな励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。ヨコロンコーヒー焙煎所大山ようこ―――なぜ「村」と呼ぶのか。「おかえり」と迎える人と、「ただいま」と帰ってくる人。その往復が重なっていく場所を、私は村と呼びたいと思いました。ヨコロン村は、一棟貸切宿「ヨコロン」を拠点に、与論島との関係を育てる人たちとつくる、小さな村です。


こんばんは、ヨコロンコーヒーの大山ようこです。今日から3日間、ヨコロン宿の運営チームのひとり、小髙明日香さんのことをお話しさせてください。島のみんなからは「あっぴーさん」と呼ばれています。与論島に移住して20年。「Yoron emA(ヨロン・エマ)」を営みながら、デザインの仕事や与論民謡を受け継ぐ活動をしていて、ヨコロンのTシャツのデザインも担ってくれています。■ 年賀状が届かなくなった、おじいちゃんを探して「なんでそんなに急ぐんだろう。なんで、もっと人に優しくできないんだろう。」そんな疑問を抱えながら、東京や沖縄など各地を移り住んでいたあっぴーさん。与論島・8月開催される「サンゴ祭り」で三線を弾き、唄うあっぴーさん。与論島に来たきっかけは、昔お世話になったおじいちゃんからの年賀状が、3年ほど届かなくなったことでした。フルネームも分からないまま、島の人に聞いてまわってたどり着くと、おじいちゃんは元気そのもの。年賀状を書くのが、ちょっと面倒になっていただけだったそうです。そのおじいちゃんのところで夏の1か月を過ごし、家と仕事が見つかって、移住を決めました。最初の家は、家賃7,000円。ガスもなく、日中外に出した鍋の水を、夕方に浴びる暮らしからのスタートでした。あっピーさんが当時住んでいたお家■ 「私、普通だったんや」どこの誰かも分からない自分に、島の人たちは「バイトしない?」と声をかけ、仲良くしてくれた。そして、地元では「変わった子」と言われていたあっぴーさんが、与論島に来てみると、「みんな、私以上に変なのよ。すごく安心した。私、普通だったんやって。」冗談ばかり言って、いつも笑いをはさんでくる島の人たち。人と関わるのが苦手だったあっぴーさんの中に、「人って面白いな。人間も悪くないな。」という気持ちが、少しずつ育っていきました。島で受けた親切が積み重なって、いまは「受けたものを返していきたい」と話すあっぴーさん。そして今、ヨコロンで、新しく島を訪れる人を迎える側に立ってくれています。明日は、あっぴーさんが20年かけて見てきた与論島のお話をお届けします。この活動報告をシェアしていただいたり、与論島や古民家に興味がありそうな方に伝えていただけたりすることも、私にとって大きな励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。ヨコロンコーヒー焙煎所大山ようこ―――なぜ「村」と呼ぶのか。「おかえり」と迎える人と、「ただいま」と帰ってくる人。その往復が重なっていく場所を、私は村と呼びたいと思いました。ヨコロン村は、一棟貸切宿「ヨコロン」を拠点に、与論島との関係を育てる人たちとつくる、小さな村です。日曜・月曜・火曜分も、同じくらいの長さに縮めましょうか?


こんにちは、ヨコロンコーヒーの大山ようこです。神戸でコーヒー屋さんを始めて、「与論島出身です」と話すようになってから、少し不思議なことが起きるようになりました。与論島に思い出がある方や、ご家族が与論島出身の方が、お店を訪ねてきてくださるようになったんです。■ 何十年たっても、覚えている人がいるお話をしていると、何度も耳にする言葉があります。「与論島の、あの人にお世話になったのよ。もう何十年も前だけどね。」そして、島へ帰る日を楽しみにしながら、都会で働いている人がいること。与論島推し仲間さん達それを聞くたびに、私の大好きな与論島の先輩や後輩、おじさん、おばさんたちの顔が浮かびます。島では当たり前のようにそばにいた人たちが、遠く離れたこの街で、まるでアイドルのように「推されて」いる。その魅力を知ってくれている人が、こんなにもいるんだと知ったとき、私はとてもうれしかったです。■ 「この人、知ってる!」から始まる旅だから、ヨコロンでも同じことが起きたらいいなと思っています。初めて与論島を訪れた人でも、この活動報告を読んで、写真を見ていてくれたから、「あ、この人知ってる!」と思ってもらえる。庭の草刈りをしてくれているのは、このおじちゃん。灯油を入れてくれているのは、あのガソリンスタンド。(お湯を温めるのは灯油なので)お掃除をしてくれているのは、この人。そんなふうに、ヨコロン村に関わる人たちのことを知ってもらうことで、訪れる人と島の人とのあいだに、共通の言葉が生まれていく。いつか宿に置く案内帳にも、そんな人たちのことを載せたいと思っています。例えば、帰ってくる人が歩きやすいように、小道を整えてくれたおじちゃんは福地さんです。とか。丁寧に草を刈ってくれていますそんなふうに、その人がしてくれたことと、そこに込められた想いで紹介したいんです。やがて泊まりに来た人が、「この道を整えてくれた人がいるんだ」「この家には、こんな手が重なっているんだ」と感じてくれたら、建物の見え方も、与論島で過ごす時間も、きっと変わると思うんです。景色の奥にいる人が見えてくると、観光地だった場所が、少しずつ「会いに帰りたい故郷」になっていく。ヨコロンも、そんな場所になれたらうれしいです。裏の小道まで綺麗にしてくださっています。■ すでにそこにあるものに、光を当てるこの話をしていたとき、ある方が、私のしていることを、こんなふうに言葉にしてくれました。『可視化とは、新しく価値をつくることではなく、すでにそこにあった関係や感謝に、光を当てることなのかもしれません。』その言葉に、私は「そうか」と思いました。私がしたかったのは、新しい何かをつくることではなく、もともと島にあった人と人との関係や、ありがとうの気持ちに、光を当てることだったんだと。大馬さん、Enishiくん、福地のおじちゃん、才良おじちゃん。お家や私をずっと気にかけてくれる、お家の前の池畑さん。そして、ヨコロン宿の運営チームの有馬瞳姉ちゃん、淳兄ちゃん、小髙明日香さん、たかしさん。一人ひとりの物語を書いていくうちに、ヨコロン村の地図のようなものが、少しずつ見え始めています。そのことに、私自身がいちばん感動しています。この活動報告をシェアしていただいたり、与論島や古民家に興味がありそうな方に伝えていただけたりすることも、私にとって大きな励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。ヨコロンコーヒー焙煎所大山ようこ―――なぜ「村」と呼ぶのか。「おかえり」と迎える人と、「ただいま」と帰ってくる人。その往復が重なっていく場所を、私は村と呼びたいと思いました。ヨコロン村は、一棟貸切宿「ヨコロン」を拠点に、与論島との関係を育てる人たちとつくる、小さな村です。


