震度3で倒れる社務所。700年続く「おたや祭り」の拠点を、次の100年へ

長野県長和町の古町豊受大神宮社務所が、耐震診断で「震度3程度で倒壊する可能性が高い」と判定されました。毎年2万人余が集う「おたや祭り」の拠点です。改修費2,365万円のうち約2,000万円は地元の氏子や企業による奉賛金で集まりました。残る屋根の再塗装と社務所内の備品のために皆様のお力をお借りします。

現在の支援総額

289,000

4%

目標金額は6,500,000円

支援者数

28

24時間以内に18人からの支援がありました

募集終了まで残り

46

震度3で倒れる社務所。700年続く「おたや祭り」の拠点を、次の100年へ

現在の支援総額

289,000

4%達成

あと 46

目標金額6,500,000

支援者数28

長野県長和町の古町豊受大神宮社務所が、耐震診断で「震度3程度で倒壊する可能性が高い」と判定されました。毎年2万人余が集う「おたや祭り」の拠点です。改修費2,365万円のうち約2,000万円は地元の氏子や企業による奉賛金で集まりました。残る屋根の再塗装と社務所内の備品のために皆様のお力をお借りします。

このプロジェクトの要点

はじめに

雪景色の「おたや祭り」の山車(2005年1月 「関ケ原の戦い 井伊直政先陣を切るの場」)

長野県小県郡長和町古町にあります、古町豊受大神宮の氏子総代会と申します。

当社は、伊勢神宮の外宮の御分社として古くから祀られており、伊勢の御師(おんし)の布教活動の拠点としての「御旅屋(おたびや)」であったことに名前のルーツがある「おたや祭り」が行われる神社として知られています。その「おたや祭り」は、毎年1月14・15日に行われ、町内5カ所に大型の「山車」が飾られ、2万人余の参拝者で賑わう私たちが誇りとするお祭りです。

左の赤い屋根の建物が社務所。青い部分は仮補修の部分。(2024年1月14日おたや祭り)

私たちの神社の社務所が、昨年の耐震診断で「震度3程度の地震で倒壊する可能性が高い」と判定されました。強度を示す数値は0.12。国が木造民家の耐震改修で目標としている0.7の、6分の1にあたります。

この社務所は、例大祭「おたや祭り」の拠点です。今年も1月14・15日に2万人余のお客様をお迎えし、御祈祷や例祭神事には、延べ150名がご参席くださいました。祭りの準備、御祈祷、参列者の直会、氏子総代の会議など、すべてこの建物で行っています。

(通常の神社では、御祈祷や神事は「拝殿」と呼ばれる本殿と向き合う建物で行われます。当社は伊勢神宮の御分社であるため、神宮に倣い「拝殿」を持たず、この社務所を祈祷所として兼用し、社務所内に神殿を設け、御祈祷も行っています)

倒木の直撃を受けた社務所の内部(2017年10月 被災後の撮影)

建物は2017年10月の台風で倒木の直撃を受け、授与所は全壊、社務所は半壊しました。それから8年余り、半壊したままの社務所で行事を行ってきました。

被災直後、3ヶ月後の「おたや祭り」を行えるように、全壊した授与所と倒木の撤去、傾いた社務所のよろび直し、ブルーシートによる屋根の補修、社務所の廊下を改造した授与所の仮設などを行い、なんとか「おたや祭り」を行いました。

その後、地元古町の住民で構成する復旧委員会を組織し、授与所と社務所の新築を決定し、約6,000万円の予算で計画を進めましたが、コロナ禍と建設費の高騰でその道は閉ざされ、なかば諦めムードが漂いました。

しかし、昨年10月、氏子総代会は「このまま将来にこの状態を引き継ぐ訳にはいかない」と奮起し、新築は諦め、耐震補強を目的とした改修を行うことを決定しました。将来のみならず現在も、このような危険な状態で行事にご参列いただく方々をお招きすることは到底許されないと考えました。

