こんにちは、かなこです。
現場は、お盆明けから現場は造作に入っています。
先週から左官が始まって、
昨日は遂に床の下地を組み始めました。
どんどん、空間になっていきます。
リビセンは私と夫を含め5人のスタッフで運営していくのですが、
いちばん初めから参加してくれていたりょうことたかみーに加え、
2週間前から5人目のスタッフ・あやかが会社を辞め現場にジョインして、
ようやく全員揃いました◯
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昨日、小さな壁一面のモルタルの左官をあやかにお願いした。
自分で準備して、材料練って、左官して。
何度も材料が足りなくなって練りなおしていたけど、
「いまはこれくらいの材料でこれくらい塗れたからー…」
「あとこれくらい残ってるから塗りきれるはず!」
とかなんとか言いながら、結局何度も足りなくなってやっぱり何度も練りなおしていた。
そんな姿をこそこそ見てたらなんだかそわそわしてきて、何かと思ったら、
私はどうやら感動してしいたようだった。
あやかのあーでもないこーでもないする姿は、
うわー、これ試行錯誤だなー、という感じで、その景色に感動した。
そして周りを見渡せばりょうこもたかみーもやっぱりそんな様子で、
なんだか、とてもとても良かったのだった。
左官は、塗るのも楽しい。
どんなふうに力をいれると、どんな具合になるのか。
ぐっと押さえこんだり、軽やかに滑らせてみたり、
塗った壁を押さえていると、一度は乾き始めたのにまた水分があがってきたりする。
そこを、また押さえていく。そんなことを繰り返す。観察して、体で感じる。
練るのすら楽しい。
材料によって違う必要な水分量、塗れる面積。塗る人によって変わる必要な全体量。
1回分ずつわけられたものを注意書き通りに使うだけじゃ養われない感覚。
考えながらやる。ただ言われたことだけをやるだけじゃ、養われない感覚。
たったひとつの作業が教えてくれることはたくさんある。
あやかが、そういう世界に触れてる姿を見つけて、
やっぱり現場はいいなーーーとしみじみそう思った。
それまで不動産関係のお仕事をしていたあやかにとっては、
バールと玄能をつかって解体するのも、
2mある脚立を登って左官をするのも、はじめてのこと。
そのあやかが、釘がどこからどう打たれているか観察して、
大きなバールを使うか小さなバールを使うか選んで解体したり、
脚立にのぼってきゃーきゃー言いながら、それでも、左官に取り組んだりしてる。
ひとまずどうにか、自分の体が落ち着く場所を探りながら。
2年前のわたしも、そうだった。
何をやっても上手に出来ず投げ出したくなったり、
すぐに怖がってきゃーきゃーいってたなーと、思い出す。
いま思えばそういう時、決まって私はなんにも見てなんていなくて、
ただただ言われたことをやろうとしてたんだと思う。
なんでそうするのか?しないのか?ろくに考えもせず。
耳で聞いたり読んだりして頭でわかったら、そういうもんだと思い込んで、
目の前で起きていることに、きちんと意識を向けていなかった。
だってそう言ってたじゃん、とか、だってそう書いてあった、とか。
目の前を、自分の手先を体を、全体を、全然見れていなかった。全然わかってなんてなかった。
それでも、そういう時に夫がふっと何か声をかけてくれると、
カチっと、ようやく目のピントが合ったような感覚になることがあった。
そうすると、気持ちがおなかの底に落ちて、目と体と気持ちが一緒になって、
よし、とそれまでと同じ作業をまったく違うように出来ることがあった。
その世界の気持ちよさを、その時に知った。
それがあったから、私はその作業を手放さずに済んで、出来ることもすこしは増えて、
すこしずつ、感覚を養っていけている。まだ、まだまだだけど。
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リビセンでは、現在工事現場をオープンにしてたくさんのお手伝いさんに、
現場の作業に参加してもらっていますが、開店してからも本国のReBuilding Centerのように、
作業への参加をオープンにしていきたいと思っています。
レスキューしてきた板から釘を抜いたり、古材を磨いたりという単純作業から、
家具をつくったり、解体したり。
そこに来てくれるひと達に、そういうピントが合うような瞬間みたいなのをつくれたらいいな。
やってみなきゃわからない。
やってみて、感じる。考える。
言われた通りやるだけじゃなくて、きちんと感じる。
目で見て、手の平で硬さや温度、指先で質感を感じて、
考えて、その先の自分の行動を決める。
そうやって感覚を養って、物事を判断する基準を、
調べたら教えてくれる世界の中だけじゃなくて、自分のなかに蓄積していくこと。
そうやって、生きていくことってリビセン的だよね、とみんなで話す。
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さて、今日の現場は20人超えらしい!
今日も気合いれて、頑張りますーーーーーーーーーー!◯