今年体験した、これまでに見たことのなかった世界。ステイホーム、劇場閉鎖、一席飛ばし、ソーシャルディスタンス、密。日々状況が変わるなかで、なんども方向性を修正しながら、対応に追われる1年でした。昨年暮れに思い描いていた夢とは異なる現実に、ときに悲しく、切なく。そんな中でも映画は少しずつ成長し、根を張り、枝葉を広げていきました。劇場公開が一段落して、もっと多くの方に届け!という願いを込めて、2021年の幕開けとともに期間限定のオンライン配信を始めます。パトロンの皆様でまだご覧になれていない方は無料で見られるプロモーションコードを発行いたしますので、ご連絡くださいませ。オンライン配信はこちらへまた配信スタートを記念しまして、下記の内容でオンラインイベントを行います!ドキュメンタリー映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき〜空と木の実の9年間〜』のダイジェスト版「小さな木の実」バージョン(40分)を観ながら、監督・出演者が当時の思い出や映像秘話を生解説しながらゆるるっと過ごします!ぜひ、お好きなお飲み物などを片手に、お家からお気軽にご参加ください!日時)2021年1月9日(日)15:00~<タイムスケジュール>15:00~15:30:上映前トーク(10分) 「小さな木の実」解説前半(20分)15:40~15:45:5分休憩15:45~16:30:「小さな木の実」解説後半(20分) 上映後トーク(10分)ゲスト:常井美幸(監督) 小林空雅(主人公) 小林美由起(出演、主人公の母) (進行 藤本加奈:MUSUBI Productions スタッフ)料金)無料定員)20名程度お申し込みはこちらからどうぞ!皆様のご参加をお待ちしております。とこちょ。(常井美幸改め)
CAMPFIREをお読みのみなさま、ご支援くださったみなさま2年前にクラウドファンディングを立ち上げてから、映画が完成し、自主上映をしていただき、世界の映画祭に呼んでいただき、メディアにも取り上げていただき、そしてついに劇場で封切りされるまでになりました。『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 〜空と木の実の9年間〜』いま渋谷にある映画館「UPLINK 渋谷」にて連日上映が続いています。パトロンさまでまだ映画をご覧になっていないみなさま、特別鑑賞券をプレゼントさせていただきますので、ぜひご連絡くださいませ。miyukettexx@gmail.comただ東京は、まだまだ安心できない日々が続いています。ぜひおいでくださいとは申し上げづらいのですが…。日程は次のようになっています。連日トークショーも行います。-------------------------------------------7/29(水)18:00~19:26【上映後トークショー】登壇者:常井美幸監督(約15分)7/30(木)18:00~19:26【上映後トークショー】登壇者:小林空雅、常井美幸監督(約15分)07.31金18:30~19:56【上映後トークショー】登壇者:小林空雅、常井美幸監督(約15分)08.01土10:15~11:41【英語字幕版上映】【上映後トークショー】登壇者:常井美幸監督、イアン・トーマス・アッシュ(約30分)08.02日10:15~11:41【上映後トークショー】登壇者:小林空雅監督、須藤シンジ(約30分)08.03月18:30~19:56【上映後トークショー】登壇者:小林空雅、常井美幸監督(約15分)08.04火10:15~11:41【英語字幕版上映】【上映後トークショー】登壇者:小林美由起、常井美幸監督(約30分)08.05水18:30~19:56【上映後トークショー】登壇者:小林空雅、常井美幸監督(約15分)08.06木18:55~20:21【上映後トークショー】登壇者:小林空雅、高野慎太郎(約30分)※敬称略https://shibuya.uplink.co.jp/movie/2020/56106