半壊した社務所を解体し破壊状況の確認後、基礎工事を待つ(2026年7月)

今年3月から奉賛活動(寄付集め)を開始し、7月から工事に着手し、9月末の竣工を目指して進んでいます。設計費と工事費を合わせた総額は23,650,000円。このうち約2,000万円は、氏子の皆さま、そして当社にご縁のある方々や近隣企業からお寄せいただいた奉賛金です。ほかに氏子総代会からの支出、長和町の歴史的景観保全事業資金などを充てています。

これで、建物が倒れないようにするところまでは目途が立ちました。しかし、地域の誇りでもあるこの神社を将来に引き継ぐには、やらなければならない事がまだあります。

足りないのは大きく2つです。

ひとつは屋根の再塗装です。長年の風雨と陽射しにより塗装が劣化し、錆びも見て取れるトタン葺き屋根のままでは、数年の内に雨漏りのリスクが顕在化することが予想されるので、当初は屋根の再塗装も計画に含まれていました。しかしながら、今年3月からの世界情勢の不安定化に伴う塗料の入手困難により、入札不調を回避するために、屋根の再塗装を工事範囲から除外せざるを得ませんでした。

最近になり塗料等の入手が可能となった為、この再塗装をなんとか施したいと考えています。

もうひとつは、社務所の中の備品です。将来に亘って神社としての品格を保ちながら、皆様に親しまれる神社を維持するためには、社務所内の神殿周辺にしつらえる最低限の装飾品(御簾、門帳など)と、御祈祷に用いる椅子「胡床(こしょう)」を整える必要があります。これまで畳に座るスタイルでご参列頂いておりましたが、将来を考え、椅子に座るスタイルへ変更しなければならないと考えました。

倒木の被害により内部も壊されたことを機に、皆様が御祈祷を清々しく受けられる時代に合せたしつらえにしたいと考えています。

境内全景。右の赤い屋根の建物が社務所。中央奥の建物が本殿。

私たち氏子総代会と宮司は、皆様から神社をお預かりしている立場です。ここで言う皆様とは、地元の氏子住民はもとより、毎年訪れてくれる参拝者の皆様、これまで「おたや祭り」をはじめとする行事を連綿と繫げてくれたご先祖様達、さらには未来の地元住民や参拝者の皆様です。神社をお預かりする立場として、新築復旧をはじめ、様々なものを諦めながらも、内外に恥じない将来に亘り親しまれる神社を未来につなぐ為に、ここまで進めてきました。また、その想いに奉賛金2,000万円という形で応えてくれた皆様の心に、胸を熱くし、感謝の想いが溢れています。

あともう少しでそれが実現できます。

このプロジェクトは、その最後のもう一歩をお願いするものです。目標金額は650万円といたしました。あともう一歩で、この想いを形にできます。一人でも多くの方に、この想いに心を寄せ、私たちと共にこの文化の拠点を将来につないで頂けることを切に願っております。


これ以降は詳細な説明です。読んで頂きたい内容がたくさんありますが、時間の無い方は、
 「いただいた支援の使い道」
にお進みください。


私たちについて

氏子総代会の集合写真(令和8年おたや祭り)

古町豊受大神宮を護持している、古町氏子総代会です。宮司は立岩千尋、総代長は渡邊黎、会計は両角秀俊が務めております。宮司の立岩と総代長の渡邊黎はそれぞれ、祭りについてこう申しております。

「祭りは神と人、人と人との掛け算であり、世代と世代のバトンタッチです。信仰があるから山車が奉納され、山車の奉納があるから信仰が集まる。老若男女、地元育ちも移住者も、人と人が力を合わせ大きな山車を作り上げる。子どもの頃の思い出が、祭りを支える側になった者達の原動力になっています。この歴史のバトンを次世代につなぐことは、私たちの責務です」(立岩千尋)

