天女座カフェ、海を一望しながら書いています。 ピアノを華麗に弾いていると、英才教育を受けたんですか?と、とんでもない誤解を受けます。 私は岡山の片田舎に生まれ、5歳の時に両親に懇願して、クラッシックピアノを習い始めました。 でも楽譜通りに弾くのが嫌で勝手に即興演奏していました。誰しも即興すると思っていましたが、高校生の時に、それは私の特技だと知りました。 ただ、音楽家になるまでの道は、険しく何度も挫折しました。離婚して、安定した生活を捨てて、音楽家になりたい!と家を飛び出して、バンド仲間と、京都の祇園のヤクザやさんの経営するホストクラブのバンドマンをしていました。 社会の底辺にいた私は、お酒が飲めないため夜の商売に溺れることはありませんでした。 ヤクザやさんの親分が、新米のホストが楯突いて頭に来て「包丁持って来い!」と言い出し、一同真っ青。 「お前、コンクリート詰めがいいんか、事故死がいいんかどっちやねん!」 あなたでしたらどちらを選びますか? 笑笑 そんな、ドラマみたいな生活をしていました。 でも、絶対に音楽家になる!という意思は、人一倍強かったから夢は実現しました。 子供たちの前でコンサートする時は、夢は、絶対叶うよ!と伝えます。 アゥシュビッツのあの地獄みたいな状況で助かった方は、ジョークを言っていた人だそうです。 常に前向き、プラス思考! これからも猪突猛進したいです。 活動報告?と言われそうですが、お伝えしたくて。。
皆さんは、突然手や足が動かなくなったらどうしますか?想像しただけでも、生きる気力が無くなりそうですよね? 熊野市に住む栗栖道夫さんは、18歳、高校生の時にバク転で落ちて、頚椎損傷、首から下が動かなくなりました。 その後、栗栖さんが寝ながらパソコンが出来る台を贈ろうと、チャリティコンサートを天女座でしました。120人くらいの人が協力してくれて、パソコン台を贈ることが出来ました。 この「熊野幻想」というCDのジャケットは、栗栖君が、口に絵筆をくわえて描いてくれました。 栗栖君に堀尾さんをご紹介しようと、昨日お家に行きました。栗栖君は、51歳。何十年も寝たきりですから、まず、手を開く、結ぶイメージをして下さいねと堀尾さんが伝えました。 栗栖君は、今まで治ると言われたことがなく、全く治る希望も持っていませんでした。 しかし、堀尾さんが、必ず治りますよ!と言って下さり、本人嬉しかったと思います。 栗栖君は、話せないので、口で息を吹きかけてパソコンを駆使し、私とLINEで、やり取りしていますが、希望が見えたみたいで、やる気になったようです。ただ、自分の手がどこにあるかわからないのでイメージしづらいようです。 堀尾さんが、お父さんに手を持って貰い、それを見てイメージして下さいとアドバイスしました。 意思が強く聡明な栗栖君は、きっとやり遂げると信じています。先日もピアノの即興をして、栗栖君のLINEに送りました。栗栖君は、宇宙を漂うようだと喜んでくれました。 また、「天空のさざ波」の仮録音を、寝る時に聴いてね。。とお渡ししました。 栗栖君の心に小さなともし火を灯すことが出来ました。
私の目的は、CDを販売することだけではありません。私の夫、矢中鷹光が、昨年脳出血で倒れて、左半身麻痺になり、絶望感を味わっていました。リハビリのお陰で杖をついて歩けるようになりましたが、まだまだ左手麻痺です。そんな時に堀尾さんの記事を送って下さる方がいて、すぐ連絡を取りました。すると、堀尾さんは、麻痺は、治る!とご自分の体験をお話して下さり、独自のリハビリ法を矢中に伝授下さったのです。 音楽で、眠りを誘い、治療的にも効果を出すことは、もちろんですが、私の使命は、全国300万人の麻痺の方々に、堀尾さんの体験をお伝えして、人間の身体の自己治癒力がいかにすごいかお伝えすることだと思います。 残された人生は、今まで応援して下さった皆様に恩返しをしたいと思っております。 ありがとうございます。