小林空雅さんのはじめての撮影は2010年9月16日。空雅さんが通っていた川崎市立御幸中学校でのロケでした。女子として扱われる学校生活が辛くて登校拒否になっていた空雅さんは、自分の生きづらさの原因が性別にあると気づき、男子生徒として通いたいと申し出て、学校側から認められた時期でした。 ロケ当日、私はかなり緊張していました。15歳の子どもとどう会話すればいいんだろう?私は子どもがいないので、子どもと接する方法がわかりません。想定していた質問は5つ。1.当時一番つらかったことは何? 2.誰かに相談できた?3.トイレはどうしてた?トイレに関する学校の取り組みをどう感じた? 4.いま男子生徒として通っていますが、いまの気持は?5.同じように悩んでいる子どもたちに何を伝えたい?特にプロデューサーからは、男子トイレ/女子トイレのどちらを使っていたのかしっかり聞いてこいと言われていました。空雅さんのケースが前例となって、男女はもちろん、どんな方でも使える「だれでもトイレ」がこの中学校に加設されたと聞いていたので、空雅さんの勇気が学校という現場の意識を変え、具体的な施策につながったことを描くためです。 性別が揺れている子どもたちにとって、男女別の生活を強いられることの多い小・中学校生活はとても辛いものだと言われています。岡山大学の中塚教授らが行った調査によると、4人に1人が不登校になり、さらに自殺を考えたことのある人は7割近くにも上るそうです。その辛さの原因を、空雅さんの主治医だった針間先生は「制服、体育の授業、水泳の授業など男女の区別がはっきりしているのが非常に苦痛である。思春期で体が変わっていくので、自分のいやな身体に変化していくのも辛い。恋愛もし始める時期なので、周りは異性が好きなのに、自分は同性が好きということで周りと異なるなど、いろいろ辛いことが重なる時期」と映画の中でも解説してくれています。 空雅さんは、そんな辛さを解決するため、勇気をもって自分をオープンにした。そしてその勇気が学校を変えていった。このことを伝えれば、全国の悩んでいる子どもたちの励みになり、学校の取り組みも日本中に広がっていくのではないかと私は願っていました。 さて、トイレの質問。私の頭のなかでは、「空雅さんは女子トイレを使っていたけど辛かった、そこで学校に訴えてだれでもトイレを作ってもらった…。」というストーリーができあがっていました。「どちらを使っていたのか?」という私の質問に、空雅さんの答えは「トイレは使っていなかったですね」「(。。。????あれ、使っていなかったのか。。。?)え、どうしてたの?」と聞き返すと、空「トイレ行きたい気持ちがあんまなかったから」「(トイレ行きたい気持ちってどういう意味…?頭のなか小パニック)じゃ、我慢してたの?」空「我慢というか、あんまりトイレに行く気分にならなかったです」「(トイレに行く気分って何????)ふーん」頭フル回転でその答えの意味を理解しようとしましたが、次の質問を投げかけられず。そのとき私はやっぱり、15歳の子どもとコミュニケーションをとることは難しい…としょげかえっていたのでした。ところがその2年後にまた空雅さんと出会ったとき、「被写体の子ども」という私の認識はすっかり変わることになるのです。。。(続く) **** 映画が出来上がってから、実に50回以上も日本全国で上映していただきました。その実績をもとに、映画館での上映も決まりました。新型コロナ対策および緊急事態宣言のため、5月22日の公開予定を2ヶ月延期せざるをえなくなり、それでもどれだけの方が劇場に足を運んでくださるか不安な日々です。でもこの映画は、観てくださった方の数ではなく、どれだけの方の心に届いたか、が大事だと思っています。映画館、オンライン、自主上映、DVD…。どんな形でも皆様の心に届きますように。 https://shibuya.uplink.co.jp/movie/2020/56106 こうやって、映画館のウェブサイトに映画が載っているのを見るだけでもありがたいことです。
川崎に住む当時15歳の小林空雅さんと会ったのは2010年8月のこと。甘いものが好きだと聞いていたので、ケーキがおいしい駅前のカフェを指定しました。母親に付き添われて現れた本人を見て少なからず驚きました。とてもかわいい魅力的な子だったからです。その後数十人の性別に揺れている人たちに会うことになるのですが、共通して言えるのはとても魅力的で人格が深い方が多いということ。性別は人格の根幹ですから、その根幹が揺れていることによって、人一倍「自分とは」「自分らしさとは」ということを深く考えている人たちだと思います。深い悩みをもつことで、優しさも兼ね備えている方が多いと思います。そしてその魅力は表面にも表れていることも多いのです。ただ、そんなことを知らない当時の私は、テレビ局に雇われているディレクターでしたから、空雅さんを見て浅はかなことに、「これは良い被写体になるな」と思っただけでした。男の子とも女の子とも言えないとても不思議な魅力。女性の遺伝子を持っているからか、とても肌がきめ細やか。一部メッシュを入れたさらさらな髪。