私自身は、20年前に埼玉県から転入した移住者です。転入して2年目からおたや祭りに参加してきましたが、神社然としたいかめしさではなく、不思議な親しみやすさを感じるお祭りでした。山車の展示も、正直なところ手作り感が満載です。ただ、心を込めて頑張って作った感も同じくらい満載で、それがこの祭りの良さだと思っています。(渡邊黎)

それぞれ立場は違っても、この神社とお祭りを次の世代へつなぎたいという思いは、私たち三人に共通しています。

「おたや祭り」と古町豊受大神宮のこと

農民と庶民が育てた神社です

ここからは、この神社と「おたや祭り」について、総代長の渡邊が調べた範囲での見解を記してみたいと思います。多少、推測が含まれますので、根拠ある歴史については他の図書をお読み頂ければと思います。

古町豊受大神宮がお祀りしているのは、伊勢神宮外宮に鎮座されます御食(みけ)の神、豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)です。伊勢神宮は日本で最も格式の高い神社ですが、私たちの神社はそこから枝分かれして、農民・庶民の手で盛り上げられ護持されてきた、少し変わった歴史を持っています。

出発点は室町時代の中期、1400年代です。この地に長窪城が築かれ、その城下町として長窪郷(現在の長窪古町)が成立しました。そこへ伊勢外宮の門前町である山田町の御師(おんし)、福嶋鳥羽太夫(ふくしまとばだゆう)が「旅屋(たや)」と呼ばれる布教活動の拠点を置きます。これが近在の農民・庶民から篤く信仰されるようになり、やがて神社へと発展しました。「おたやさん」「おたや祭り」という呼び名は、この旅屋から来ています。

「宝永五年正月吉日 御伊勢奉賀帳大門村」 御師の布教活動を示す古文書(大門村は現在の長和町大門)

当時は南北朝の動乱から応仁の乱へと続く戦乱の時代で、伊勢神宮は長期にわたって遷宮祭を行えないほど窮迫していました。この危機に立ち上がったのが山田町の御師たちです。彼らは朝廷や貴族、領主を頼るのではなく、それまで全く対象外だった農民・庶民に直接信仰を広げる道を選びました。それぞれ縄張りを決め、秋になると使用人を大勢連れて地方へ出向き、農民たちに「おふだ」と「伊勢暦(こよみ)」を配って回ったのです。

いまの感覚では分かりにくいのですが、当時カレンダーというものは存在しません。農民は遠い山の雪形を見て季節を判断するほかありませんでした。そこへ暦が直接届くようになったことは、農村にとって革命的と言ってよいほどの変化をもたらしました。暦に従った科学的な農業ができるようになったからです。室町時代は農業生産が飛躍的に拡大し人口も急増した時代として知られていますが、伊勢暦が果たした役割は小さくなかったはずです。

おたや祭りの当日。社頭には幟が立ち、参拝の列が続きます

こうして古町豊受大神宮は、農・商・工の繁栄の神として東信地方の農民・庶民から支持を集めました。今でも「おたや祭り」には、東は佐久、西は坂城・千曲に至る広い範囲から参拝の方がお出でになります。その範囲は、かつての御師の活動範囲とほぼ重なっているようです。

700年続いてきた祭りと推測しています

「おたや祭り」の起源は、史料が残っておらず正確には分かっていません。ただこれだけ盛んな神社があってお祭りが無いとは考えられませんから、やはり700年近く続いてきたと考えるべきだろうと思います。残っている史料のうち古いものとしては、江戸後期、天保六年(1835)の旧家の日記があり、「御田屋賑わし、かざり物数か所美事なり」とあり、現在とほぼ同じ祭りがこの頃には既に行われていたことが分かります。

