みなさま毎日どのように過ごしていますか?たくさんの方がSTAY HOME生活を通して、日々の過ごし方や考え方、感じ方が変わってきたのではないかなと思います。私はこのたっぷり使える時間を使って、改めて、なんで映画を作ったんだろう?そして映画を作るという体験を通して、私はどう変わって来たんだろうと考え直すことにしました。
もともと映画を作ろうと考えていたわけではありません。映画を作ることがこんなに大変だって知っていたら、作ろうと思わなかったと思います。
ただこの20年間、映像を作る仕事をしてきて一番伝えたかったことは、この世の中(特に日本社会)の価値観を広げたいという自分の思いでした。決められた価値観の中で生きることが苦手な私は、世の中の価値観が広がれば、私が生きやすい世の中になるのではないかと思ったのです。私が生きやすい世の中は、きっと誰にとっても生きやすい世の中であるに違いないという考えは、ただの私の独りよがりかもしれません。でもそう信じることが私の原動力でした。
そんななか、性別に揺れている子供たちのことを知ったのです。2010年のことです。当時すでに「性同一性障害」という言葉はここ日本では広く知られていました。でも私の頭の中では、小・中学生という、まだ自我も確率していない若年層の方々が直面する大変さに思いを馳せることはありませんでした。うっかりしていました。
私は小学校高学年や中学校時代、とても辛い思いをしていました。どうしても教室で浮いてしまうのです。なぜだか理由もわかりませんでした。性別というのは人格の根幹ですから、性別さえ揺れている子供達は私以上に辛い思いをしているだろうと思いました。彼らのことを伝えたいと思いました。性別のありようがほんのちょっと異なる子供達を描くことで、世の中の価値観が少しでも広がればいいなと思ったのです。
そして出会ったのが女性として生まれ、男性として生きたいと希む小林空雅さん(当時15歳)です。その出会いはとても強烈でした…(続く)
* ***
映画が完成したのは去年の夏。映画が完成するまでどれほどの人に助けられたでしょう。
そしていま映画を広げていくにあたって、どれだけの人が助けてくださっているでしょう。
おととい、昨日と、映画を取り上げてくれる雑誌や新聞の情報が届きました。
日本映画naviには、「性別の枠組みでは括ることのできない多様な性の在り方や、誰もが生きやすい社会に近づくための気づきをくれる」とあります。
図書新聞に記事を書いてくださった睡蓮みどりさんの文章には「他人が勝手にあなたはこういう人間だと決めつけてくることへの不信。むしろ大半の人は「当たり前」になってしまった価値観をすんなり受け入れすぎなのではないか、とさえ思えてくる。」とあります。私の思いも通じているのかなと思うと、本当に嬉しく思います。