2018/10/08 21:06

AFFECTUS vol.3に収録するタイトルのご紹介、今夜は第8本目になります。

今回は、ヴェトモンが発表した2017AWコレクションについて書いたものです。僕はこのコレクションを見て、とても驚きました。よくこんなデザインをパリコレクションで発表したな、と。

いったい、何に驚いたのか。それをマルタン・マルジェラ、コム デ ギャルソン、ラフ・シモンズにも触れながら書いています(ギャルソンはほんの少しだけですが)。

ぜひ読んでください。

 

 

「普通が世界を変えていく」

 

2017SSオートクチュール期間中に発表されたヴェトモンの2017AWコレクション。このコレクションを見て、その時感じた感情を可能なかぎり言葉にしてみたくなった。しかし、すぐに書こうと思ったのに、あくせくしているうちに時間が経ち、その時に感じたはずの感情が胡散霧消してしまい、何を書きたかったのか忘れてしまった。「鉄は熱いうちに打て」とはよく言ったもので、本当その通りだ。気持ちが熱くなる体験をしたなら、すぐに言葉にすべきだった。いまさら言ってもしょうがないが。どうでもいい僕の反省が長くなった。

ヴェトモンの2017AWコレクションを映像で観たときの素直な気持ちは、こうだ。

「よくこんなの発表したな……」

真っ先に思ったことがこれだった。すごく大きな戸惑いを感じた。なぜ、そこまで戸惑ったのか。

そこに映っていたのが「普通」だったからだ。コレクションといえば、これからの時代に向けた最新ファッションを問う場。そしてパリコレは、その創造性において、僕はやはり今でも世界No.1だと思っている。パリコレで発表されるコレクションの創造性の深さと広さは、他の都市よりも1段上に感じる。このレベルで1段はかなり大きい差だと思う。

そのパリコレで、ヴェトモンが発表したコレクションは「普通」だった。年齢、性別、体型、人種、モデルのありとあらゆる要素に統一感はなく、様々な人たちがモデルとして登場し、これが一つのブランドのショーなのかと思えるほどに雑多な印象。彼らが着ている服に驚かされる。普通なのだ。もちろん、ヴェトモンのテイストがシルエットやディテールなどに織り混ざってはいる。しかし、そのことよりも先にモデルたちが着ている服のデザインベースが、極めて普通なことに驚く。これがパリコレで発表する服なのかと。けれど、僕の言う「普通」は服のことを指しているわけでない。

このショーの風景そのものが普通だということ。まるで街の風景を切り取って、そのままショーに持ってきたかのようだ。歩いているモデルを、後ろから早足で追い抜いていくモデルがいた。先を急ぐように。これを見て、僕は驚いた。本当に街だ、と。こんな風景、誰だって目にしているはずだ。街中で人が人を追い抜いていく様を。そんな風景を、この創造性が最も問われるパリコレの場で、演出する乱暴さに驚いた。ここまで、リアリティを追求して「街」を持ってきているのか、と。

いや、ヴェトモン自身にこの演出に、そこまでの意図はもしかしたらないのかもしれない(誰かインタビューしてよ)。けれど、わざわざこんな演出を入れる必要もない。はっきり言って、通常のショーからすれば、美しさも統一感も何もない演出であり、ショーだ。通常の感覚でいえば、感動するショーではない。けれど、通常の、いわゆるこれまでのショーとは別の新しい価値を提示し、そのことに心が揺さぶられた。服のデザインとショーの演出は、僕の「好き」とは異なっているにもかかわらず。

まるで、街中でヴェトモンが気に入った人間に声をかけ、ショーに誘ったみたいだ。「その格好いいね。そのままでいいから、これからショーに出てよ」そんなふうに。かつてマルタン・マルジェラは、過去のコレクションをグレーに染め直しただけでそのまま発表したり、自ら新しくデザインをせずとも、マルタン・マルジェラ自身がいいと思った服をそのままコレクションに発表するという行為をした。

今回、ヴェトモンがやったことは、このマルタン・マルジェラの行為をアップデートさせたものに思えた。今回のヴェトモンとマルジェラ、すでに存在している服をそのままショーで発表したようなコレクションを行ったが(厳密に言えばヴェトモンはデザインしているが)、ヴェトモンの方により強い「普通さ」を感じる。その差は、ショーの演出やマルジェラよりもさらに幅広いモデルのチョイス、そしてこれが一番の大きい要因だと思っているのだが、服ではなく街を歩く人々のスタイルをそのまま持ち込んできたことが起因している。

「いいものはそのままでいい」

そのことを、マルジェラは「服」という「物」にフォーカスしていた。しかし、ヴェトモンは「物」よりさらにその裏側、「概念」にフォーカスしている。

コムデギャルソンが造形で「服とは何か」という問いへの答えを示していたのに対し、マルジェラは概念で「服とは何か」への答えを示していた。2017年のいま、「新しさとは何か」という問いに対してマルジェラは服で答えを示していたが、ヴェトモンは概念で答えを示した。僕はそう感じた。ちょっと大げさになるかもしれないが、今回のヴェトモンのコレクションはファッションデザイン史においてエポックメーキングになるのではないだろうか。この方向性が支持と共感を得て、さらに発展していくのか。それともヴェトモンだけの独自の行動で終わるのか。それはまだわからないが、とても面白いアクションが生まれた。

同時期に、ラフ・シモンズによるカルバン・クラインがクチュールラインとも言うべき新ライン「By Appointment」を発表した。僕はそのビジュアルに痺れた。待っていた。これが見たかったんだ。ああ、早くショーが観たい。そう胸が高鳴った。ヴェトモンの最新コレクションでは一瞬たりとも感じなかった感情だ。僕はこういうタイプの人間だ。しかし、そういう人間でも、今回のヴェトモンのコレクションには揺さぶられる何かがあった。

ヴェトモンは最新ファッションとして「普通」を発表した。これからは普通が世界を変えていくのかもしれない。いや、もう変わり始めている。いま、様々なアプリによってプロではない人たちが、自らのクリエイティビティを発揮し、世界を変えていっている。プロではなくともクリエイティビティを世に問えて、世界から共感を得られる時代だ。それがいまのリアル。そのリアルもヴェトモンは捉えているように感じた。

もうすぐラフ・シモンズによるカルバン・クラインの初コレクションが発表される。ラフのデザインは王道だ。シリアスでエレガンス。普通と王道、この異なる二つの軸が近接するいま、世界がどうなっていくのか。普通が世界を変えていくのか。それとも……。

<了>

 

*こちらのタイトルは、note「AFFECTUS」にアップされた「普通が世界を変えていく」と同じ文章になります。