1月14日の宵祭。境内には夜通し露店が並びます

祭りの日の参道。両側にびっしりと露店が立ちます

祭りは毎年、厳寒の1月14日と15日。最大の呼び物は、長野県の選択無形民俗文化財に指定されている「山車(だし)」の展示です。山車といっても車が付いていて引き回すものではなく、民話や歌舞伎の名場面が人形と背景で固定展示されます。町内会ごとに5つの山車保存会が組織されていて、いずれもなかなかの力作ぞろいです。これを見るのが楽しみで毎年来るというお客様も沢山いらっしゃいます。

山車のひとつ。背景の岩山は木の枝と蚊帳、紙粘土でできています

「宝船」を題材にした山車

「皇女和宮」の場面をかたどった山車

また、地元中学生による「浦安の舞」の奉納も、おたや祭りに花を添えます。

地元の子ども達は、小さな頃から「山車」を目にしながら、お小遣いを握りしめ露店の並ぶおたや祭りの街を駆け回り、普段は歩く人も少ない街が人で溢れる光景を目にし、「私たちの町には、おたや祭りがある」と誇りに感じます。

そして、少し大きくなると、このように舞の奉納などで自らも祭りに参加し、そして大人になってからは、この祭りを支える側になってゆく。これを私たちは、はるか昔から繰り返し繋いできました。

「浦安の舞」は家によっては、お婆ちゃんやはお母さんも中学生の頃に舞っており、自らも舞った舞を子や孫たちが舞うのを見る目は、懐かしさと世代の繋がりを感じる郷土愛に満ちています。地元の女性達によって紡がれた歴史ある伝統の舞です。


地元中学生による「浦安の舞」の奉納。社務所から参道に向かい神前奉納とともに参拝者に披露される。

10日間で作って、終わったら壊します

山車の話に戻ります。

この山車の制作には、少し変わった決まりがあります。テーマは毎年12月前半の会合で決め、1月4日の一斉スタートが鉄則で、原則としてこの日より前に準備を始めてはいけません。1月13日が飾付けですから、すべてを10日間で仕上げることになります。そして祭りが終われば直ちに解体し、使い回しはしません。背景の岩山は今でも木の枝と蚊帳で作り、紙粘土やペンキをこすりつけてそれらしく見せています。

制作中の人形。骨組みに紙を巻いて形をつくります

12月の会合で題材を決め、正月明けの10日間で仕上げます

似たような飾り物としては安曇野市の穂高神社の御遷宮が有名ですが、あちらは7年に一度の開催で、専業の人形工房が2軒あり、制作期間3年、予算規模は数億円と言われています。対する「おたや祭り」は毎年開催、素人集団が、ありあわせの材料の超低予算で、わずか10日間で作ります。似ているようで、まったくの別物です。長野県が無形文化財選択の指定理由として挙げているのも「豪華さを競うのではなく、有り合せの材料を使った農民の即興的な創作に特徴がある」という点でした。

疫病大鬼を焼いた年のこと

一つだけ、エピソードを紹介させてください。

コロナが大流行した年、第3場の中町山車保存会が選んだ題材は、東京・西新井大師が所蔵する重要文化財、葛飾北斎の『空海修法の図』でした。地面に開いた暗黒の穴から疫病大鬼がまさに這い出そうとしており、結界の中の弘法大師空海がこれと対決している。背後のあばら家には病人が寝ていて、屋根の上には病小鬼「於身苦輪(オミクロン)」がいて中を覗いている、という場面です。

夜の疫病大鬼

第3場・中町山車保存会の「疫病大鬼」。葛飾北斎『空海修法の図』に取材した山車です

祭りの翌16日、山車を解体したあとに行われた清祓式・新型コロナ終息祈願

そして祭りが終わった16日、山車を解体したあとで、この疫病大鬼を特別にお祓いしました。宮司にコロナ退散のご祈祷をしてもらい、火をかけたのです。炎の熱で病鬼の顔がドロッと溶け落ちていく様子は、何とも鬼気迫るものがありました。