こんばんは、ヨコロンコーヒーの大山ようこです。今日は、私の心に残っている、ひとつの言葉をご紹介させてください。「道は、人が歩くから道になる。」この言葉をくれたのは、麓才良(ふもと さいりょう)おじちゃん。私の父と同い年で、与論島の観光協会を立ち上げ、いまはエコツアーガイドとして島の自然や歴史を伝えている人です。私が幼い頃は、才良おじちゃんのお家に行かせてもらって、お兄ちゃん、お姉ちゃんに混じって遊ばせてもらっていたのも良い思い出です。■ 珊瑚の石段ヨコロンの家の表には、珊瑚でできた石段があります。昔からこの家にあるもので、ひとつひとつの段差が、けっこう高いんです。お家の正面の入り口にある珊瑚礁の石段宿として人を迎えるなら、コンクリートできれいな階段にしたほうが安全なのかな。そう思って、才良おじちゃんに聞いてみました。すると、おじちゃんはこう言いました。「珊瑚の石段の段差は、このままでいいんだよ。ここを通る人が子どもだったら、通りやすいところを選んだり、石を積み上げて足場を固めたり。いろんな方法で、人が道をつくっていくんだよ。」その言葉に、私はハッとしました。■ 村は、完成図どおりにはつくられない私はずっと、ヨコロン村をどうやって「完成」させるかを考えていた気がします。でも、村は、最初に完成図を描いて、その通りにつくられるものではないのかもしれません。ヨコロンに行ったら、こんなことがしたい。ヨコロンで、家族の写真を撮りたい。庭でBBQをして、夜は花火をしたい。朝は家の裏に残る昔の道を歩いて、近くの与論城跡まで散歩したい。誰かが「こうしたい」と思って歩き、誰かがその後をついていく。何度も、何度も。そうして気づけば、道のなかったところに、道ができている。ヨコロン村も、きっと同じです。私ひとりが完成させるのではなく、訪れてくれた人や、関わってくれた人が歩いた跡によって、少しずつ村のかたちが生まれていくのだと思います。■ ヨコロン村をつくる人たちいま、ヨコロンにはたくさんの人が関わってくれています。これから少しずつ、その一人ひとりの物語もお届けしていきます。・家の未来を診る、大馬さん・家と訪れる人を迎える、現地管理チームと、庭を丁寧に整えてくれる福地のおじちゃん・昔の道と島の記憶を伝える、麓才良おじちゃん一人ひとりが、それぞれの役割でヨコロンに関わり、一緒に前を向いて歩いてくれている。その時間が重なっていくことを、とても尊く感じています。そしていつか、あなたが歩いた跡も、ヨコロン村の道のひとつになりますように。この活動報告をシェアしていただいたり、与論島や古民家に興味がありそうな方に伝えていただけたりすることも、私にとって大きな励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。ヨコロンコーヒー焙煎所大山ようこ―――なぜ「村」と呼ぶのか。「おかえり」と迎える人と、「ただいま」と帰ってくる人。その往復が重なっていく場所を、私は村と呼びたいと思いました。ヨコロン村は、一棟貸切宿「ヨコロン」を拠点に、与論島との関係を育てる人たちとつくる、小さな村です。


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