こんにちは、リビセンの華南子です。
昨日は、塩尻の友人に声をかけてもらい、
今度取り壊されるというおうちのレスキューにいってきました。
(※私達は古材を引き取りにいくことを、レスキューと呼んでいます)
現場について、大家さんである60代くらいの可愛いお母さんとご挨拶。
私達の活動はなかなか説明がむずかしいのでなるべく丁寧に説明します。
私達のこと、リビセンのこと、そしてふるいものを次の世代に繋いでいきたいということ。
そして、おうちを案内してもらうと、
お母さんがいろんな思い出を話してくれました。
「この茶室はね、お母ちゃんと一緒に京都にいろんなところを見にいってね、
こういう壁だとか天井だとか、選んだのよ」
「これはね、お父ちゃん(旦那さん)のつくえ。
10年前に亡くなっちゃってね、それからずっととってあるんだけど、だめね。
私達には重くて大きくて。お父ちゃん、山に登る人だったのよ。
インドにも行ったのよ、10何回も」
「もっと片付けたりしてればね、借りてくれるひともいたかもしれなのにね」
そんな話をぐるっとおうちを1周しながら聞いて、
茶室に戻ってきたところで、お母さんからこんな話がありました。
「本当にたくさんのものが残っててね。全部思い出のあるものだから、捨てがたいのだけれど、
ひとつひとつね、これはいるかな、いらないかなって、考えながら、
丁寧に片付けることがせめてもの供養になれば、ってそう思ったのよ。
でも、あなた達みたいなひとっているのね。嬉しいわ。使って貰えるなら、とっても」
それを聞いて、わたしは泣きそうになってしまって、
咄嗟に、お礼に家にあるものでなにかつくらせてもらえないかという話をしました。
机でも、棚でも、スプーンでも、この家にある木で、
いま住んでいるおうちで使えるものに、つくりかえさせてください、と。
お母さんはその提案をすごく喜んで、現場を私達に任せてくれてお出かけしていきました。
「ちいさいものでいいからね、ありがとう、ありがとう」と言って。
*
私がレスキューしたいのって、こういう”気持ち”なんじゃないかと思いました。
お母ちゃんがつくってくれたおうちを取り壊さなきゃいけないやりきれなさや苦しさ。
おうちを守りきれなかったうしろめたさ、思い出を手放さなきゃいけない寂しさ。
思い出がたくさんあるおうちを、潰さなきゃいけない、そう決断をしなきゃいけない。
そんな大家さんの気持ちを、私達は掬いあげたい。
想像するだけで胸がいっぱいになるような状況の真ん中にいる大家さんの気持ちが、
ふわっとかるくなるようなことができればいい。
きっと解体がはじまれば、目を背けたくなるような景色がうまれる。
でもその時におうちと、いままでありがとうね、という気持ちでお別れしてもらえればいいな。
古材をレスキューすることで、それまでおうちを守ってきた大家さんの気持ちが、
すこしでも報われるようなはたらきがしたい。
それがリビセンが出来ること。私達じゃなきゃできないこと。
私達が、やっていきたいこと。
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さて、今日も現場が始まります!
やーるぞーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!