その年その年の願いが、そのまま形になる。そういう祭りです。

何が起きたのか

台風で何が起きたのか、そして昨年の耐震診断で何が分かったのかを、順にご説明します。

被災前の参道(祭礼の夜)

同じ場所。2017年10月、台風の倒木が社務所を直撃しました

被災前の御神札授与所

同じ場所。授与所は全壊しました

被災前の社務所内部。御祈祷や直会に使われてきました

同じ場所。天井が落ち、床には瓦礫が散りました

建物は明治末から大正初め頃の建築と推測されます。突き固めた地面に束石を置き、その上に軸組み工法で建てた、典型的な在来伝統工法の建物です。屋根はもともと茅葺きで、今はその上をトタン板で包んでいます。

調査では、目立った腐朽箇所も、白蟻の被害も、雨漏りも見つかりませんでした。経年からすれば状態は極めて良好と言ってよいのです。ただ一点、壁が圧倒的に少なく、重い屋根を柱のみで支えているという構造的な脆弱性があります。同じ造りの建物は、能登半島地震や栄村地震でも多数倒壊しました。

昨年、氏子総代会は上田市の創風設計室合同会社に耐震診断を依頼しました。長和町の公設建築物の耐震診断を手がけている設計事務所です。3月に出た結果は、私たちの想像をはるかに超えるものでした。

耐震強度 0.12 判定「倒壊する可能性が高い」

東西方向の揺れが0.26、南北方向の揺れが0.12。総合評価は0.12で、判定は「倒壊する可能性が高い」。1.5以上なら倒壊しない、0.7未満で倒壊する可能性が高い、という基準です。国が推進する東南海地震対策の木造民家耐震改修でも、0.7以上を目標としています。

社務所は東西に長い建物ですから、縦方向の揺れにはわずかに強度があるものの、横方向の揺れには極端に弱い。震度3程度でも倒壊の可能性があり、しかも半壊から全壊へと進むのではなく、一気にバタンといく可能性が大きいと診断されました。

近く発生が予想される東南海地震では、当地は震度5の想定区域にあります。もしも祭典の当日に発生したらと考えると、背筋が寒くなります。氏子総代会ではとりあえずの対策として、あらゆる会議・集会・行事の際には必ず雨戸を開けておくことを申し合わせました。逃げ道を確保するためです。そんな状態のまま、今日まで来てしまいました。

8年かかってしまった理由

何もしてこなかったわけではありません。

被災したあと、当初は地元古町の住民で構成する復旧委員会を組織し、授与所と社務所の新築を決定し、約6,000万円の予算で計画を進めました。2020年末には寄付金を集める奉賛活動の開始直前まで進捗したのですが、そこへコロナ禍が来て、計画は立ち消えになります。

その後も物価高が重なり、半ば諦めムードの数年が続きました。それでも氏子総代会から計画再開の声が挙がり、昨年2月には、かつての復旧委員会など町内の関係者に、計画の再開をお願いしました。

しかし昨年7月、当初計画の断念の決断をしました。理由は建設費の高騰です。ここ数年の建築費の高騰は凄まじく、2019年当時6,000万円だった計画が1億円以上と見込まれることが判明しました。社務所の老朽化を考えるなら本来は新築したほうが良いのは明らかですが、1億円では町民のご理解を頂くことは到底不可能だと判断しました。

それでも、私たちはこの状況の放置はできませんでした。

復旧委員会の再開ができないのであれば、氏子総代会単独の事業として、新築ではなく「社務所補修」を行うことを模索し、昨年10月17日の氏子総代会で、耐震補強と下遷宮仮殿の新設を目的とした改修工事の実施を決定いたしました。

しかし、物価高騰は耐震補強に切り替えたあとも続き、改修予算は当初1,700万円と見込んでいたものが、今年2月には2,000万円に、最終的に入札を経て2,365万円となっています。