ファッションからもセンスの良さが滲み出ていました。表情はまだ暗く、ときおり視線を下げながら話します。それがまたういういしくて、共感を呼びそうだ、と。当時の空雅さんは、まだ自分の思いを言葉ではっきりと表現できるほどの語彙をもっておらず、たどたどしく話していました。それでも「全国の同じ悩みを持つ子どもたちの助けになれば」と自分のことを伝えたいという強い意思を感じました。名前も顔出しも大丈夫だと言う。そして自分にはタブーはないから、なんでも聞いてほしいと言う。私はまた浅はかなことに「理想的な被写体と出会った」と思いました。そのときは、まさかそれから10年間のお付き合いになるとは知らず、そして被写体と捉えていた子どもが、その後、自分が本当に伝えたいことを伝えるための同志になっていくとは露ほども想像しなかったのです…(続く)***映画が作られるまで、そして完成してから、たくさんの方のご縁やつながりやご支援をいただき、感謝するばかりです。本当に不思議でたまりません。映画が初めて公に公開されたのは2019年4月27日。そのときに観客として来ていた1人の方が、それから映画を広めるお手伝いをしてくれることになりました。藤本加奈さん。5月22日の映画の劇場公開が延期となり、心底がっかりしていた私を励ますように、加奈さんはオンラインイベントをやりましょう!と提案してくれました。チームであれやこれや構想を練って、ついに公開予定だった5月22日にイベントを立ち上げます。まだまだつたない私たちが企画するイベントですから、不備があるかもしれません。でももしご興味をもってくださったら、ぜひいらしてくださいませ。本音でお話をさせていただきます。https://peatix.com/event/1487757/view
みなさま毎日どのように過ごしていますか?たくさんの方がSTAY HOME生活を通して、日々の過ごし方や考え方、感じ方が変わってきたのではないかなと思います。私はこのたっぷり使える時間を使って、改めて、なんで映画を作ったんだろう?そして映画を作るという体験を通して、私はどう変わって来たんだろうと考え直すことにしました。 もともと映画を作ろうと考えていたわけではありません。映画を作ることがこんなに大変だって知っていたら、作ろうと思わなかったと思います。 ただこの20年間、映像を作る仕事をしてきて一番伝えたかったことは、この世の中(特に日本社会)の価値観を広げたいという自分の思いでした。決められた価値観の中で生きることが苦手な私は、世の中の価値観が広がれば、私が生きやすい世の中になるのではないかと思ったのです。私が生きやすい世の中は、きっと誰にとっても生きやすい世の中であるに違いないという考えは、ただの私の独りよがりかもしれません。でもそう信じることが私の原動力でした。 そんななか、性別に揺れている子供たちのことを知ったのです。2010年のことです。当時すでに「性同一性障害」という言葉はここ日本では広く知られていました。でも私の頭の中では、小・中学生という、まだ自我も確率していない若年層の方々が直面する大変さに思いを馳せることはありませんでした。うっかりしていました。私は小学校高学年や中学校時代、とても辛い思いをしていました。どうしても教室で浮いてしまうのです。なぜだか理由もわかりませんでした。性別というのは人格の根幹ですから、性別さえ揺れている子供達は私以上に辛い思いをしているだろうと思いました。彼らのことを伝えたいと思いました。性別のありようがほんのちょっと異なる子供達を描くことで、世の中の価値観が少しでも広がればいいなと思ったのです。そして出会ったのが女性として生まれ、男性として生きたいと希む小林空雅さん(当時15歳)です。その出会いはとても強烈でした…(続く)* *** 映画が完成したのは去年の夏。映画が完成するまでどれほどの人に助けられたでしょう。そしていま映画を広げていくにあたって、どれだけの人が助けてくださっているでしょう。おととい、昨日と、映画を取り上げてくれる雑誌や新聞の情報が届きました。日本映画naviには、「性別の枠組みでは括ることのできない多様な性の在り方や、誰もが生きやすい社会に近づくための気づきをくれる」とあります。図書新聞に記事を書いてくださった睡蓮みどりさんの文章には「他人が勝手にあなたはこういう人間だと決めつけてくることへの不信。むしろ大半の人は「当たり前」になってしまった価値観をすんなり受け入れすぎなのではないか、とさえ思えてくる。」とあります。私の思いも通じているのかなと思うと、本当に嬉しく思います。