ブッチー武者です。前回の続きを書きます。先輩のお母様に会うまで、私は認知症のことを「ボケ」だと思っていました。お笑いには「ボケとツッコミ」がありますよね。ボケという言葉には、どこか柔らかくて、愛くるしくて、少し楽しい響きがある。「うちの親がボケちゃって」と聞いても、それなりに穏やかで、いい感じの状態なのかなと、正直そう思っていたのです。ところが、目の前にいたのは、車椅子に乗ってぼんやりとし、目の前の息子を息子だと認識できないお母様でした。柔らかいものでも、楽しいものでもない。これは大変なことだと、その時初めて思い知らされました。そして妹さんが、お子さんを抱えながら、たった一人でこのお母様を見ている。「お兄ちゃん、テレビでもう一度売れることはないんだから、戻ってきて一緒に面倒を見てよ」。世間体があるからもう少し違う言い方をするのかと思ったら、そうではなかった。それだけ追い詰められていたのだと思います。修羅場の中に、私は座っていました。東京に戻って、お笑い仲間にこの話をしました。「先輩は、しばらく帰ってこられないかもしれない」。すると後輩の一人が、こう言ったのです。「認知症って、相当大変らしいですよ。特に介護する方が。京都で、事件があったじゃないですか」。それが、私と「京都伏見の事件」との出会いでした。▶ ご支援・シェアはこちら:https://camp-fire.jp/projects/979623/view
皆さん、こんにちは。ブッチー武者です。9月24日の夜、オンラインでトークライブをさせていただきました。マルとバツしか出さなかった「懺悔の神様」の声を初めて聞いた、という方も多かったようです。あの日お話ししたことを、これから少しずつ活動報告として書き残していきます。まず、皆さんが一番知りたいことから。面白おかしいことをやっていた神様が、なぜ認知症と介護の問題に踏み込んだのか。きっかけは、お笑いの先輩のお母様が認知症になったことでした。お母様は九州にお住まいで、妹さんが小さなお子さんを抱えながら一人で面倒を見ていた。「お兄ちゃんは東京で何をやっているのか」と、妹さんの言葉にも少し刺があったそうです。先輩は「お前も一緒に来てくれれば丸く収まるんじゃないか」と私を誘い、私は一緒に九州へ向かいました。昔からよく知っている、美しくて可愛らしいお母様でした。ところが再会したお母様は、私たちを見ても視点が合わない。「どこから来たの」「東京ね。うちの息子も東京で頑張っている。親孝行ないい息子なんだよ」。その親孝行な息子は、お母様のすぐ横に座っていたのです。先輩は、何とも言えない顔をしていました。妹さんは「お兄ちゃんのことだって、ちゃんと分かっていないんだよ」と。この日のことが、私のすべての始まりです。▶ ご支援・シェアはこちら:https://camp-fire.jp/projects/979623/view