これまでにお寄せいただいた奉賛のこと

工事の実施を決めてから、氏子総代会は古町地区を回り、あわせて当社にご縁のある方々のもとへも足を運びました。今年3月20日には、宮司と総代長の連名で「ご奉賛頂きたく、お願い申し上げます」という書面をお届けしました。目標額は2,000万円、奉賛金は一口1万円といたしました。

氏子としてこの神社を日々支えてくださっているのは、古町の中の寺上地区・寺下地区・川東地区の皆さまです。隣接する立岩地区、有坂地区には、それぞれ地元で護持しなければならない神社がありますから、同額をお願いすることはできません。2,000万円というのは、この規模の集落にとって決して容易な額ではありませんでした。

それが、2,000万円近くに達しました。

皆さまの篤いお志に、関係者一同、胸を熱くし感謝に耐えません。個人の方も、事業を営まれている方も、この土地に縁を持つさまざまな立場の方々が、それぞれのお立場でお力を貸してくださいました。これに氏子総代会からの支出、長和町の歴史的景観保全事業資金200万円、財産区からの支出などを合わせ、当初計画していた2,000万円を大幅に上回る資金を確保できました。

工事は価格の適正性を確保するため、町内業者4社による競争入札としました。落札した株式会社モリケン様に、9月末の竣工を目指して進めていただいております。ここまでの収支は、古町の5名の自治会長に中間監査をしていただき、承認を得ています。

お願いできる範囲は、やり切りました

ここからが、このプロジェクトでいちばん申し上げにくく、そして最も大事なところです。なぜここまで集めたうえで、なお全国の皆さまにお願いするのか。理由は2つあります。

ひとつは、私たちが直接お願いできる範囲を、すでに一巡してしまったということです。氏子の皆さま、そして当社にご縁のある方々に一口1万円でお声がけをし、2,000万円近くをお寄せいただきました。人口が減り高齢化の進んだこの土地で、これ以上の上積みをお願いすることは、負担能力を超えます。

もうひとつが、公的な補助が使えないという問題です。

国はいま、在来工法の木造民家の耐震補強を大々的に推進しています。長和町では耐震診断が無料、工事費は最大80パーセント以内・上限115万円が公費補助され、さらに県から50万円の上乗せもあります。ただしこれは個人住宅に限定されます。神社の社務所のような建造物は、制度のエアポケットに落ちているのが実情です。

一方、お祭りそのものには「民俗文化」として公的支援の道があります。昨年1月のニュース特集『9年で668社の神社が減少 危機の「祭り」に女性や地域外の人たちの参加…#絶滅危惧文化』でも、人口減と高齢化により多くの無形文化財級の祭りが継続困難に直面していること、地域外の人々の参加によって事態を打開しようとする動きがあることが報じられていました。

けれども、そこで扱われているのはあくまで「お祭り」です。祭りの大元である神社本体や社務所建物の老朽化には、何の対策もありません。もし社務所が倒壊してしまったら、「おたや祭り」はどうなるのか。私たちが直面しているのは、そういう問題です。

皆さまにお願いしたいのは、この2つです

社務所の本体工事については、目途が立っています。ここまでは、この神社を支えてくださる皆さまの力で到達できました。問題はそこから先です。

屋根の再塗装

応急の修繕を施した社務所(改修工事の着工前)

今年5月、世界情勢の激変によりナフサ由来のペンキが入手不可能となりました。このままでは入札そのものが成立しない恐れがあり、入札不能を回避するため、屋根の再塗装は除外した競争入札とせざるを得ませんでした。7月にペンキの調達が可能となりましたが、その費用はもう残っていません。

屋根を塗らないままでは、せっかく耐震補強をしても、外から見た社務所は8年前に台風で傷んだままの姿で残ります。100年使うつもりの建物の屋根を、塗らずに次の世代へ渡すことになります。

