飛生の森と校舎の40年。変わり続けた場所の、これまでとこれからを一冊に

1986年、廃校となった旧飛生小学校をアーティストたちが共同アトリエとして使い始めて40年。森づくり、芸術祭や祝祭、人との出会い、地域との交流を重ねながら姿を変えてきた飛生。その歩みをたどり、現在のメンバーや新たに加わった若い世代の声とともに、これからを考える一冊をつくります。

現在の支援総額

1,044,900円

208%

目標金額は500,000円

支援者数

108人

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2026/09/05に募集を開始し、 108人の支援により 1,044,900円の資金を集め、 2026/09/30に募集を終了しました

飛生の森と校舎の40年。変わり続けた場所の、これまでとこれからを一冊に

現在の支援総額

1,044,900円

208%達成

終了

目標金額500,000円

支援者数108人

このプロジェクトは、2026/09/05に募集を開始し、 108人の支援により 1,044,900円の資金を集め、 2026/09/30に募集を終了しました

1986年、廃校となった旧飛生小学校をアーティストたちが共同アトリエとして使い始めて40年。森づくり、芸術祭や祝祭、人との出会い、地域との交流を重ねながら姿を変えてきた飛生。その歩みをたどり、現在のメンバーや新たに加わった若い世代の声とともに、これからを考える一冊をつくります。

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40周年記念誌のクラウドファンディングは、いよいよ残り1日となりました。


ここまで「飛生の40年」として、1986年から現在までを辿ってきました。


でも、この場所の時間は、1986年から始まったわけではありません。


第19回は、

「ここには、子どもたちがいた。」

______


飛生アートコミュニティーの校舎は、もともと飛生小学校でした。


飛生地区への入植が始まったのは1891年。


1949年、14人の子どもたちとともに飛生小学校が開校しました。


1960年には、児童数が最多の34人に。




小さな集落の、小さな学校でした。


今、作品が置かれている校舎を子どもたちが歩き、体育館で遊び、窓の外には飛生の森があった。


そんな時間が、ここにはありました。




やがて地域の人口は減っていきます。


1986年。


最後の卒業生4人を送り出し、飛生小学校は閉校しました。




そして、その同じ年。


広い制作場所を求めていた國松明日香さんたちが、この校舎を共同アトリエとして使い始めます。


ひとつの時間が終わった場所で、また別の時間が始まりました。




最初から、地域を変えようとか、廃校をアートで再生しようとか、そんな大きな目的があったわけではありません。


作品をつくるための、大きな場所が欲しかった。


そこから40年が始まりました。




学校だった場所が、アトリエになった。


そこへ人が集まり、作品が生まれ、音楽が鳴り、やがて活動は森へと広がっていきました。




この連載で40年を辿ってきて、最後の直前になって改めて思います。


飛生は、何もなかった場所から始まったわけではありません。


その前には学校があり、子どもたちがいて、地域の暮らしがありました。


学校が閉じ、アトリエになり、人が集まり、森へ入り、祭りが生まれた。


人も、使われ方も、風景も変わってきました。


それでも、この場所にはずっと、誰かが何かを始める時間が重なってきたのだと思います。




明日、クラウドファンディングはいよいよ最終日です。


40年間、変わり続けてきた飛生。


明日は、その40年をもう一度振り返ってみたいと思います。

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