
40周年記念誌のクラウドファンディングは、いよいよ残り1日となりました。
ここまで「飛生の40年」として、1986年から現在までを辿ってきました。
でも、この場所の時間は、1986年から始まったわけではありません。
第19回は、
「ここには、子どもたちがいた。」
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飛生アートコミュニティーの校舎は、もともと飛生小学校でした。
飛生地区への入植が始まったのは1891年。
1949年、14人の子どもたちとともに飛生小学校が開校しました。
1960年には、児童数が最多の34人に。
小さな集落の、小さな学校でした。
今、作品が置かれている校舎を子どもたちが歩き、体育館で遊び、窓の外には飛生の森があった。
そんな時間が、ここにはありました。
やがて地域の人口は減っていきます。
1986年。
最後の卒業生4人を送り出し、飛生小学校は閉校しました。
そして、その同じ年。
広い制作場所を求めていた國松明日香さんたちが、この校舎を共同アトリエとして使い始めます。
ひとつの時間が終わった場所で、また別の時間が始まりました。
最初から、地域を変えようとか、廃校をアートで再生しようとか、そんな大きな目的があったわけではありません。
作品をつくるための、大きな場所が欲しかった。
そこから40年が始まりました。
学校だった場所が、アトリエになった。
そこへ人が集まり、作品が生まれ、音楽が鳴り、やがて活動は森へと広がっていきました。
この連載で40年を辿ってきて、最後の直前になって改めて思います。
飛生は、何もなかった場所から始まったわけではありません。
その前には学校があり、子どもたちがいて、地域の暮らしがありました。
学校が閉じ、アトリエになり、人が集まり、森へ入り、祭りが生まれた。
人も、使われ方も、風景も変わってきました。
それでも、この場所にはずっと、誰かが何かを始める時間が重なってきたのだと思います。
明日、クラウドファンディングはいよいよ最終日です。
40年間、変わり続けてきた飛生。
明日は、その40年をもう一度振り返ってみたいと思います。