社務所の中の設え

社務所内の神殿周辺のしつらえの計画案。上位案は約180万円となる為、いくつかを削減。

今回の工事で、西側に仮殿を兼ねる神殿と、御神札授与所が新しく設けられます。骨組みと箱はできますが、その中に納めるもの、つまり神殿周辺の装飾品までは予算が回りません。器はできても中身が整わない、という状態です。

それから胡床(こしょう)です。今の社務所での行事は、畳に座る形で行っています。氏子の高齢化が進むなかで、これが年々きつくなってきました。膝や腰の具合で祭事への参列を諦める方も出ています。椅子に座るスタイルに変更すれば、これまで来られなくなっていた方が、また祭りの場に戻ってこられます。

この屋根と設えの費用を鑑みて、目標金額を650万円といたしました。皆さまからお預かりしている古町豊受大神宮を、内外に恥じることのない設えにし、将来にわたって親しまれる神社とすべく、この事業を進めてまいります。

支えてくださる皆さまは、限界までやってくださいました。そのうえで、最後のもう一歩を、まだ当社をご存じない全国の皆さまにお願いしたいと考えています。長和町のご出身の方、この土地に縁のある方、そして日本の祭りが今どうなっているかに関心をお持ちの方に、届いてほしいと願っています。

工事の内容

今回の工事の目標は4つです。

・2017年台風の破損箇所の修繕(西側壁全体、屋根応急修理箇所のトタン板工事、屋根全体の再塗装)

・耐震強度を0.12から0.8〜1.0にまで強化し、今後100年以上使用可能な建物とすること

・下遷宮仮殿の設営

・御神札授与所の設営

工事費を最低限に抑える必要がありますので、この4つ以外の部分には一切手を触れません。工事後、外観で目立つ変化は屋根の塗装が塗りなおされる程度になります。

耐震補強の計画図。赤字が今回の補強内容です

「下遷宮神殿が無い」という問題

3番目の下遷宮仮殿について説明させてください。新しい建物を建てるという話ではありません。

20年に一度の遷宮祭では、本祭に先立って本殿のご神体を仮の神殿にお遷しする「下遷宮祭」が行われ、本祭の最後にご神体を本殿にお戻しする「遷座祭」が行われます。いずれも深夜、浄暗の中で行われる神聖な儀式です。この、ご神体を一時的にお遷しするための仮の神殿が下遷宮仮殿で、台風で全壊した御神札授与所の奥にありました。

つまり現在、下遷宮仮殿は存在しません。このままでは2033年の遷宮祭は挙行そのものが不可能です。今回の工事では、西側に新設する倉庫の壁に幅40センチ×高さ30センチほどの開口部を設け、そこに神殿を納める形で設営します。神殿の本体部分は既に入手済みで、造営に約80万円ほどかかる見込みです。

3つの工事箇所

西側の耐震補強では、台風で壊れた西側壁を全て撤去し、布基礎を新設して、耐力壁で囲まれた強固な区画を作ります。南側4畳半が御神札授与所、北側7畳半が倉庫になり、倉庫の広間側の壁に先ほどの下遷宮仮殿を納めます。今回の工事で唯一、コンクリート布基礎の土台工事を含む本格的な箇所であり、工事費の大半がここにかかります。

中央および東側の耐震補強は、玄関の拡大と玄関ホールの新設という見た目をしていますが、本当の目的は西側補強の補正です。建物には「重力の中心」と「強度の中心」の2つがあり、構造力学上この2点は一致していなければなりません。西側を補強すると強度の中心は大きく西へ移動する一方、重力の中心は変わらず、そのままでは非常に不安定な建物になってしまいます。そこで東側にも補強を入れて、両者を一致させます。具体的には、狭くて不便だった玄関を広げ、総代控室であった8畳間を板張りの玄関ホールにします。この工事で床板を全て剥がしますので、その範囲の地面を鉄筋入りのベタ基礎で覆って束石を固定し、周辺へ耐力壁を集中的に配置します。

耐力壁は壁の両面を12ミリの合板でサンドイッチする工法で、簡易で安価ですが非常に強力な耐震性があり、国の古民家耐震化事業でも推奨されています。

2026年7月、工事に着手しました

耐力壁の合板が張られた室内

3つめが屋根です。西端のトタン板工事は台風による簡易補修の範囲のみで、修理完了後、屋根全体のペンキを塗り直します。この部分が、今回皆さまにお願いしている工事にあたります。

延床面積は206.12平方メートル(62.35坪)、建築面積は227.96平方メートル(68.96坪)です。現代の建築物はおよそ30年から50年が耐用年数と言われますが、在来工法の建築物は適切な耐震補強さえ施せば100年以上の耐用が可能になります。今回の工事によって、社務所は今後50年、あるいは100年以上使えるようになるものと考えています。

いただいた支援の使い道

屋根再塗装・・・270万円

仮殿修理・・・80万円

装飾など備品・・・100万円

竣工行事・記念誌・・・50万円

リターン経費・・・30万円

CF手数料・・・120万円

合計・・・650万円

目標金額に届かなかった場合は、優先度の高い項目から順に実施いたします。CAMPFIREでは支援総額から手数料が差し引かれますので、その分も含めて計上しております。会計についてはこれまでと同様、自治会長による監査を受け、活動報告にて公開いたします。

ご支援くださる皆さまへ

ご支援に対する対価というよりも、御礼としてお送りするものです。

事業が完了しましたら、CAMPFIREを通じて、事業報告もさせて頂きます。


スケジュール

2026年9月 クラウドファンディング開始
2026年9月末 竣工予定2026年10月 募集終了
2027年1月14日・15日 新しくなった社務所で、おたや祭り
2027年2月以降 リターン発送

リスクとチャレンジ

本プロジェクトはAll-in方式です。目標金額に達しなかった場合も工事は実施し、集まった金額に応じて優先度の高い項目から実施いたします。

資材価格の変動により、工事内容が一部変更となる可能性があります。特に塗料については、今年5月に入手困難となった経緯があります。工事の遅延により、リターンの発送時期が後ろ倒しになる可能性があります。これらのいずれかが生じた場合は、活動報告にて速やかにご報告いたします。

最後に

古町豊受大神宮は、権力者が建てた神社ではありません。戦乱の時代に伊勢の御師が農民のもとへ暦を運び、その暦が農村の暮らしを変え、庶民の信仰が神社を育てました。そうやって続いてきた神社です。

山車も同じです。町の人間が10日間で作り、祭りが終われば壊す。翌年またゼロから作る。それを繰り返してきました。

その繰り返しの拠点が、倒れる寸前まで来ていました。いま、その建物を建て直しています。

ここまで支えてくださった皆さまは、精一杯のことをしてくださいました。あと一歩だけ、新たに力を貸していただけないでしょうか。

ご支援が難しい場合でも、このページをSNSでシェアしていただけるだけで大きな力になります。

おたや祭りの山車。毎年つくり、祭りが終われば壊します

そしてもし機会がありましたら、1月14日・15日にぜひお越しください。厳寒の信州で、手作りの山車が5か所に並び、露店が立ち、花火が上がります。お待ちしております。

古町豊受大神宮 氏子総代会
総代長 渡邊 黎
宮司 立岩 千尋
会計 両角秀俊(プロジェクトオーナー)

【多くの方々から応援コメントが届いています!】

支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 設備費

  • リターン仕入れ費

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

支援に関するよくある質問

ヘルプページを見る

このプロジェクトの問題報告はこちらよりお問い合わせください

コメント

もっと見る

投稿するには ログイン が必要です。

プロジェクトオーナーの承認後に掲載されます。承認された内容を削除することはできません。


同じカテゴリーの人気プロジェクト

あなたにおすすめのプロジェクト

新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!

24時間以内に18人が支援しました